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聖典講座『阿弥陀経』(1)~特色~

 前回で、『無量寿経』が終わり、今月から『阿弥陀経』に入る。それでもう一度、第一回目の浄土三部経の概観から窺うことにした。あれから3年が経過し、顔ぶれも変化している。

 浄土三部経のそれぞれの特徴や内容の概説を行い、親鸞聖人がご覧になった浄土三部経の「顕説」の面と「隠彰」の面を概観した。

 加えて、『阿弥陀経』の特色なども窺った。

  『阿弥陀経』の特徴の第一番目は、「無問自説」経と言われることだ。問いを待たずに、釈尊が一方的に、いきなり舎利弗尊者にお説きになるのだ。しかも、「舎利弗、於汝意云何」と、「舎利弗よ、お前どう思うか」と質問をされながら、間髪を入れずに、ご自分で阿弥陀さまやその浄土の世界をお答えになっていかれるのである。
 それで、数あるお経の中でも、(2)「一代結経」の釈尊一代の結びの経だと言われ、以上から、(3)釈尊の出世本懐経であるとも親鸞さまはみておられるのは、以下のご文に示されている。

「この『経』は大乗修多羅のなかの無問自説経なり。しかれば如来、世に興出したまうゆゑは、恒沙の諸仏の証護の正意、ただこれにあるなり。」(化身土巻・398頁)

「この『経』は無問自説経と申す。この『経』を説きたまひしに、如来に問ひたてまつる人もなし。これすなはち釈尊出世の本懐をあらはさんとおばしめすゑに、無問自説と申すなり。」(一多証文・686頁)

 さて、その内容を簡潔に概観するならば、まず(1)極楽と阿弥陀さまの様子と、(2)その極楽に往生する方法とが説かれ、(3)さらにその説法の真実性を、恒沙の諸仏方が証明し、これを信受する者の守護が説かれていくのである。

 しかも、正依の『仏説阿弥陀経』である鳩摩羅什(402年頃)訳は、その文体は簡潔で、直截的。比較的少量なので、書写や読誦が容易とあって、東アジアで廣く伝播することになる。(先日紹介した少康法師の『瑞応伝』にくよると、善導大師は生涯をかけて、これを書写することが十万巻とも言われている。また教化を受けた士女が、十万~三十万遍も読誦したというのである。法然聖人もまた、「呉音」「漢音」「唐音」とそれそれの読み方で、毎日三度、読誦されたというのだ。

 ところで、他に、異訳として、玄奘三蔵訳の『称讃浄土佛摂受経』(650年頃)があり、もうすでに失われているが、『仏説小無量壽経』 求奈跋陀羅訳(5世紀中頃)があったと言われている。そして、それ以外に、『石刻阿弥陀経』(湖北省襄陽の龍興寺)は有名で、親鸞聖人もご本典に2度も引用されている。『阿弥陀経』にはない、21文字が挿入さていて、それを親鸞さまが引用されている。ところで、この複製が、鎌倉時代の始め(1198年)に、日本も将来され、現在も福岡県の宗像神社にあるというのだ。また、梵本(サンスクリット語)もあるが、これも比叡山の円仁師などによって、「悉曇本」が日本将来さ、古くから知られていることなど、日本でもとても馴染みのあるお経なのだ。他にも西蔵本(チベット語)などがある。

 今回、開版された「悉曇本」や、宗像神社の『石刻阿弥陀経』の写真をご覧いただいたが、僕自身も、何か遠くインドの祇園精舎で説かれ、クチャ出身の鳩摩羅什さまに訳されたものだが、とても身近に覚えたのであった。

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