二つの結び目
雪の同人宅に集まった方は少ない。それでも、 もう50年以上も悟朗先生のお育てを受けた日高支部の人達だ。法話も、手抜きするわけにはいかない。華光会館まで御参りにくることも難しいなっている方もある。ぼくが出講する1年に2度のせっかくご縁。ご法話の後の信仰座談会も、自分の持ってきた話題に終始したり、雑談で流れることなく、法話を分かち合い、それそれの喜びを分かち合う場になれば思うが、なかなか年齢を重ねてくると難しいことも百も承知している。
ならば、法話の中で問いをもって聞いた。ほんとうに一から押さえていったのである。
「聴聞はカド聴く。要を聴くことか肝要だと言われます。悟朗先生も、ただ大様に聞くのではなく、しっかりと2つの結びを持って聞けとお示しになられましたが、それはなんでした」。誰かがスッと答えられると思っていたが、遠慮されてかなかなか口が重い。すると、「地獄一定の自分を聞くんですね」とか「阿弥陀さまのお心をお聞きする」といってくださった方がある。そう、聴聞はそれ以外にはない。
しかし、そこを悟朗先生に教えられた二つの結び目としては、
「後生の一大事」を心にかける。
「自力・他力の水際」ははっきりする。
ということであった。この要を、常に平易な例話で、具体的にご教示くださったのである。
皆さん、「そうでした」と頷かれる。いざ問われてみると、分かっていてもなかなか浮かばないのが現実のようだ。
もちろん、その答えを覚えていてスラスラと答えられたから、それでいいというのではない。
「誰の人も、早く後生の一大事にこころをかけて、」と蓮如さまは示してくださった。「誰の人」と、そして「早く」というお示しがまったくもって尊い。
では、「『後生の一大事を心にかけて聞く』とは、どういうことですか。その態度で、いまここに座っておられますか。」と、さらに問わせていただいた。
これは、常にウカウカと、居眠り半分でしたか聞けない私に向かって、いのちを捨てた叫び続けてくださる阿弥陀さまのお示しなのではないだろうか。
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