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2017年4月の24件の記事

明日から永代経法座

 華光会永代経法要を前に準備が進む。

Img_0084 ぼくも、西光寺から戻って、すぐに法要の次第や、法名軸記載などいろいろと仕事に取りかかる。なかでも、法名軸への記載は、一番気をつかう仕事だ。書の達人の父の後だけにたいへんである。有り難いことに晩年のものの後なので、その点では助かっている。これは慣れるしかない。徐々にではあるが、コツを覚えている。ただ今年は昨年の半数分のみ。記載は1日仕事で終わって楽だったが、それでは財政的苦しいのが実情だ。檀家をもたない華光会なので、これだけはImg_0085_2致し方なしである。

 今日は、高山からHさんがお出でになって仏壇の点検と修理をしてくださる。東本願寺(真宗本廟)で、新しい建物に掲げる額の彫刻の打ち合わせで、本山にこれらた帰りだ。なんでも、三島多聞師の書を彫られるというのである。そちらの完成がたのしみである。

 おかげて準備は着々と進んだので、後は法話の教案をしっかり考えたい。

 参加だけなら、当日参加もできます。 どうぞ奮ってご参加ください。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2017/detail/04/eitaikyo2017-4.htm

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小冊子第6弾!『全徳施名の心』

Img_0087 永代経を前に小冊子を作製した。春らしい色合いだ。

 春の永代経と、秋の華光大会を前に、年2回の小冊子の発行を続けて、6冊目になる。

 今回も運営委員長のRさんに大変お世話になった。お忙し中、ありがとうございました。

 誌上法話『全徳施名の心』に、巻頭言の『へその緒』を加えたものだ。両編合わせたサブタイトルは、~目にみえないご恩徳~とした。

 さっそく永代経法要でお分けします。どうぞよろしくお願いいたします。

 (中身のホンの一部ですが、ちょこと紹介)

    阿弥陀さまの呼び声
 するとある方が、「南無阿弥陀仏は呪文なんですか」と言われた。違いますね。決して、訳のわからない呪文ではありません。この私一人にかけてくださった深い深いおいわれ、大悲のお心がこめられているのです。だから、そのお心を聞かせていただけるわけです。なんかよく訳はわからないが、有り難い、不思議な力で、知らぬ間に救われるという話ではないのです。なぜ、その南無阿弥陀仏が出来上がってきたのか、そのお心をお聞かせに預かることが大事なんです。それは、いつですか。どこでですか。そして誰がですか。そうです、今、ここで、この私の上に、南無阿弥陀仏が響いているのです。兆載永劫の間、ご修行された全てのお徳を、惜しみもせず、欠けもせずにギューッと濃縮して、南無阿弥陀仏という六字に收め、その六字で「必ず救うてみせる、必ず目を覚ませてみせるぞ」とお誓いになられたのです。その全徳施名の南無阿弥陀仏さまのお心を、この欲得いっぱいで浅ましいだけの、この私がお聞かせに預かっているんです。

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山伏弁円さまの墓所

Img_0074_2 山崎町に弁円さんのお墓があることは、最初にお参りした時から聞いていた。しかし、これまでご縁がなくて、初めてのお参りだ。

 山伏弁円、板敷山や稲田の草庵に乗り込み、親鸞聖人を殺害しようとするも、聖人に姿やその態度に接して、その場で深く懺悔し、そのお弟子になられた「親鸞伝絵」のエピソードは、あまりにも有名だ。親鸞さまも、「明法御房の往生のこと、おどろきもうすべきことにあらねども、かえすがえすうれしくそうろう」とお手紙で述べられた明法房を指すともいわれている。

 聖人のもとで懺悔回心された時の弁円さんのお歌が

 「山も山 道も昔にかわらねど かわりはてたる わが心かな」

 まさに獲信の歌である。

 その弁円さんのお墓がこの五輪の塔である。でも、何故、関東(常陸の国)の弁円さんのお墓が、兵庫県山崎町にあるのだろうか。不思議に思っていら、ここがお母様の出身地であり、彼は播磨公弁円と称されていたと、ご案内の副住職さんが教えてくれた。

 おいわれを示す案内板がお墓の前に掲げてあった。立派なもので平成二十六年というからつい先日できたものだった。
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快晴の播州路

 Img_0001法座の間、とにかく天気がよかった。特に、初日、2日目は快晴で、ボカボカと気持ちがいい。連れ合いが思わず、「こんな天気のいい日曜日は、どこかに出かけたいね」といっている。確かに、本堂でImg_0066座っていては勿体ない気がする。でも、逆に、気候も天気もいいからこそ、お参りは多かった。風は強かったが、陽気はもう春である。

Img_0020 GMを前にしているが、まだ山桜は咲いていて、ちょっと驚いた。この時期にしてはImg_0031菜の花も蓮華もこれからで、今年は少しだけ季節が遅いようだ。

 山と河(揖保川)に囲まれたのぞかな播州Img_0033路の田園風景。本当に気持ちがいい。さまざまな花が咲いて、春爛漫。

 ただ市長と市会議員の選挙が始まったばかりで、選挙事務所がすぐ近くにある関係で、朝から夕方までうるさかった。前を通るたびに頭を下げられる。後で、その候補の後援会会長が住職と聞いては、それも致し方なしである。

 縁のない町だが、ちょっとだけ選挙結果が楽しみ。
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収穫のあった寺院布教

Img_0050 2年半ぶりに西光寺の法座にお招きいただく。春の別修永代経法要は3日間の法座、これは5年ぶりだ。5年前に、この法座で連れ合いと出会ったのだから、その意味では懐かしい。今回も夫婦でお邪魔することになった。彼女は飲み要員でもある。2日間、何時まで付き合えて、かつ法話でも居眠りしないという、耐久聞法(?)である。

Img_0064  今回は「イキイキした法座を共に創造しよう」を大きなテーマに、「何を、どう、何故、聞くのか」を問う法話を考えた。一方通行ではなく、皆さんとも交流しながら、深めていく法座にしたかった。

Img_0061 今年は初日が日曜日だったので、大勢のお参りだ。それでもこちらからいろいろと質問しながら、その出てきた答えにそって話を膨らませていった。「浄土真宗では一番何が大切だと思いますか」とか、「何故、聞法しておられるですか」とか、「何を聞かせていただくのですか」といった具合、大きな問いをだす。思った以上に皆さんが、答えてくださった。ご住職も、易しい一言のImg_0078_2言葉で答えてくださる。そこからまた皆さんが反応されるという具合で、そこを受けたり、膨らませたりしながら進行した。後席は、それを含めて法話するという具合だった。

Img_9992 夜座は法話をせずに、いきなり車座になり、自分を語るテーマでの座談会にした。人数は減ったが、両日とも30名ぐらいはおられた。
 華光の集いなら躊躇はないが、知らない方もあるので戸惑いはImg_9994あったが、これまでのご住職との信頼関係や仲間もおられるので、場を信じることにした。

「あなたのお寺との出会い、ご縁を教えてください」
「いま、何を課題に、もしくはどんなテーマをもってお参りにきておられますか」などである。

Img_9991 これがまた面白かった。7、8名のお坊さん、ご住職方も4、5名交じっておられる。その方と、初めて参加される方も一緒になり、丸く座って、同じ問いに真剣に答え立てくださった。

 門徒さんの中には、焦点を定めてご法を喜ぶ方がおられる。父のご示談でお念仏を申される身になられた方もある。今回も、「お父様のご法話は忘れません」「ずいぶんお育てをうけてきました」とか、「ほんとうに有り難かったです」など、複数の方からお声をかけてくださった。ただお名前とお顔が一致するのは数名だけだ。少しはお顔だけは覚えている人もいるが、初めてお目にかかる方も多い。それでも、おかげで皆さんと一層、親しくなった気がした。2日目の夜座では、お一人お一人がとても大切な御方に思えて、最後にお念仏のワークで締めくくった。

 一方的な法話でなくても、こんな形で寺院布教ができることが、ぼくにとっても大きな収穫となった。もちろん、これまでのお育てや、ご住職が示されたブレない方針が下地になっていることはいうまでもないが、これからの伝道布教の大きなヒントになった。ありがとうございました。
 

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イキイキした法座を、共に創造していきましょう

 京都支部法座をあえて、明日から3日間の寺院布教にお招きいただく。 華光会の永代経法要を前で、日程はハードだが、とても楽しみである。

 事前に寺報に掲載される巻頭の言葉を書いた。

 結局、華光の集いであろうが、寺院布教であろうが、ぼくの法座に臨む姿勢、態度のようなものである。3日間、楽しみである。

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 4月の別修永代経で、皆さまとの2年半ぶりの再会を心待ちにしています。
 ところで、皆さんは、お寺の法座をどう思っておられますか? 最近、ご講師の力量は上がり、知識も豊富、教義の裏付けもあり、話術も巧みな先生が増えています。でも、それに伴い法座が活性化されているかというと、そうともいえません。法座が、立派な先生の「結構なお話」を聞く講演会か、教義の勉強会のようになっていませんか。

 法話という伝道形式は、一方的なコミニケーションです。しかし正確には、決して一人では成り立たず、話し手と聴き手が、共に創造していく共同作業の場です。でも、テーマを出すのは話し手。ちょうど料理店でシェフのおすすめ料理を食べるようなものです。既知の講師なら、和食かフレンチかと、だいたいの中味は察しがつきます。だからそれを楽しみにできるが、常に主導権は説き手側にあります。どうしても、聴き手は、受け身で、おまかせのサービスを受けるだけで終わってしまいます。だから、何となく参詣し、「よかった」「眠たかった」「難しかった」…批評的な感想で終わってしまいがちですね。

 人と人との出会いは、予期せぬ化学反応も引き起こします。しかし法座は、人間の出会いだけを喜ぶ場ではありません。本来の法座は、人と人の出会いを超えて、私がご法に出遇っていく場です。浄土真宗でのご法は、南無阿弥陀仏の名号法です。私が南無阿弥陀仏に出遇せて頂く場だということです。つまり、ここに集うお一人お一人が、南無阿弥陀仏という、いま、ここに生きて働いておられる仏さまに、お出遇いをさせて頂き、ほんとうの幸せをいただく場なのです。ご本願の前では、僧も俗も、男も女も、聞法歴の長短も関係なく、平等です。ぜひとも一方通行の法座で終わらず、ここに集う人々が、共に聞き、ご法の喜びを語り合い、分かち合っていきましょう。もし本願に疑問がある方は、その不審を尋ね、また初めての方も臆せず、率直な思いを表明して下さい。そして、阿弥陀さまのお力で、「南無阿弥陀仏」に溢れたイキイキとした場を、共に創造していきましょう。

 そのために、ぼくも、精一杯、おのれを開いて臨む3日間にしたいと願っています。合掌

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四十八願のこころ(13)第二十二願

「たとひわれ仏を得たらんに、他方仏土の諸菩薩衆、わが国に来生して、究竟してかならず一生補処に至らん。その本願の自在の所化、衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被て、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめんをば除く。常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第二十二願・還相回向の願)

 二十一願からは、浄土に生まれ仏にとなった者に対するお誓いとなります。浄土でいただく勝れたご利益といってもいいですね。

 中でもこの二十二願は、その中心となる、とても大切な願です。随分、難しい言葉が並んでいます。親鸞さまのお示しを頂かないと、私達では、阿弥陀さまのお心を窺い知ることはできません。

 まず、最初に、浄土に往生したものは、その一生を終えた次生には必ず仏の位を補う、つまり必ず仏に成ると誓われています。それで、「一生(いっしょう)補処(ふしょ)」の願、「必至(ひっし)補処(ふしょ)」の願とも呼ばれます。

 ところが、親鸞さまは、その後の「その本願~除く」の文から、還相回向の願でもあると頂かれました。一生補処の次ぎに仏に成る菩薩でも、その自らの願いに応じて、浄土より穢土に戻って、苦悩の人々を救済するために、普賢の行-利他の慈悲行-を成そうというものは、その限りではありませんと、但し書きがあるからです。

  浄土に生まれる相(すがた)を往相回向、その浄土から穢土に還り、衆生済度する相を還相回向といいます。この往相・還相の二種の回向こそ、浄土真宗の一番の根本なのです。
 浄土に生まれたら、自分の楽や欲望(為楽願生)が叶うように想像してしまいますが、実は還相の菩薩として働かせて頂くのです。でも、自分中心の私には、衆生済度のような利他の心は微塵もありませんね。だから、往相だけでなく還相もまた、すべて阿弥陀さまの他力によるものなのだと、親鸞さまは教えて下さっています。

 「浄土に生まるる因も果も
  往(ゆ)くも還(かえ)るも他力ぞと
  ただ信心をすすめけり」(「正信偈」曇鸞讃の意訳)

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『マン・ダウン』~戦士の約束~

170405 『マン・ダウン』~戦士の約束~を観る。

 冒頭、何かの作戦なのか。二人の男が廃墟となったビルから息子を救出するも、出口で敵に囲まれてしまう。
 
 兵士が、前線の部隊の責任者に呼び出されて事情を尋ねられている。物語は、この男が海兵隊に入隊、訓練、美しい妻と元気な男の子の幸せを家庭、部隊の友との友情、そしてアフガン前線での任務作戦、さらに冒頭の場面につながる「作戦」と、場面や時間軸が行ったきりきたりしながら映画は進行していく。

 最初は、ちょっと冒頭場面がどうつながるのか分からなかった。しかし、物語が進むに連れて、バラバラだった時系列で整理されてつけて、事件の内容がはっきりとしくる。幸せの家庭にもいろいなきしみがある。そして、冒頭の場面が、衝撃的なラストを迎えるという展開だ。

 戦争のある事件によって、心的外傷後ストレス、いわゆるPTSDを抱えて苦しむ、元海兵隊員の悲劇を描いた作品だが、とても人間描写が秀逸だった。

 戦争とは、敵味方の殺し合いだが、敵を殺した者も、人間として殺されるということである。結局、勝者も敗者も、お互いからだを傷つけ合い、そして心も傷つけ殺していくのだといっていい。勝者も敗者も殺し、みな殺されるのが戦争の恐ろしさだということが、痛切に伝えるものだ。当事者だげななく、家族にも襲いかかる悲劇でもある。

 イラク、アフガンの復員兵の5人の1人(つまり20%)が、PTSD発症
 約20万人が、社会復帰できずホームレスになっている。
 そして、1日に22名もの自殺が計られる

 という最後の字幕も衝撃的。

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真宗カウンセリング研究会「総会」

 今年の総会で、ここ4年間続いてた会計の疑念が、解消された。その意味では、心機一転頑張ろうという気持ちにはなれる。

 ただ、その余波で事務局だけでなく、会計、パンフレット、会員管理と、ほぼすべての業務を引き受けることとなった。

 特に会計はいろいろあって立て直しがたいへんだった。
 昨年10月に、任期半ばでの前任者の退会をうけて、臨時で行うことになった。小さな所帯なので忙しくないが、懸念だった「ゆうちょ通帳」を作製したり、2年ぶりに会費請求をしたり、支出を押さえるたとめにパンフレットや会報を自前で作製したりと、とにかく仕事が集中した。

 でもその甲斐あって、一昨年、昨年と毎年7万円近く続いた赤字を、一気に解消することができたのは、うれしかった。不明だった「通帳」もできて、お金の流れも明確になった。会員整理でかなり会員数は減ったが、その分、新加入の方もあって、これからが活性化されていく予感もある。さっそく、4月にも新加入者がおられた。

 特に、今回の総会には、初参加が2名あって、お二人とも事務やPCに明るく、前向きな提案をいただいて、これまでの雰囲気とは違っていた。

 7月には「交流の集い」を開く。夕方には「臨時総会」を開催して、会員の皆様にこれまでの経緯と、代表交代を含め新体制についてご相談をさせていただく機会も考えている。

http://dbpca.web.fc2.com/2017.html

 身の丈にあった活動にはなるが、澱んだ空気を一層していきたいものだ。

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隠れた桜(2)~仏光寺を観ながら

Img_9535 仏光寺は、門の側にある染井吉野と、御堂の横に2本のしだれ桜がある。いつもは静かなお寺も、今日は華やかだ。境内には、洒落たカフェ、芸術系大学のグッズのショップが出来ていて、お客が増えていた。

Img_9897_2   ところで、京都は、桜の季節、遠近各地から観光客が押し寄せて、宿を取るのもたいへんである。例年なら、三月末には咲きImg_9544だし、四月上旬に満開を迎える。
 ところが、今年の開花は1週間以上は遅かった。開花後も気温が低く長持ちして、4月中旬まで楽しめた。

Img_9893 が、例年を見越し、3月末に食事の予約をされた方はがっかりだった。しかしそこも自然のなせる技で、人間が関知できないところに値打ちがある。ところが、桜が咲いていないことを怒るSNSや、桜を売Img_9894_2りする料理屋へ苦情が多数あったという記事を読んだ。

 残念だと愚痴がでるのが普通だろう。しかし怒りをぶつけるとなると責任転換も甚だしい。サーピス過剰の世の中で、金さImg_9943え払えば何でも叶うという風潮が恐ろImg_9902しくもあるし、思い通りにならないと拗ねる幼児のようではないか。

 残念に思う心情はそのとおりだが、叶わないことがあるからこそ、次ぎの楽しみや喜びも大きくなるというものだ。自然への畏怖の心を忘れ、ますます傲慢になる前に、ちょっと考え直さないとと思われた。

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阿弥陀経(2)十六羅漢

  今月から本文で、まず「序分」に入る。序分とは、お経の序たる部分で、一般の序章にあたる部分だ。ここは阿難尊者のお言葉である。
詳しくは、証信序(通序)といわれ、全てのお経にほぼ共通した部分。この説法が信ずるに値する証拠を挙げられるが、それが六事成就である。(なお、阿弥陀経には、発起序がないことは、前回解説した)。
 六事とは、
一、信成就=「如是」 かくのごとく
二、聞成就=「我聞」 われ聞きたてまつり
三、時成就=「一時」 ひととき
四、主成就=「仏」  仏
五、処成就=「在舎衛国祇樹給孤独園」 舎衛国の祇樹給孤独園に在しまして
 舎衛国とは、コーサラ国の首都。マガダ国(王舎城)と並び当時の二大強国で、波斯匿王が治めていた。
その中に「祇樹給孤独園」-舎衛国の祇陀(ジェータ)王子、大富豪の給孤独園(スダッタ)長者の黄金を敷きつめる逸話から起ったので、「祇園精舎」と呼ばれている。
の5つと、衆成就、すわなち聴衆のことである。

 さらっといってもよかったが、今回は、阿弥陀経の会座に集う人達を、じっりく窺っていた。
 大別すると、次ぎ3種の人々になる。

六、衆成就=千二百五十の仏弟子(十六阿羅漢他)と、菩薩(四菩薩他)・帝釈天等の天と大衆

(1)「大比丘衆千二百五十人倶」-大比丘の衆、千二百五十人と倶なりき。

十六羅漢=(1)*舎利弗(智慧第一)・(2)*摩訶目ケン連(目連・神通第一)・(3)*摩訶迦葉(頭陀第一)・(4)*摩訶迦旃延(論議第一)・(5)摩訶倶チ羅(大住・得解第一)・(6)離婆多(舎利弗の末弟)・(7)周利槃陀伽(周利槃特)・(8)難陀(釈尊の異母弟・調伏諸根第一)・(9)*阿難陀(阿難・釈尊の従弟・多聞第一)・(10)*羅ゴ羅(釈尊の実子・密行第一)・(11)キョ梵波提(牛王・解律第一)・(12)賓頭盧頗羅堕(獅子吼第一)・(13)迦留陀夷・ (14)摩訶劫賓那(比丘教誡第一)・(15)薄拘羅(長寿第一)・(16)*阿ヌ楼駄(阿那律・天眼第一)=*十大弟子(7名)
                            
(2)「諸菩薩摩訶薩」もろもろの菩薩・摩訶薩
(1)文殊師利法王子・(2)阿逸多菩薩(弥勒)・(3)乾陀訶提菩薩・(4)常精進菩薩

(3)「釈提桓因等・無量諸天・大衆倶」
帝釈天等の無量の諸天(流通分から、阿修羅も含むと思われる)
大衆(一般市民)と倶なりき

となる。

 主に十六羅漢といわれる釈尊の高弟たちについてだ。

 大乗経典では、声聞方は一段低く扱わるが、本来は、釈尊の右腕、左腕となり、異教徒の殺害されるのも畏れず、仏法を弘通された先達たちである。また釈尊亡き後も、その衣鉢をつぎ、教団を維持し発展させた、仏法の大恩人の方々だといってもいい。それぞれに物語があるので、主な方だけでも山辺習学先生の『仏弟子論』を参照しながら頂いた。尊かったです。

 

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浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ

Img_9158 ご本山の伝燈報告法要記念の、龍谷ミュージアムでの「浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ」に行く。

 Ⅱとあるのは、昨年の秋に「Ⅰ」も鑑賞に行った。名宝展とあるので、本願寺の所蔵の国宝の名品も展示されている。が、なぜか西本願寺所有するのは、「本願寺三十六家集」とか龍大が所有の「類聚Img_9155古集」といった歌集ばかり。美術品としては超一級品かもしれないが、まったくお念仏の教えとは関係ない。もちろん、法宝も展示されているが、そのほとんどが末寺の名号や阿弥陀仏像であって、本願寺所有のものは少なかった。第一期と同様、歴代ご門主の肖像画が順番に展示されるのが、第1室のメーンである。

 もっとも期間限定(1週間ほど)で、Ⅰ期は「鏡御影」、Ⅱ期は「安城御影」と肖像画は展示されるようだが、聖人直筆はなし。若き日の筆の「観無量寿経註」とか「阿弥陀経註」。せめて「清書本」でいいので「教行信証」といって、聖人ゆかりの著作ももっと惜しみなく展示してもらいたかった。

 確かに本願寺の名宝に違いないのだろうが、絵画や書といった美術品よりも、もっと教えに直結したもの、もしくは信仰の対象となるものを展示してもらいたいという欲求不満は残った。

 もっとも共に招待券で鑑賞だったので文句は言えません。有料なら、、、、ぼくはパスする内容かな。

http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html

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新規開店!浅野屋洋食店

Img_9877 今回の懇親会の予定はなかったが、浅野屋洋食店の移転を前に、お披露目を予たお話が舞い込んできた。移転後のオープンは先で、プレオープンもあるのだが、今回は、一番最初にお招きいたたいだ。
 最寄り駅は、地下鉄の「今池駅」。3番出口をでると、徒歩で6分ほImg_9881ど。少し大通りからは離れているが、まっすぐずっと歩いて、最後右折をするだけなので、道は難しくはなかった。

Img_9883 父の揮毫した浅野屋ののれんも、「無碍道」の看板も引っ越してきている。奥に、4名・4名のテーブル席と、カタンターだけなので、前よりは少し小さなお店になっている。

Img_9882 引っ越し直後のたいへんな様子を聞いていたので、心配してながらのお邪魔したが、苦労の

Img_9887_3 甲斐あって、とてもきれいになっていて驚いた。特に、奥のスペースは、8名なら半個室のようになるので、こじんまりと使いやすそうだ。

 最初の最初ということで、ワインも、泡、白、赤(イタリアの最高級ワイン)を振る舞ってもらい、飲んベーは、おおいに盛り上がった。おいしい料理とワインに釣られて、肝心の内装・お店の様子を撮り忘れImg_9889てしまった。それは姉のブログで。

 http://asanoya.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/no600-8c3b.html

 以前に比べるとこじんまりしたお店なので、ご予約の上お出でください。
 

 

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東海支部平日法座

Img_9858  名古屋での東海支部法座。地下鉄の栄駅からすぐに教育会館が会場。最初、かなり迷ったが、おかげで2度目以降はすんなり行けるようになった。が、今回も出口を間違って、少し苦戦。テレビ塔が見えなかったからである。

Img_9861 いろいろな思惑であって平日開催だ。週末は法座が目白押しのぼくにはとても有り難い。寺院布教では、平日法座は当たり前だが、参詣者は、年輩の奥さま方を中心に、リタイヤされた男性がチラホラという感じ。もっともお寺の場合、週末でも若い人が多い訳ではないが…。

 華光の集いでは平日はないのでどんな顔ぶれになるか楽しみ。しかも、午後からではなく午前と午後の2座の法話だ。

 案の定、午前は少な目。最初から、車座の机の配置。初めての方もや2度目におめにかかる方もおられた。法話は「何を」「どう」聞くのかで、午前と午後を通すつもりだっだが、急遽変更。例によって、最初から車座でのテーマでの分かち合い。一人を除いて、みなある会の出身。でも、同じ会のご縁とはいえ、その経過や思いはみんな違うのが面白い。

 午後は、かなり人数が増えた。何を聞くのかのテーマで、しっかりと要点のところをお取り次ぎ。ここでは初参加の方が母娘で。やりは例の会からの参加者。自分のところでしっかりと語れる方で、これからが楽しみだ。

  当たり前のことだが、平日だろうが、週末だろうが、聞法には関係なく、参詣するかたお出で下さるということ。

 

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『浄土法門源流章』を読む

  浄土宗教学院の提携講座を受講する。
 昨年は、法然聖人の『漢語燈録』に収録されている『類聚浄土五祖伝』で、3番目の善導法師、4番目の懐感禅師、そして5番目の少康法師まで読み終えた。

 今年は何が始まるのかと思っていたら、『浄土法門源流章』だという。

 まったく予想していなかった。浄土真宗では聞き慣れないお聖教だ。しかし『浄土宗全書』には収録されている。それにしても一般の講座向けとしては、かなりマニアックな選択だ。もっとも著者は、高名な凝念大徳である。ぼくもこのブログで、いま『八宗綱要』を読んでいると書いたことがある。『八宗綱要』がすごいのは、もう七百年前の著述であるにもかかわらず、いまでも仏教各派の入門書として読み継がれていることだ。手元にある講談社学術文庫のサブタイルは、「仏教を真によく知るための本」と書かれている。しかもそれがわずか29歳の時の著述というのだから、驚きである。まさに八宗兼学の天才であったのだ。

 凝念大徳は、『八宗綱要』の著述を皮切りに、実に百二十五部、千二百巻にも及び著作があるというのである。しかもそれは、華厳、律、真言、聖徳太子の三経義疏に、浄土の教えと多岐に渡っている。もちろん仏教通史ともいうべき概説論なども顕しておられるのである。

 その彼の最晩年、七十二歳で顕したのが『浄土法門源流章』である。彼は二十二歳の時、法然門下の覚明房長西より善導大師の『観経疏』を学んでいるのだ。大徳は鎌倉中期、法然聖人没約30年に生まれ、親鸞聖人とは同じ時代を生きておられる。といっても、聖人が亡くなった前後に浄土教を学んでおられることになる。

 彼は東大寺戒壇院の中興第二世として活躍される。律宗には、法然教団を批判された解脱房貞慶上人(興福寺)や、やはり華厳や律宗で活躍され、猛烈に法然さまを批判された明恵上人などが、一世代前の先輩におられる。解脱上人も明恵上人も、南都仏教を復興され、特に戒律復興を遂げられた方々である。その後継者の立場におられる方が、法然門下に弟子入れされ念仏の教えを学び、その歴史や教義をしっかりとまとめておられるのだ。だからますます、当時の日本の浄土教の立場、法然門下の情勢を伝える書としても貴重なものだといえよう。

 今日は、最初の浄土三部経を原文で購読したが、ものすごく久しぶりに「勉強しました」という充実感を味わった。学生時代よりも、ずっと(100倍以上)面白いです。

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京都府立植物園の桜

Img_3209 例年、春は母と一緒に桜を観に行く。秋の紅葉と同じ恒例行事となっている。行ける場所の制約が増えてきた。今年は、母のリクエストで府立植物園へ。ある京都同人の強いおすすめだ。ただ広いのでImg_9663歩くのがたいへんじゃないかと思ったが、砂利道ではないこと、段差がないことが、決め手となった。砂利道で段差があるお寺の方がたいへんになってきた。

Img_9846  今年は桜が遅かった上、満開なってから、気温が低く長持ちしている。ただ天気はよくない。今日も曇り空で、風も強くて、かなり肌寒い。折畳傘はもっていたが、雨の合間で降らずによかっImg_9661_2た。

 途中、二条城を通ったら観光客で賑わっている。鴨川沿いを進むと土手の桜は満Img_3194_2開に近く美しい。三方を低い山に囲まれて、市街地を流れる鴨川からの風景が、京都しらい景観のひとつ。

  植物園は人手はまあまあというところ。駐車場も混んでなかった。光地とは違うのImg_9704か、それとも夜桜に人気があるのか。、桜はととても見事だった。

Img_9751 しかも実にさまざまな種類のものがある。山桜にしてもいろいろある。白色が強いのもからピンクかかったもの、そして赤色と、グラディエーションが美しい。チュリープも見ごろで、赤とImg_3207_2_2白の対比が面白かった。

 大きく染井吉野系と、枝垂れ桜系のものにエリア大別されていたが、何事にも複合というのか、中間のものがある。

 枝垂れ染井吉野。ふーん、知りましせんでした。(右の写真→)Img_9833_2

 さくらエリアとは別に、枝垂れ桜の巨木が1本あった。こちらも見事で、淡いピImg_9638ンク色で、上品な花をつけていた。(↑上の写真)

 母も元気でゆっくりではあるが、自力で歩くことができて、さくら以外のエリアも見ることができた。温室に入りそうだったが、ぼくはこれからまだ次ぎの勉強会の予定があったので、ちょっと早めに切り上げた。元気でなによりかと、、。
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バー ジョンアップ~4月の東京支部法座~

Img_9615  4月の東京支部法座。あいにくの天気である。

  全国でもいち早く桜が開花した東京はもう散り始めているが、まだ会場までの公園の桜がきれいだった。長持ちである。

Img_9612 支部長さんが交代し、急遽、支部法座が年6回の予定が、毎月行われるようになった。意欲的なのは結構だか、参加者はたいへんなのかもしれない。その余波か、初日のお参りはこれまでになく少なく、お泊まりも最低人数とちょっびり寂しかった。

 それならば、少人数ならではのことをやりたかった。歎異抄14章の用意もあったが、皆さんに計って、昼座も夜座も通して座談会をおこなう。といってもフリーな非構成なものではなく、指向性をもった、テーマを設けた座談形式だ。
 福岡では導入程度のつもりだったが、盛り上がって一座が、それだで終わった。それで、初めての方が多かった北陸法座でも行ったら、時間内で最後まで終わらない程、活発であった。その直後には、予想外の方が、5月の「真宗法座の集い」を申し込まれて、びっくりした。

 ということで、今回は、かなり確信をもちながら進めることができた。丸1日を3つのテーマでの語らいで通すところまで、バージョンアップしてきたのである。
  
 10名足らずと人数も手頃、顔見知りばかりで、緊張や構えが少ないということも、幸いした。

(1)なぜ、ここ(華光の集い)に参加されるようになったのか。その出会いと、ご因縁(特に外縁)を具体的に語る。
(2)では、なぜ聞法を続けようと思われたのか。その内なる動機。正解ではなく、ほんとうの内にある動機を、具体的に語る。
(3)いま、私の課題、問題点、悩みなどについて、率直なところで語る。

 というもので、それぞれを順番に語り、その後で分かち合うということを、3回に渡って行った。ぼくも、一参加者として、華光との出会い、なぜ聞法に興味をもち、どんな内なる動きがあったのかも、そして、いま、僕自身の課題も、率直なところを聞いていただいた。

 それにしても、皆さんのことを全然わかっていなかったんだな、と思わされた。何十年もおつきあいのある方のことでも、新たに聞かせていたただくことが多くあり、驚いた。結局、人のことは知っているようで、何も分かっていないのだという当たり前のことに気付かされた。
 そして、リラックスして、といって雑談や飲み会ではなく、しっかりと自分を開いて語っていただくことが、その方にとっても収穫があるが、同時に、それが皆さんにも還元されて、法話を聞くのとはまた一味違う、それぞれからご法を聞かせていただくように感じられた。

 これからも機会があれば、さらに工夫しながら勧めていこうと思います。

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吉崎(2)蓮如の里 

Img_9380 御山からおりて、西別院(写真1~3)、東別院(写真4~7)にお参りし、宝物もみせていただく。ここでも(お東)では丁寧な説明をいただいた。まもなく京都の本山から蓮如上人像が吉崎まで旅をされる「御影道中」があるという。Img_9388

 途中にある吉崎御坊願慶寺(写真8)は、「嫁威しの肉付きの面」だけでなく、史実をImg_9391詳しく説明してくださるが、今回はバスした。「御坊の本家はここ!」的Img_9394な標示が、至るところに掲げられいる。主張はなるほどと思ったが、景Img_9399観的にはちょっと興ざめ。

 その代わりに、蓮如上人記念館に向かう。いわゆるお東騷動での法主側「東本願寺派」である。

Img_9400_2 正面の立派な建物に入ろうとすると、ここではないという。隣の小さな地味な建物が入り口。

  この立派な方はなにか。レストランやお土産屋。なるほど、それで「営業中」の看板なImg_9407んてすね。記念館の方がぐーんと地味でびっくりしたが、拝観料を払って入場。「お時Img_9417_2間大丈夫ですか」といわれて、一時間以上も丁寧な説明をして案内くださった。蓮如上人の六字名号を中心にした蓮如上人のお名号が、時代や様式で分類されてたくさん展示されていた。

http://honganjifoundation.org/rennyo/index.htmImg_9420

 お庭は、五重の義をモチーフにしたもの。凡Img_9444人に、なぜここが「宿善の野」だとは分からないが、話のネタに写真をとった。桜はまだだが、梅や桃は花盛り。

 結局、2時間近く吉崎をお参りさせてもらった。さすがに蓮如の里である。ただあImg_9437まりにもさびさびとしていたのは平日だから? 御山や東別院では誰にも会わず、西Img_9395別院でお1人、そしてここで老夫婦と、2~3名にしか出会わなかった。その分、どこにいっても、丁寧にお話いただけたのは有り難かった。
大丈夫ですか」といわれて、一時間以上も丁寧な説明をして案内くださった。蓮如上Img_9440人の六字名号を中心にした蓮如上人のお名号が、時代や様式で分類されてたくさんImg_9432展示されていた。

  お庭は、五重の義をモチーフにしたもの。凡人には、なぜここが「宿善の野」だとは分からないが、l一周したら信心が深まるというご利益(?)があるそうなので、話のネタにImg_9438写真もとった。

  結局、2時間近く吉崎をお参りさせてもらった。さすがに蓮如の里である。ただあまりにもさびさびとしていたのは、平日だったからか。御山や東別院では誰にも会わず、西別院で1人、そしてここで老夫婦と、2、3名にしか出会わなかった。

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吉崎(1)御山(御坊跡)

Img_9336_2 久しぶりに吉崎御坊にお参りする。子供たちときたのは5年ほど前か。連れ合いは、「たぶん初めてだろう」といっている。

 ナビどおりに進むと、東西の別院を通らずにいきなり吉崎御坊跡Img_9349(御山)に着く。いつもは徒歩でここまでくるので、車で入れることに驚いた。蓮如上人のさまざまな遺稿をお参りしていたら、東別院の方がImg_9360_2こられて、パンフレットと説明してくださる。

 ここは、大谷破却のあと、たびたびの難を逃れた蓮如上人が、「虎狼(ころう)のすみなれしこの山中」に開かれて、あっというまに未曽有の仏国土に発展すImg_9332る。上人、57歳の時。しかし、時代は戦国の混乱期。加賀の守護、Img_9375_2富樫氏との抗争に巻き込まれることを避けられた上人は、4年あまりでこの地を退去されることになる。

 御山には、お手植えのお花松(吉崎七不思議のひとつ・写真1)、本堂跡(写真2)、腰掛石(写真3)に、腹籠Img_9353_2もりの聖教で有名な本向房了顕師のお墓(ただし近代の石碑・写真4)や、上人の第Img_9352四女で26歳で逝去された見玉尼のお墓(写真5)、などが点在しているが、その中心に、高村光雲作の蓮如上人像がお立ちになっている。なんでも彼の四大作(上野の西郷さん、宮城(きゅうじょう)の楠木正成、博多の亀山天皇像)だそうだ。(火事の時、カニの大群が消火にあたったImg_9365という七不思議の故事から、カニの飾りだった)

 蓮如上人が愛でられた北潟湖や鹿島の森の風景は、昔も変わらない。サクラまつりにはまだ早かったが、1本だけ早咲きのサクラが咲いていた。開花するとまた花をそれるだろう。

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隠れた桜(1)~平等寺(因幡薬師)~

Img_9559  北陸の桜は蕾だったが、京都の桜は咲き出してた。例年より1週間以上は遅れているで、長く楽しめそうだ。

 新学期となり、今年度も仏教大学四条サンターの一般講座を聴講Img_9583することにした。3講座を受けるつもりだが、大乗仏教の立場からの「仏教入門講座」と、「仏・菩薩とは」の二つは、大乗仏教の立場からのお話。もうひとImg_9557つは、「浄土法門源流章」の原文講読だ。

 帰路、道沿いにあるお寺の桜を少し見る。別に有名な桜の名所ではないが、境内Img_9564の桜がアクセントをそえている。

 烏丸の高辻を下ったところにあるのが、平等寺、因幡薬師である。平等院ではなImg_9568い。http://inabado.jp/index.html 
 以前、ここを会場に、1週間の間毎日通って、インド人の先生から呼吸法を教えてもらったことがあるので、ちょっと馴染みがあImg_9584る。市内の中心部、ちょうど六角堂のような感じのお堂で、境内も狭いが、正面からは見えない本堂の奥の左右に、3本のサクラがあImg_9582_2る。1本はもう満開に近い。

 最後に、東本願寺の桜を、門の外から眺めた。

 まだ肌寒いが、もうすっかり春爛漫。Img_9571
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温かい一言

華光同人のお孫さんに当たる方の三十三回忌法要。

  散る桜 残る桜も 散る桜

享年十四歳。あまりにも早すぎる突然の死だった。春休み、明日から学校という夕方、学習塾へ「行ってきます」と言葉が最後となる。目撃者のない交通事故だった。
とにかくまだ学生だったぼくにとっても、印象深いことがたくさんある。当時、七日七日のお参りの間、学習机の上は彼女が出かけたままで、時間が止まっていた。元気な声で「ただいま」と帰ってこられるかのようだった。

それから33年もの月日は流れた。学生だったぼくも、すっかり中年だ。父も亡くなっている。
ご姉妹も、ぼくと同じ世代になっておられた。それぞれの業縁とはいえ、人生はほんとうに厳しい。

お姉さまが、そのとき覚えていることのひとつが、父の言葉だと教えてもらった。

火葬場でのことである。逆縁なので、両親は焼場にはいかれなかった。そのふたりの姉妹に、父が、「『かわいい妹さんのまま覚えておいてあげて』と、骨を拾わさずに帰してくださったというのである。その言葉のやさしい響きが、胸に迫る。三十三年前のことが、たった一言で、今のことのように、そこにいる人達の涙となった。

ぼくにとっても、父の発した意外な言葉だった。それでも、三十三年たっても、その暖かい言葉が、人の心に残っていることに感銘させられた。

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伝道研究会~即得往生~

安心論も、最後の得益論にはいって、まず現益(この世で受ける御利益)から窺っている。

今月は、「即得往生」について。

これは、第十八願の成就文に「即得往生 住不退転」とあるところだ。
当面は、当来生であり、往生は、浄土往生のことを意味するので、即は、異時即。十八願の念仏行者が、命終して、浄土往生して(彼の地で)不退転に住するという意味であった。
しかし聖人は、この「即得往生」を、この世で受けるご利益と理解されたというのが、大きな特色である。つまり、死後の浄土往生ではなく、現生正定聚のことであり、信の一念の端的に、往生決定のご利益を得る(信益同時)という真宗教義の特色を明示されたものである。それで、もし十八願の念仏者が浄土に往生する「難思議往生」と同一視するならば、一益法門(この世で成仏を受けるとの邪義)理解に陥る恐れがあるので、よく心得る必要があるということになる。

それついて聖人は、『一念多念』には、

「即得往生といふは、即はすなはちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり。得はうべきことをえたりといふ。(略)すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まるを往生を得とはのたまへるなり。」

とか、『唯信鈔文意』でも、

「『大経』(下)には、「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまへり。(略)「即得往生」は、信心をうればすなはち往生すといふ、すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ、不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり、これを「即得往生」とは申すなり。即はすなはちといふ、すなはちといふはときをへず日をへだてぬをいふなり。」

と頂かれている。つまり、「即」の字には、(1)即には、「すなわち、ときをへず、日をもへだてぬ」-つまり時間的な同時即の意味と、2)即位というように、その位に「つく」という意味がある。また「得」の字を「うべきことをえたりといふ」と味わっておられる。つまり、得べきこととは、未来世の往生、えたりとは、現生即得を言う。つまり、即得往生とは、聞信の一念に同日に往生すべきに確定し得るという意となる。

詳細では、
(1)「即得(つきさまだる)往生(現生正定聚)」=現世
(2)「即得」(浄土往生の真因決定し満足する・六字釈の解釈)・「往生」=当来世
という理解もある。

いずによせ、現得往生は、ご信心の利益として、現生において受けるもので、それは信の一念の同時に、現生正定聚の位に住することであって、決して、命終わった後の往生即成仏という意味での「往生ではない」というのが、浄土真宗の基本となっている。

「本願を信受するは、前念命終なり。「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。
 即得往生は、後念即生なり。「即のとき必定に入る」(易行品)と。また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。『愚禿鈔』

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兼六園の日本武尊像

Img_3155_2 昼で法座は終わるので、その後、兼六園と金沢城を見学した。

 昨年は、兼六園でも満開の桜が満喫できたが、今年はちょっと残念。Img_9236_2

 でもまだ梅を楽しむことができた。1本だけだが早咲の桜もあった。

Img_9249 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像を発見した。昨年は、気付かずに素通りしている。

 今年は、ちょっと興味をもっていたのだ。何でもハトなどの鳥が、絶対にとまらないのだそうだ。そのことを研究し、イグノーベル賞を受賞した学者さんのことを深夜番組にした。日本では、もっとも古い銅像らImg_9251しいが、鋳造の過程で、鳥が嫌う成分が含まれているのだそうだ。そんな研究が何のためになるかというと、害鳥駆除に役立つというのである。なるほどね。

Img_9256_2 そして、もうひとつ感心したことがある。ガイドさんの説明に耳が入ってきたが、両脇に立派な松(お花松)は、東西本願寺の御Img_9285門跡(説明のママ)が、競うように寄進されたものだという。その意味では、明治期(西南の役以降)のことで、加賀藩の前田家とImg_9280_2はゆかりのないものだが、東から寄進された松は、兼六園でも1、2を争うほどの立派な松だそうだ。確かに、すごい枝振りだ。明治維新以降、政治的には、長州側(新政府)にあったお西に比べて(幕末には新撰組が睨まれた)、徳川側のお東は劣勢になったので、盛んに新政府にすり寄っていくのだが、もしかすると、こんなところでも頑張ったのかもしれない。
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  ≪早咲きのサクラ。この樹だけ咲いていた↓≫
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新潟・北陸支部法座

Img_9185  ちょうど一年ぶりの新潟・北陸支部法座だ。

 昨年の法座と同じ2日は、桜が満開だったが、今年はまだ蕾で、一輪も咲いていなかった。それでも、ここからの眺めは美しい。浅野川の流れに、遠く白山の山々が眺望できる。

Img_9191 新年度の初日ということで、ちょっと参加者は少なめだったが、初めてお会いする方が4名おられた。皆さん、真剣に聞いてくださる。また、法座の雰囲気や、法話内容にが新鮮で、かなり驚かれたようだ。特に2日目の朝座は、座談会で通して、温かいいい法座となった。

Img_9197 テーマは、何を、どう、聞くのか。特に、何を聞くのかをメーンに、2席お話した。

 親鸞さまは、成就文の「聞其名号」の「聞」をご解釈されて、「仏願の生起本末を聞いて」(信巻)と仰った。
 一方、蓮如さまは、同じく「聞其名号」から、「南無阿弥陀仏の六字のいわれをよくききひらき)(3-6通)と仰った。

 つまり、親鸞さまは「仏願(本願)の生起本末」、蓮如さまは「南無阿弥陀仏の六字のいわれ」と言われた。これは同じことなのか、それとも異なることなのか。もし同じとするならば、本願と南無阿弥陀仏は、どんな関係になるのか。あらためて問われてみると、皆さん、戸惑われる方が多かった。

 中には、「本願が親で、名号が子です」といわれた方もあった。それで、「親子ならば、悟朗先生が本願で、ぼくが名号になりますよ。親子といえども、まったく人格が違うのですが、本願と名号もそうなんですか」と言うと、困っておられる。どうやら、娘(名号)-嫁(信心)-子(称名)の法話と混乱されているのだろう。

 よくご聴聞されている方なら、当たり前になりすぎて、あらためて問われると困るようだ。

 そこで、(こんな言葉あるのかどうか知らないが)「法格の上では、本願と名号になりますが、人格(正確に仏格)的には、どうですか」。と尋ねると、「本願」は法蔵菩薩、「名号」は阿弥陀さまです、お答えができる。そこではっきりしてくる。お正信偈でいうならば、本願は「法蔵菩薩因位時」。つまり、因位にある時が本願。それが成就し果上でいうならば、名号となる。決して、別人格の親子ではないので、そこをお正信偈で確かめていくと、皆さん、深く頷かれる。

 そんな風に、ひとつひとつ確認しながら、「生起」とは、「本」とは、「末」とは、、そして六字も、二字と四字に分けて、丁寧にお話もうした。いつも聞かれていることだろうが、あらためて阿弥陀様の大悲のお心を新鮮に聞いていただけたのではないだろうか。Img_3536
       昨年4月1日のさくら
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