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第41回講習会~『歎異抄』(4)~

 『歎異抄』に入って、4回目の講習会だ。異義篇の後半14~18章をいただく。

 正直、馴染みの薄い章ばかりだ。第1回、第2回に比べて、異義篇に入ると参加者が減ってきたのも、致し方ないのかもしれない。それでも、今回からの参加者もあり、皆さんと一緒に味読させていただいて、ぼくにとっても貴重な時間であった。

 さて、歎異抄は、前半の親鸞聖人のお言葉を伝える聖語篇が人気が高い。全編が端的な力強い表現で語られ、時には意表をつく鋭い言葉で、現代人の心も打つものだ。教義上からもみても、後の学者が「唯信訓」と名付けた第1・2・3章が重要で、特に第1章の歎異抄全体を総括する重要な章だ。

 それに比べて、後半の異義篇は、親鸞聖人の教えと異なる当時の異義を批判し、唯円房の耳に残る聖人の教えを伝える部分で、前半に比べると回りくどく長い章が多い。そのせいもあって、どうも省みられることが少ない。それでも、異義篇の前半の第11章・12章・13章は、聖語篇の唯信訓の第1・2・3章に対応する部分なので、読まれることは多いが、今回取り上げる14章以下は、一気に関心が低くなる。ぼくがもっている歎異抄の解説書(もちろん、すべてを網羅しているものが大半だが)をみても、「聖語篇」だけを取り上げたものがあれば、そこに「後序」を加えたもの、もしくは第13章だけを加えたものもある。中には、「11章以下は、現在は見られない異義なので、原文のみを載せます」と、わざわざ断ってある解説書までもあるのだ。

 でも、しかしである。

 ほんとうに今は読んでも仕方ない意味のない異義なのだろうか。そう捉えては、『歎異抄』の本質はまったく分かっていないことになる。唯円さんがほんとうに書きたかったのは、この後半の異義篇である。親鸞聖人の亡き後、面授口伝の直弟子の、その薫陶を受けた(つまり聖人から孫弟子)もののなかに、聖人の教えに背くことを言い出すものが出来たというのである。まだ教団として礎もなく、教義も確立していないのだから仕方ない部分もある。すでに聖人が京都在世の時でも、関東ではさまざまな混乱があったことは、聖人のお手紙からも窺うことが出来る。それにしてもである。聖人のご往生から20数年で、孫弟子のところで、勝手なことを言い出して、同室の念仏者を混乱させいるというのだがら、いかに真宗の安心が、難信で、また微妙なものかが窺えしれるのである。

 だからこそ、唯円さんは、泣く泣く筆を染め、聖人の教えと異なる異義を綴り、同室の念仏者の不審に答えようとされたのである。そのための正しいはかりとなるように、前半の記述があるのだから、やはり後半も頂かないと、前半の聖語篇のこころを深めることはできないのではないだろうか。

 それに異義者の心情を察していくならば、第17章や第18章のように、一見荒唐無稽な異義も、今日の私たちにも通じる迷いの根があることが窺えた。特に、善悪にとらわれること、その結果を畏れること、そして自力に執着し、もしくは学解(学問)的な聞法が幅を効かしたりということなのだがら、これらは今日の私たちの上での聞き間違いにも通じる異義だといってもいいのだ。
 
 今回、華光誌と平行しての準備はたいへんだったが、こんなことでもないと、真剣に、集中して勉強させてもらうこともない。しっかり学んでこなかった14章以下だったので、ぼくの中でも新たに気付かせていただくことも多々あって、その度に、何かご褒美をいただいた気持ちにもならせてもらった。各章の詳細に触れる機会があれば、また綴っていこう。
 

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