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伝道研究会~即得往生~

安心論も、最後の得益論にはいって、まず現益(この世で受ける御利益)から窺っている。

今月は、「即得往生」について。

これは、第十八願の成就文に「即得往生 住不退転」とあるところだ。
当面は、当来生であり、往生は、浄土往生のことを意味するので、即は、異時即。十八願の念仏行者が、命終して、浄土往生して(彼の地で)不退転に住するという意味であった。
しかし聖人は、この「即得往生」を、この世で受けるご利益と理解されたというのが、大きな特色である。つまり、死後の浄土往生ではなく、現生正定聚のことであり、信の一念の端的に、往生決定のご利益を得る(信益同時)という真宗教義の特色を明示されたものである。それで、もし十八願の念仏者が浄土に往生する「難思議往生」と同一視するならば、一益法門(この世で成仏を受けるとの邪義)理解に陥る恐れがあるので、よく心得る必要があるということになる。

それついて聖人は、『一念多念』には、

「即得往生といふは、即はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり。得はうべきことをえたりといふ。(略)すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まるを往生を得とはのたまへるなり。」

とか、『唯信鈔文意』でも、

「『大経』(下)には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまへり。(略)「即得往生」は、信心をうればすなはち往生すといふ、すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ、不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり、これを「即得往生」とは申すなり。即はすなはちといふ、すなはちといふはときをへず日をへだてぬをいふなり。」

と頂かれている。つまり、「即」の字には、(1)即には、「すなわち、ときをへず、日をもへだてぬ」-つまり時間的な同時即の意味と、2)即位というように、その位に「つく」という意味がある。また「得」の字を「うべきことをえたりといふ」と味わっておられる。つまり、得べきこととは、未来世の往生、えたりとは、現生即得を言う。つまり、即得往生とは、聞信の一念に同日に往生すべきに確定し得るという意となる。

詳細では、
(1)「即得(つきさまだる)往生(現生正定聚)」=現世
(2)「即得」(浄土往生の真因決定し満足する・六字釈の解釈)・「往生」=当来世
という理解もある。

いずによせ、現得往生は、ご信心の利益として、現生において受けるもので、それは信の一念の同時に、現生正定聚の位に住することであって、決して、命終わった後の往生即成仏という意味での「往生ではない」というのが、浄土真宗の基本となっている。

「本願を信受するは、前念命終なり。「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。
 即得往生は、後念即生なり。「即のとき必定に入る」(易行品)と。また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。『愚禿鈔』

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