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2017年3月の7件の記事

第41回講習会~『歎異抄』(4)~

 『歎異抄』に入って、4回目の講習会だ。異義篇の後半14~18章をいただく。

 正直、馴染みの薄い章ばかりだ。第1回、第2回に比べて、異義篇に入ると参加者が減ってきたのも、致し方ないのかもしれない。それでも、今回からの参加者もあり、皆さんと一緒に味読させていただいて、ぼくにとっても貴重な時間であった。

 さて、歎異抄は、前半の親鸞聖人のお言葉を伝える聖語篇が人気が高い。全編が端的な力強い表現で語られ、時には意表をつく鋭い言葉で、現代人の心も打つものだ。教義上からもみても、後の学者が「唯信訓」と名付けた第1・2・3章が重要で、特に第1章の歎異抄全体を総括する重要な章だ。

 それに比べて、後半の異義篇は、親鸞聖人の教えと異なる当時の異義を批判し、唯円房の耳に残る聖人の教えを伝える部分で、前半に比べると回りくどく長い章が多い。そのせいもあって、どうも省みられることが少ない。それでも、異義篇の前半の第11章・12章・13章は、聖語篇の唯信訓の第1・2・3章に対応する部分なので、読まれることは多いが、今回取り上げる14章以下は、一気に関心が低くなる。ぼくがもっている歎異抄の解説書(もちろん、すべてを網羅しているものが大半だが)をみても、「聖語篇」だけを取り上げたものがあれば、そこに「後序」を加えたもの、もしくは第13章だけを加えたものもある。中には、「11章以下は、現在は見られない異義なので、原文のみを載せます」と、わざわざ断ってある解説書までもあるのだ。

 でも、しかしである。

 ほんとうに今は読んでも仕方ない意味のない異義なのだろうか。そう捉えては、『歎異抄』の本質はまったく分かっていないことになる。唯円さんがほんとうに書きたかったのは、この後半の異義篇である。親鸞聖人の亡き後、面授口伝の直弟子の、その薫陶を受けた(つまり聖人から孫弟子)もののなかに、聖人の教えに背くことを言い出すものが出来たというのである。まだ教団として礎もなく、教義も確立していないのだから仕方ない部分もある。すでに聖人が京都在世の時でも、関東ではさまざまな混乱があったことは、聖人のお手紙からも窺うことが出来る。それにしてもである。聖人のご往生から20数年で、孫弟子のところで、勝手なことを言い出して、同室の念仏者を混乱させいるというのだがら、いかに真宗の安心が、難信で、また微妙なものかが窺えしれるのである。

 だからこそ、唯円さんは、泣く泣く筆を染め、聖人の教えと異なる異義を綴り、同室の念仏者の不審に答えようとされたのである。そのための正しいはかりとなるように、前半の記述があるのだから、やはり後半も頂かないと、前半の聖語篇のこころを深めることはできないのではないだろうか。

 それに異義者の心情を察していくならば、第17章や第18章のように、一見荒唐無稽な異義も、今日の私たちにも通じる迷いの根があることが窺えた。特に、善悪にとらわれること、その結果を畏れること、そして自力に執着し、もしくは学解(学問)的な聞法が幅を効かしたりということなのだがら、これらは今日の私たちの上での聞き間違いにも通じる異義だといってもいいのだ。
 
 今回、華光誌と平行しての準備はたいへんだったが、こんなことでもないと、真剣に、集中して勉強させてもらうこともない。しっかり学んでこなかった14章以下だったので、ぼくの中でも新たに気付かせていただくことも多々あって、その度に、何かご褒美をいただいた気持ちにもならせてもらった。各章の詳細に触れる機会があれば、また綴っていこう。
 

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3月の高山支部法座~自策自励して~

Img_9050  3月の高山支部法座。

 電車で一人で行く予定だったが、急に、連れ合いも参加できることになって、車で高山へ。高山までは、だいたい3時間30分くらいだ(帰路は、複数の事故渋滞に巻き込まれて、6時間近くかかったImg_9068が)。3月に入ってから雪の心配はなさそう。関が原から岐阜方面は、まったく雪はなかったが、さすがに飛騨国に入ると回りImg_9071_2は雪景色。特に、今年は積雪が多くて、たいへんだったようだ。こあたりは標高も高く雪が溶けずに残っている。ここまでくると、雪山も美しい。それでも、ピークはすぎているので、今回はノーマルタイヤでもまったく問題なかった。

Img_9055 新しい支部長さんが工夫をして、こんなプログラムを作製されていた。初めての方が和むようにと、かわいいイラストも入っている。毎回、利用できるように、バーツが磁石で留められるにもしてある。隙間の部分には、

「おのおの聞け、強健(ごうごん)有力(うりき)の時、自策自励(じしゃくじれい)して常住を求めよ」

という往生礼讃の御文。悟朗先生に何度もご法話を頂き、皆さんも馴染みが深い。たまたま今年の年賀状に、ぼくがこの御文を一筆したことで、そこを受けてくださったというのである。

 小さなことかもしれない。それでも、初めの方へ少しでも柔らかく伝わればという配慮がよく伝わってくる。これもまた、新しい支部長さんの自策自励の姿として頂いた。どうか、人任せのご法座、先生まかせのご法話にしないで、どんな小さく見えることでも、おのおのが工夫し、参画くださることが、法座の活性化につながるのではないだろうか。

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創意と工夫の法話

Img_8926   寒中子供大会。参加者が集まりが悪く、世話役はお誘いに苦労された。仏青世代も、大人も少ないが、寒中子供大会なのに、子供の参加者が特に少なかった。幼児も含めて、どうにか開催にこぎつけた。

 にも関わらず、法話担当の生方は、いっさい手抜きをされない。母も言っていたが、人数が少なすぎると、準備にも力が入りづらい中で、子供たちが飽きないようにと、何枚ものかわいい絵を描き、クイズを出し、ギターを弾いたり、馴染みのある歌を歌ったりと、その創意と工夫の熱意には頭が下った。皆さん、仕事を持ち、または子育てを真っ最中に、Img_8977時間を割いて準備をしてくださっているのだ。中には、準備の途中で眠たくなったので、セロハンテープを瞼に張ってまで頑張たという方もあった。いつもは子供たちの感想文を中心に「はちす」を発行するが、今回は、先生方の法話を「華光誌」に掲載してほしいとの声もでた。ただ、視覚や聴覚にも訴えた法話だったので、ただ文字を観るだけでは十分に伝わらない点があるのは残念だ。次回の機会には、先生方のこの並々ならぬ熱意にImg_8982触れていただきたい。

 それにしても、子供たちは正直だ。興味のあることには集中できるが、すぐに飽きてしまう。大人と違うのは、それがすぐに態度に現れる。あくびをする、「エー、まだあるの」と正直に言う。幼い子は、じっとしImg_9031ておれずに歩き回るものもいる。

 では、私たちは、それとどう違うのか。大人は、しつけていただいたおかげで、じっと座っていることはできる。しかし、退屈になると居眠りし、他所事を考え、心はここにはあらだ。表に出さないだけ、質が悪いのかもしれない。まざまざと私の姿をみせつけられる。

 だからこそ、あの手、この手の種々のご方便があり、そのたまもので、いま仏法を聞く身にまで育てていただいたのである。

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ぼちぼち再開します

とにかく多忙だった。
 特に、講習会と、華光誌の編集が重なった。予定していたことなので、それなりに準備は進めていたが、それでも、予期せぬ出来事は起こってくる。自分や家族だけではなくても、ちょっとしたことで歯車が狂うものだ。加えて、今年は町内や地域の役員もているので、3月は総会や会合が続いて、こちらもちょこちょこと時間をとられた。

 それでも、おかげさまで無事に講習会も終えた。それになりの教案も造ることができたと思う。華光誌の原稿も、予定日には渡せた。今週は、「聖典」「広島支部」「大阪支部」と3日間連続で法座があったが、講習会と華光誌の後の「聖典」は、なかなかハードであったが、なんとか乗り越えて、一段落しいたところ。

 2月の寒中法座から、行事の報告も滞っているが、下書きは出来ているものもあるので、行きつつ戻りつしながら、また再開していきたい。

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講習会あります

歎異抄も第4回目。

第1回目、2回目に比べると、昨年の異端篇に入ってから参加者が減って、今回も少し寂しい。確かに、前半の聖語篇に比べると、後半の異義篇、しかも14章以降は、急に馴染みのない章だ。しかし、もともとの『歎異抄』が『歎異』抄と呼ばれる故は、11章以降にある。著者の主張は、第11章以降にあるのだがら、聖語篇のおいしいところをつまみ食いしないでかないと、ほんとうの意味で1~10章のお心はいただけないのではないだろうか。

参加だけなら当日でも大丈夫です。今回は、食事はなしですが、いまなら宿泊もできます。

迷っている方も、いまからでもどうぞ。今回からの参加者もおられます。

◎3月11日(土)13時30分~12日(日)16時30分(1日だけでも可)

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2017/detail/03/koshukai2017-3.htm

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桃の節句

Img_90083月3日の雛祭り。子供たちはここにいないが、今年もひな人形を飾られている。3日をすぎて、講習会あたりまで、御参りの方にも観ていただくつもりだ。

2月の日高法座の帰り、道の駅に寄った。連れ合いは、新鮮な野菜Img_9009を求めて、野菜直売場に立ち寄るのが好きだ。ところが、その日は大雪で、目ぼしい野菜はなく、代わりに枝を数本抱えている。売店で何が咲くのか尋ねると、「桃の花だと思います」との返事。「思います」とは、少々たよりない話で、しばらくは蕾もつけずImg_9039に、「ほんとうに?」という感じでいたが、3月が近づくにつれて、蕾が膨らんで、一輪、一輪、桃の花が咲き出した。
残念ながら満開とはならないが、桃の節句に合わせて、ぼちぼちと淡い花をつけています。

 

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スランプ

 弥生、3月に入った。

 スランプが続いている。

 といっても、仕事は、充実している。法座活動に、今なら4月発行の華光誌の編集作業と、講習会の勉強も始まった。

 でもブログだけは停滞している。 いまに始まったわけではないが、ここ最近は顕著だ。

 ネタは豊富にある。法座や行事は、毎週続くし、合間にも、講義や勉強会に出たり、連日、映画を観たり、もちろん日常で感じたこともたくさんある。

 ところが、一度、滞るとなかなか進まなくなる。PCに向かっても、気が重いというのか、少し書きかけたところで、億劫になってしまうのだ。

  もう10年以上、続けている。先日のカウンセリグの記事ではないが、熱意も、根気もなくなっているようだ。

 ということで、こんなくだらない愚痴を書くだけでも、案外、打開策になる気がしたが、、、。

 さて、さて、どうなることだろう。

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