山伏弁円さまの墓所
山崎町に弁円さんのお墓があることは、最初にお参りした時から聞いていた。しかし、これまでご縁がなくて、初めてのお参りだ。
山伏弁円、板敷山や稲田の草庵に乗り込み、親鸞聖人を殺害しようとするも、聖人に姿やその態度に接して、その場で深く懺悔し、そのお弟子になられた「親鸞伝絵」のエピソードは、あまりにも有名だ。親鸞さまも、「明法御房の往生のこと、おどろきもうすべきことにあらねども、かえすがえすうれしくそうろう」とお手紙で述べられた明法房を指すともいわれている。
聖人のもとで懺悔回心された時の弁円さんのお歌が
「山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる わが心かな」
まさに獲信の歌である。
その弁円さんのお墓がこの五輪の塔である。でも、何故、関東(常陸の国)の弁円さんのお墓が、兵庫県山崎町にあるのだろうか。不思議に思っていら、ここがお母様の出身地であり、彼は播磨公弁円と称されていたと、ご案内の副住職さんが教えてくれた。
おいわれを示す案内板がお墓の前に掲げてあった。立派なもので平成二十六年というからつい先日できたものだった。
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