福岡法座での分かち合う
博多は、「しゃぶしゃぶ・あり田」での九州支部法座。
初日の法座は、導入の法話はせずに、いきなり分かち合いから入った。
といっても、テーマを設けたほうが、話題も出で活性化されると思ったので、
1、「それぞれの仏法とのご縁」(最初のお誘いのきっかけなので外側)、
2、(なぜ聞法しようと思ったのか)「内なる動機」
3、「いまの私の課題、悩み、問題点」など
の3つである。15名ほど、スッスと進むかと思ったら、皆さんが雄弁に語る方が多くて、1、2が終わったころで、もう100分は立っている。休憩を挟み、3、課題を一口ずつお尋ねしていった。
これだけ長くなるとは思わなかったが、一人として同じものはないのが面白い。しかも、「正解」がある問いではないので、皆さん、イキイキとお話くださった。同時に、3の課題一つでも、それぞれの人柄とか、もしくはそれぞれのいまの立場や聞法の姿勢が、すっと立ち上がってくるようでよかったのではないか。
また、2にしても、それぞれが異なるのがいい。中でも、
「自由に成りたい。開放されたい」という願いから聞法された方が、世間の業は逃れれないが、しかし、ご法の上で自由自在になることを知らされたとか、
また「ほんとうのこと、真実か聞き方という方」は、そこで、「お前は虚仮不実で、まことはない」と指されている真実に出会われたが、ほんとうのことが知ってうれしかった、という話しなどが印象に残った。
ぼく自身は、死ぬことの不安が大きい。加えて、何不自由ない恵まれた人生を歩ませてもらってきたが、常に一人というのか、空しさを感じてた青年期の孤独感が、聞法の大きなきっかけになったことをお話させてもらった。
昼座は、たっぷり話し合って、まるで法話を聞くようでもあったし、密度が濃くなって、けっこう聞くのも疲れたが、有意義な分かち合いになったのではないだろうか。
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