四十八願のこころ(13)第二十二願
「たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わが国に来生して、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第二十二願・還相回向の願)
二十一願からは、浄土に生まれ仏にとなった者に対するお誓いとなります。浄土でいただく勝れたご利益といってもいいですね。
中でもこの二十二願は、その中心となる、とても大切な願です。随分、難しい言葉が並んでいます。親鸞さまのお示しを頂かないと、私達では、阿弥陀さまのお心を窺い知ることはできません。
まず、最初に、浄土に往生したものは、その一生を終えた次生には必ず仏の位を補う、つまり必ず仏に成ると誓われています。それで、「一生(いっしょう)補処(ふしょ)」の願、「必至(ひっし)補処(ふしょ)」の願とも呼ばれます。
ところが、親鸞さまは、その後の「その本願~除く」の文から、還相回向の願でもあると頂かれました。一生補処の次ぎに仏に成る菩薩でも、その自らの願いに応じて、浄土より穢土に戻って、苦悩の人々を救済するために、普賢の行-利他の慈悲行-を成そうというものは、その限りではありませんと、但し書きがあるからです。
浄土に生まれる相(すがた)を往相回向、その浄土から穢土に還り、衆生済度する相を還相回向といいます。この往相・還相の二種の回向こそ、浄土真宗の一番の根本なのです。
浄土に生まれたら、自分の楽や欲望(為楽願生)が叶うように想像してしまいますが、実は還相の菩薩として働かせて頂くのです。でも、自分中心の私には、衆生済度のような利他の心は微塵もありませんね。だから、往相だけでなく還相もまた、すべて阿弥陀さまの他力によるものなのだと、親鸞さまは教えて下さっています。
「浄土に生まるる因も果も
往(ゆ)くも還(かえ)るも他力ぞと
ただ信心をすすめけり」(「正信偈」曇鸞讃の意訳)
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