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2017年2月の16件の記事

聖典講座『阿弥陀経』(1)~特色~

 前回で、『無量寿経』が終わり、今月から『阿弥陀経』に入る。それでもう一度、第一回目の浄土三部経の概観から窺うことにした。あれから3年が経過し、顔ぶれも変化している。

 浄土三部経のそれぞれの特徴や内容の概説を行い、親鸞聖人がご覧になった浄土三部経の「顕説」の面と「隠彰」の面を概観した。

 加えて、『阿弥陀経』の特色なども窺った。

  『阿弥陀経』の特徴の第一番目は、「無問自説」経と言われることだ。問いを待たずに、釈尊が一方的に、いきなり舎利弗尊者にお説きになるのだ。しかも、「舎利弗、於汝意云何」と、「舎利弗よ、お前どう思うか」と質問をされながら、間髪を入れずに、ご自分で阿弥陀さまやその浄土の世界をお答えになっていかれるのである。
 それで、数あるお経の中でも、(2)「一代結経」の釈尊一代の結びの経だと言われ、以上から、(3)釈尊の出世本懐経であるとも親鸞さまはみておられるのは、以下のご文に示されている。

「この『経』は大乗修多羅のなかの無問自説経なり。しかれば如来、世に興出したまうゆゑは、恒沙の諸仏の証護の正意、ただこれにあるなり。」(化身土巻・398頁)

「この『経』は無問自説経と申す。この『経』を説きたまひしに、如来に問ひたてまつる人もなし。これすなはち釈尊出世の本懐をあらはさんとおばしめすゑに、無問自説と申すなり。」(一多証文・686頁)

 さて、その内容を簡潔に概観するならば、まず(1)極楽と阿弥陀さまの様子と、(2)その極楽に往生する方法とが説かれ、(3)さらにその説法の真実性を、恒沙の諸仏方が証明し、これを信受する者の守護が説かれていくのである。

 しかも、正依の『仏説阿弥陀経』である鳩摩羅什(402年頃)訳は、その文体は簡潔で、直截的。比較的少量なので、書写や読誦が容易とあって、東アジアで廣く伝播することになる。(先日紹介した少康法師の『瑞応伝』にくよると、善導大師は生涯をかけて、これを書写することが十万巻とも言われている。また教化を受けた士女が、十万~三十万遍も読誦したというのである。法然聖人もまた、「呉音」「漢音」「唐音」とそれそれの読み方で、毎日三度、読誦されたというのだ。

 ところで、他に、異訳として、玄奘三蔵訳の『称讃浄土佛摂受経』(650年頃)があり、もうすでに失われているが、『仏説小無量壽経』 求奈跋陀羅訳(5世紀中頃)があったと言われている。そして、それ以外に、『石刻阿弥陀経』(湖北省襄陽の龍興寺)は有名で、親鸞聖人もご本典に2度も引用されている。『阿弥陀経』にはない、21文字が挿入さていて、それを親鸞さまが引用されている。ところで、この複製が、鎌倉時代の始め(1198年)に、日本も将来され、現在も福岡県の宗像神社にあるというのだ。また、梵本(サンスクリット語)もあるが、これも比叡山の円仁師などによって、「悉曇本」が日本将来さ、古くから知られていることなど、日本でもとても馴染みのあるお経なのだ。他にも西蔵本(チベット語)などがある。

 今回、開版された「悉曇本」や、宗像神社の『石刻阿弥陀経』の写真をご覧いただいたが、僕自身も、何か遠くインドの祇園精舎で説かれ、クチャ出身の鳩摩羅什さまに訳されたものだが、とても身近に覚えたのであった。

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何を喜ぶのか?

 今月は土曜日になった広島支部法座。法話の分かち合いを一言ずつ回した後、Aさんの発言から場が動きだした。

「ある会の勉強会に参加して、『地獄行きの私』を喜んでいる発言ばかりしていたら、『Aさんは浄土往生を喜ばないのですか。そこはどう聞いていますか』と問われた。地獄行きはよく分かるが、お浄土のことは、聞いて覚えところで答えることは出来ても、それでは伝わらない。実は浄土往生のことはわからないし、喜んでいないのだが、皆さんはどうですか」

というような問いであった。

 数名の方が反応される。自身の自督(愚禿の信心においてはかくのごとし)と語られる方もあれば、まさにそこが分からないと共感される方もある。しかし「私は、浄土往生を慶ばせてもらっています」という発言はなかった。

 外側の話題に移るのではなく、今一度、Aさんの問題にするために、もう少しその心境をお尋ねしてから、問う。

「では、今、称えておられるお念仏で、浄土往生は大丈夫か?」と。

 自問されている。少し間のあと、涙と共に「ただ南無阿弥陀仏しかありません」という尊いお答えが返ってきた。

 が、その場でのぼくの直感だが、ぼくが発した問いの持つ心まで、十分に伝わった気はしなかったので、加えてお話をさせていただいた。

 まず、地獄行きは喜べて、浄土往生は喜べないのでは、浄土真宗の正信とはいえない。その日のご法話でも、真宗は、頭を垂れて聞かせていただく以外にはない。そしてご聴聞は、「後生の一大事」を離れてはないが、後生の一大事には、「堕地獄の一大事」と、「往生浄土の一大事」ある。しかし唯一の一大事に二つあるのではなく、これはひとつのことで離れない。二種深信でいうならば、同じ紙の裏表、機法二種一具の味わいのところだという話をしたばかりだった。つまり、機の深信(地獄一定)だけを喜ぶのでは、浄土真宗のご信心の相とはいえないのである。

 しかもである。自分で地獄行きは喜べる、実感があるから話せるというのも、大きな自惚れだ。地獄行きも、また如来さまに教えて頂き、お聞かせ預かったことが抜けているのだ。確かに浅ましい身は常にここにましますので、ご縁にあえば、ほんとうにいやというほど見せられるのではある。しかし無明の身には、ほんとうはそれすらも分からないのである。

 そして、お聞かせに預かるのは、わが身の浅ましさ、地獄行きの姿だけではないく、その地獄行きの私を哀れと思し召し、それをお目当てに立ち上がってくださった阿弥陀さまのお慈悲もよくよく聞かせていただくのではないか。つまり、地獄行きの身も、往生浄土の道も、共に、仏縁を頂き、阿弥陀さまのお心を聞かせて頂いてお教えいただくことなのである。

 何のために、阿弥陀さまは浄土を建立され、南無阿弥陀仏となってくださったのか。三厳二十九種の浄土の荘厳は、一体、誰のためなのか。無明煩悩に覆われて、聞く耳もない私ひとりをお目当てに、阿弥陀さまが正覚の位を捨てて、もう一度、願を起し、行を励んでくださったのである。この私が、安心して帰っていける世界、私をお目当て、正客として迎えるためにお浄土を建立され、私が帰ってくるのを、遥か十劫が昔から、呼んで、呼んで、呼びづめで、待って、待って、待ってくださっているのではないか。つまりは、私が帰るべきお浄土も、そこに生まれるお手立てまでも、自らが南無阿弥陀仏の中に身投げをして、その六字にすべてをかけて成就してくださったのである。

 凡夫の身で、阿弥陀さまの清浄そのもののお浄土が、ほんとうに分かるわけはない。しかし、今、私の口をついて出てくださる「南無阿弥陀仏」の六字の中に、そのすべてが封じ込められて、その親心のすべてが届けてられているのではないか。そのお心に、大慈悲心に触れたならば、喜ぶなと言われても、喜ばずにはいられないのである。

 「地獄行き、地獄行き」と簡単に口にだされるが、さてさて、皆さんは、いったい何を喜んでおられるのだろうか。

「選択摂取のお浄土の 花ふる里は誰が里
清風微妙の音楽も 七宝樹林の輝きも そびゆる宮殿楼閣も
いちいち衆生のためばかり
親の宝は、子の宝
南無阿弥陀仏の大宝」(仏教詩歌集より)

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『浄土五祖伝』~少康法師~

 法然さまが、中国における浄土念仏の先達として、曇鸞さま、道綽さま、善導さま、懐感さま、そして少康さまの五名の祖師を挙げ、顕彰のための各師の伝記をまとめてられたのが、『浄土五祖伝』である。この五名を中国の浄土五祖と選定されるのは、法然さまのオリジナルであるという。そのうち、曇鸞さま、道綽さま、善導さまの三名に関しては、業績、著述ともに申し分なく、浄土教の歴史においても大きな発揮をされている。異論はないだろう。しかし問題は、懐感さまと少康さまである。別にお二人に浄土願生や業績、著作などに問題があるのではなく、他にも資格者がおられる中で、なぜこのお二人なのかである。

 その中でも、以前から不思議に思っていたのは、同じ「後善導」で、著述など影響という意味では、さらに功績ある法照さまが漏れていることだ。

 親鸞さまの高僧和讃にも、
「世世に善導いでたまひ
 法照・少康としめしつつ…」

とあるように、お二人を善導さまの再来といただいておられる。ところが、著述に関すると、実践家であった少康法師には、最晩年に共著で、往生伝の『瑞応伝』があるだけだ。一方で、先輩の法照禅師の『五会念仏法事讃』は、親鸞聖人もたびたび引用されている。「念仏成仏是真宗」という文言も有名。後世の影響や著述、業績という意味では、むしろ法照禅師が五祖に加えられたほうが自然な気もするが、実際は違う。それはなぜなのだろうか。

 実のところ、はっきりしたことは分かっていない。

 が推測されるのは、まず法照禅師は、善導さまの生れ変わりとして、同一とみなされているからではないかというのが、ひとつである。

 一方で、その後に出られた少康法師も「後善導」ではあるが、少し事情が異なっている。

 少康さまの当時は、「阿弥陀仏の化身」だという善導さまの神格化ならむ仏格化が進んでいる。実際、少康さまの伝記が収められた「宋高僧伝」は、善導さまの真像が、仏身となったとsいうエピソードがある。そして、その「阿弥陀仏の化身」である善導さまから、時空を超えて直接教示を受けられたのである。この時代になると、善導流の法脈(法灯)、つまり直弟子-孫弟子と流れきた系譜が乱れて、不明となる時期に差しかかっていたいう。そんな中で、少康さまは、阿弥陀仏である善導さまに、直接対面して
「汝、わが施設(=儀礼)に依って、衆生を利楽(=利益)して、同じく安養(=浄土)に生れよ」
と教示されたエピソーが加えられている。そして、その後、上流知識人ではなくて、一般庶民に向けて念仏の実践、教化活動に専念された少康さまを、法然さまは重視されたのではないだろうか。

 法然さまもまた、時空超えて金色の善導さまにお出遇され、ご指南を受けられて、専修念仏弘通に邁進されることになり、自ら「偏依善導一師」と宣言されることと、どこかで重ねておられるのではないかというのは、ぼくの推測である。

 来月で最終回だが、もう少し少康さまを勉強させて頂きます。

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熱意と根気

 真宗カウンセリング研究会の二月の月例会。

 今年は、『育ち合う人間関係』第1章「カウンセリングの手引き」を読んでいる。ロジャーズのカウンセリングの概説が終わって、真宗者に直接つながる話題になっている。「真宗者はカウンセリングをどのように実践するか」の章である。

 今月は、「相談室を開設しよう」。カウンセリングを学んだ方は、それを留めないで、実践してください。そのためには、積極的にお寺の中に相談室(場所)を作り、カウンセリング実践を行ってくださいという、先生の熱い伝わる一節だ。

 その中、門徒や地域の方に開かれた相談室にするために、粘りづくり、熱心に、積極的なお誘いやPRをすることを勧めておられる。

「PRは、かなり長い期間、あいだを空けずに繰り返し繰り返し行わねばなりません。専門のカウンセラーをおいてPRしても、はじめ半年間はたった二人しか来談しなかったという会社の話も聞いています。短気をおこさず、愛情と誠意をもってねばりづよく、相談室の場所、趣旨、利用方法などを普及徹底するように努力します。「強制はしませんが、あなたがご希望でしたら、わたしはこれこれの時間内は精一杯ご相談に応じますよ」という、こちらの気持ちを伝達することに、どれだけ積極的であっても積極的すぎることはありません。」

とある。お寺で、何か新しい企画や集まりを持つときでも同じだ。チラシを作り、電話やメールでお誘いをしても、なかなか効果がなかったり、断られたりすることが1、2度続くと、一時の熱情も薄れ、簡単に挫折してしまい、休業状態となって生滅するケースがよくある。

 結局、伝え手に、どれだけの熱情があり、背景に深い想いがあるのかが問われてくる。どれだけ粘り強く、また根気よく、呼びかけられるのか。一見、地味な作業にこそ、伝道者の姿勢が問われるのかもしれない。

 では、飽きやすく、短気なものを、背後からしっかり支えてくださるものは何か。

 それこそが原動力なのである。

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『ラサへの歩き方』~祈りの2400㎞

  『ラサへの歩き方』~祈りの2400㎞は、昨年秋に観た映画。何度かご法話でも話して、いまさらだがちょっとご紹介。

Fdb5f885d2cbb47802d3966a212a5298212  チベットの小さな村から、親戚や仲間たちが、はるか遠く聖地ラサ(1200㎞)、さらにカイラス山へ山岳道(1200㎞)の祈りの旅に出るのである。2400㎞もの道中、「五体投地」で、1年をかけて巡礼する。その様子が、大自然の中での巡礼風景と、チベットの人々の暮らし向きや日常が、丁寧に描かれていた佳作だった。

 Map_2巡礼者は、老若男女を問わない。子供だけでなく妊婦や高齢者までいる。日常がそうであるように、一見、非日常の巡礼の旅の途中にも、出産もあれば、死もあるのだ。特に、鳥葬のシーンもある。生前、生き物のいのちを奪い生かされてきたことに対して、最後にその身を布施するというのである。

「五体投地」のルールは、
(1)合掌する
(2)両手・両膝・額を大地に投げ出してうつ伏せる
(3)立ち上がり、その動作を繰り返して進む
(4)ズルをしない
(5)他者のために祈ること

これまで、インド仏跡でも、五体投地での巡礼者に出会っているが、恥ずかしいことにまったく(5)の視点が、ぼくにはなかった。そして(4)の徹底ぶりにも、頭が下る。

  ところで、インドで興った仏教は7世紀頃にヒンドゥー教の影響を受けた密教が興り、中国や日本にも弘まるものの肝心のインドでは、結局、ヒンドゥー教に呑み込まれてしまい、仏教は滅んでしまう。しかし、チベットでは、その密教と民族信仰(ポン教)とが結びつき独自のチベット仏教が花開くことになる。なかなか日本では、チベット仏教のことは知られておらず、神秘的で、呪術的で、そのおどろおどろしさが魅力だという、そんなイメージがあるだろうか。

 しかし、チベット仏教は大乗仏教でもあるのだ。 大乗仏教の大きな特色のひとつが、菩薩道、利他行の実践である。

 だからこの祈りの旅もけっして自己の欲求満たすために祈りではない。これだけの難行苦行も、すべて他者の幸せを祈るというのである。

  目の前に虫が歩いてると歩みを止めて殺生をしないようにつとめる。 夜には、ゲルに一同が会して夜の勤行し、語り合う。静かな、豊かな時間が流れているのには、こちらちの胸も熱くなった。

 ではなぜ、衆生の私が行もせず、善も積まず、布施もせず、祈りもしない浄土真宗が「大乗仏教の至極」なのか。……しみじみ味合わせられます。

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二つの結び目

  雪の同人宅に集まった方は少ない。それでも、 もう50年以上も悟朗先生のお育てを受けた日高支部の人達だ。法話も、手抜きするわけにはいかない。華光会館まで御参りにくることも難しいなっている方もある。ぼくが出講する1年に2度のせっかくご縁。ご法話の後の信仰座談会も、自分の持ってきた話題に終始したり、雑談で流れることなく、法話を分かち合い、それそれの喜びを分かち合う場になれば思うが、なかなか年齢を重ねてくると難しいことも百も承知している。

 ならば、法話の中で問いをもって聞いた。ほんとうに一から押さえていったのである。
「聴聞はカド聴く。要を聴くことか肝要だと言われます。悟朗先生も、ただ大様に聞くのではなく、しっかりと2つの結びを持って聞けとお示しになられましたが、それはなんでした」。誰かがスッと答えられると思っていたが、遠慮されてかなかなか口が重い。すると、「地獄一定の自分を聞くんですね」とか「阿弥陀さまのお心をお聞きする」といってくださった方がある。そう、聴聞はそれ以外にはない。

 しかし、そこを悟朗先生に教えられた二つの結び目としては、
「後生の一大事」を心にかける。
「自力・他力の水際」ははっきりする。

 ということであった。この要を、常に平易な例話で、具体的にご教示くださったのである。

 皆さん、「そうでした」と頷かれる。いざ問われてみると、分かっていてもなかなか浮かばないのが現実のようだ。

 もちろん、その答えを覚えていてスラスラと答えられたから、それでいいというのではない。

 「誰の人も、早く後生の一大事にこころをかけて、」と蓮如さまは示してくださった。「誰の人」と、そして「早く」というお示しがまったくもって尊い。

 では、「『後生の一大事を心にかけて聞く』とは、どういうことですか。その態度で、いまここに座っておられますか。」と、さらに問わせていただいた。

 これは、常にウカウカと、居眠り半分でしたか聞けない私に向かって、いのちを捨てた叫び続けてくださる阿弥陀さまのお示しなのではないだろうか。

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大雪の年忌法要

Img_8844  山陰地方の大雪はまだ続いている。ニュースでは、大混雑の山陰線の様子が放送されている。覚悟をし出発したが、高速道路は空いImg_8848て、拍子抜けした。舞鶴道に入っても、雪はない。途中、1台ずつ止められて、タイヤ検札がある。冬用タイヤ以外は高速道路から降りないといけない。唯一、スタッドレスを借りてよかった思った瞬間。京都駅前で借りたのに、「習志野」ナンバーである。

Img_8852_2 快晴で、気持ちがいい。ところが養父を過ぎたころから雪が降り出す。豊岡市日高町に入っても雪は続くが、国道はきれいに除雪されている。道路も水が出るので、少々の雪は心配ではない。二Img_8875人で、「せっかくレンタカーを借りたのだから…」と、妙な期待をしている。
 同人宅の集落は、道が細く、みな手作業で雪払いし、駐車場を確保してくださっていた。

   このあたりのい天気は、晴れ間が、雪空になり、また青空になったりと、目まぐるしい。

Img_8863 残念ながら、山陰線の特急列車は運休で、大阪や宝塚方面のご親戚は欠席。その意味では寂しい法事になったが、お友達やご近所の方に加えて、Img_8857華光同人も御参りくださって、かなり人数が揃って、法話も力が入る。普通の法事なら、20分、長くて30分が限界だが、ここでは普通に法話を聞いてくださる。さすがに座談会まではないので、直接的な反響はわからないが、皆さん、真剣に聞いてくださる雰囲気はわかる。さすがに法が生きている土徳のおかげだ。

 法話が終わると「南無阿弥陀仏」の声が、仏間に反響している。たとえ勤行がなく、法話がなかっても、この六字の声だけで十分なのである。 

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新しい出遇い~東海支部法座~

 Img_8838京都の雪は、うっすら屋根に残る程度だが、予定より早く家を出た。新幹線は、米原付近の積雪で徐行運転で遅れている。既に雪は止んでいたが、名古屋駅へは30分遅れで到着した。そこから、刈谷市での東海支部法座に向かう。

 大勢のお参りだ。久しぶりの方、東京や高山からの参加者に、新聞の宗教欄をご覧くださった方もあって、満席の賑わい。支部長交代の矢先に幸先がよい。

あらかじめテーマをだす。「お念仏の中の人生」と、一般の方にも有り難そうなテーマを出した。もちろん、題材があっての話。修正会以来、よく取り上げている「私にとっていちばん大切なものは何か」、それを追い求める「生活」だけでなく、何のための「人生」か、大切なものひとつが「念仏」ではなく、毎日の活きる為の活動「生活」も、人として生きる「人生」も、すべてお念仏に出会い、お念仏を申すためになるのものである。「生活」-「人生」-「念仏」について、具体例を交えながらお話させていただいた。

 人数が多いので、2つのグループに分かれての信仰座談会。

 初参加の学生さんは、すでに聞法の焦点が定まっている。感度のよさ、吸収力のよさには、驚かされる。それも『仏敵』や『念仏の雄叫び』の仏書と、悟朗先生の法話CDだけをたより、ここまで求めてこられたのだ聞いて、一同ただ感心するばかりである。

 しかしただ感心しているだけでない。異口同音に、適格をアドバイスがはいる。
 
 確かに本や音源だけでも、ある程度の聴聞はできる。しかし、それにも限界がある。いまの時代、ますます根機(仏法を聞く人間の資質)が衰えているからた。

 たとえば、「自分を知る」といっても、自分では自分はわからない。そこを、身近な生活に即して、具体的にお聞かせに預かることが大切だ。しかし、「如来さまがご覧になった自分」を聞くといっても、自分ひとりの力では無理だ。だからこそ、真実に出会って、先に幸せをされた先輩同行、知識につとめて近づく。そして、そんな先達が集う場で、自分を開き、口を開き、その聴き間違いを糺していただいく。正確を覚えて言えるよりも、間違いを間違いと聞かせていただくことが、聴聞だ。

 聴くとは、頭を垂れ、己を空しうして聴くこと以外にはない。

 いまの時代の私たちが、一番苦手なことだ。このブログをこっそり観ている「あなた」にこそ、お勧めですね(^。^)

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55

Img_8826 寒い。風も強い。雪が強く降っている。

 西本願寺へ。ブックセンターで用事をすませてから、東本願寺のしんらん交流会館に向かう。大谷派九条の会の全国大会に出席する。華光の同人がお世話をされている関係で、3年連続に顔だす。

Img_8827 それしても、寒かった。ぼくが生まれた時も、こんな雪が舞い散る寒い午後だったという、母の言葉を思いだしながら、雪の中を自転車で走る。

 山陰、日本海側の豊岡も大雪で、日曜日の法事や法座が危ういことになっている。ノーマルタイヤでは無理なので、急遽、列車に変更した。ところが、その列車も夕方から山陰本線は止まったままだ。いろいろなとこImg_8832ろに連絡して対応。日程変更も考えたが、どうも難しい。費用はかかるが、スタッドレスのレンタカーを手配をした。時間も午後からにしてもらったので、なんとかたどりつけるだろう。明日の愛知の刈谷市の法座も新幹線が心配で、1時間早く出ることにしたが、新幹線は遅延するだろう。

Img_6092_2 1月末から山形出張中の連れ合いは、連日、大雪で、雪かきで大忙しだ。雪国の運転には馴れているので、いろいろと相談に乗ってもらう。

用件が終わって、

「ところで、今日は何かいうことないのかなー」

と尋ねても、まったく気付く気配はない。ちょっとしつこく尋ねたら、

「アハハハ、愛してるっとでもいうのか」と、悪い冗談を言ってくる。

「あの~他人さまから、メールやプレゼントをいただいたよ」と言うと、ハぁと、さすがに気付き、あとは、ひたすら電話口で大笑い。

 まあ、こんなもんだすわ。

 もちろん、忘れずにちゃーんとお祝いしてくださる方があるのは、有り難い。ほんとうは逆なんですがね。

 ぼくも55になった。「業・業」なのか、「GO/GO」の一年になるのか。
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にくの日

 29年2月9日は、2(に)9(く)の日だという。
 まったく知りませんでした。

 10日の朝、自力整体の教室で、その話題を初めて聞いた。先生は、「どうせなら、2(ふ)9(く)=福の日にしたら」と言っている。

   お昼は、何年かぶりに、サルーテというオガニック食堂へ。「肉」とは真反対に、ベジ菜定食を食べる。いっさい動物性のものを使っていない。ローフードやマクロビオティックなどのオーガニックな料理をだす名店。路地のまたその奥にあるお店だか、満席に近い。外国の方もけっこうおられる。http://da-maeda.shop-pro.jp/?mode=f12

 お隣の女性二人連れは、「肉の日」の話題をしてる。昨日、有名店のローストビーフ丼を注文したら、「肉の日」だったので、肉だけでも300グラムも使っていて、とうてい食べきれなかったという、にくにくしいお話。まあ、ぼくだって、先日は、あり田の無量壽コースで、下痢になるほど肉を堪能したばかりだ。

 それにしても、ここの料理は、ほんとうにおいしい。しかも食べるだけでも、元気になる逸品だ。
 食とは、人を良くするものだが、いまは、人を悪くするものになっている。いや、食ではない。人が悪くなったのだろう。

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≪↓あり田の御馳走の後は、博多駅でマクロビ弁当を購入≫Img_8788

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2月の伝道研究会

 2月の伝道研究会は、「真宗の基礎」安心篇に入って、最後の得益論に入っている。
 安心の価値、ご安心の利益について。浄土真宗は、現当二世のご利益の教えである。つまり、現世(この世)で受ける御利益と、当来世(後生)で受ける御利益である。そのうち、現世利益として、十種の御利益を親鸞さまは説かれたが、すべて十番目の「入正定聚」の益に収まるのである。つまり、この世の中で、信心獲得と同時に、必ず仏となることに正しく定まった聚(なかま)入りをさせていただき、もう二度と退転することのない位である。
                      
 しかも、この位は、
(1)菩薩の十地のうち、初地(歓喜地)に至る意味とみるだけでなく、
(2)八地の無生法忍(喜・悟・信の三忍)の菩薩と同じ(「韋提と等しく三忍を獲」)とみられている。八地とは、七地におこる菩薩の死といっていい、七地沈空の難を超えた菩薩とみられるので、その意義は大きい。
(3)さらに一歩進めて 等覚の弥勒菩薩、すなわち次生には成仏するに決定している菩薩の最高位である等覚と、まったく同じ(一生補処=一生を過ごせば、すなわちこの命が終わったならば、次生には即に成仏する、如来に等しいさとりである等覚の位)にあるともいわれ、「便同弥勒」とまで踏み込んで仰っている。しかしながら、それは衆生の側の価値によるのではなく、どこまでも他力回向の信心の徳からでるものである。当然、「如来と等しい」とまで踏み込まれても、けっして、仏と同じとは仰っていない。仏果を得るのは、あくまで当来世のご利益であることは、十分に注意が必要だ。

▼『大経』=「次如弥勒」

▼親鸞聖人=「まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。ゆゑに便同といふなり。しかのみならず金剛心を獲るものは、すなはち韋提と等しく、すなはち喜・悟・信の忍を獲得すべし。これすなはち往相回向の真心徹到するがゆゑに、不可思議の本誓によるがゆゑなり」『信巻』

▼同=「如来の誓願を信ずる心の定まるときと申すは、摂取不捨の利益にあづかるゆゑに不退の位に定まると御こころえ候ふべし。真実信心の定まると申すも、金剛信心の定まると申すも、摂取不捨のゆゑに申すなり。さればこそ、無上覚にいたるべき心のおこると申すなり。これを不退の位とも正定聚の位に入るとも申し、等正覚にいたるとも申すなり。このこころの定まるを、十方諸仏のよろこびて、諸仏の御こころにひとしとほめたまふなり。このゆゑに、まことの信心の人をば、諸仏とひとしと申すなり。また補処の弥勒とおなじとも申すなり」『御消息集』二十通

 主に講義的な話が中心だったが、最後は、皆さんがいろいろと味わわれたことをお聞かせに預かった

 なお次回は、「如来にひとし」から始まります。
 3月1日(水)ですが、 時間が変更になります。
 夜18時50分(勤行)スタートで、21時までと、少し早く終わります。同人会員限定ですが、どうぞ奮ってご参加ください。

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通夜の法話は、、。

  またまた町内会でお悔やみがある。60軒ほどの小さな町内なのに、年に3~4件は訃報が入る。特に、寒い時期、暑い時期は、よくある。

喪主は、一学年下の方で、小学校の時には毎日のように遊んでいた。書道教室にも熱心で、一時は、書道の教職を目指しておられたときもあった。 葬儀を執り行うのは、同級生の浄土真宗本願寺派のお寺だ。といっても、彼は次男で僧籍は取っているが、お寺には入っていない。

 通夜は、三奉請、表白、そして、頌讃と続いて、正信偈六首引である。通夜で、頌讃を初めてきいたが、なかなかお上手で、この流れもかっこよかった。ホールは静かで、時折、雑談の話声が聞こえる。ひとり僧侶の読経の声が響く。正信偈から勤行させてもらった。もちろん、抑え目に出したが、最初だけ、始まってしまうと関係ない。お念仏は、大きな声でさせていただいた。が、最初に司会者から、「合掌」という合図があったが、最後はなかったのは、残念だ。

 ちょうど1年前の1月にも、このお家の葬儀があり、同じ先生のご法話を聞かせていただいている。前回は、死後の世界、七七日までの審判の話だった。今日は、最初は、故人の思い出を話されて、亡くなられたことは寂しいことだが、けっして塩をまいて忌むことではない。なぜならば、浄土真宗では、阿弥陀さまのお力で、みんなが間違いなくお浄土に行かせていただく。倶会一処で、誰もが、間違いなく、よい世界に生まれることができる。どうか安心してください、と堂々と仰るのである。よくよく聞いていたが、一言も、「お念仏を申して」とか、「ご信心ひとつで」という言葉はなかった。はっきりと、二度、三度も同じことを繰り返される。ここまで堂々とされると、後の話が耳に入ってこない。その後、前回と同じく、私と亡くなった方を分けない。みんな無常の身などとも仰っていたようだが、、。

 せめて、「阿弥陀さまの願いは、皆様すべを必ず浄土に生まれさせるというものです。その願いが皆様にかかっています」とか、もう一歩踏み込んで、「そのお心をお聞きさせて頂きましょう」「南無阿弥陀仏と申しましょう」というのならともかく、「浄土真宗では、みんな間違いなく浄土(よい国)です。安心してください」では、、。

 いくら通夜の法話とはいえ、これで浄土真宗の法話かと、ちょっと憤りつつ、がっかりしたのであった。

  http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-852f.html

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何を、なぜ、どう「聞く」のか

 東京支部。新しいご縁の方もお参りくださり、宿泊者も、参加者も久しぶりに多かった。

 ご法座は、何を、なぜ、どう「聞く」のかを、蓮如さまの『御文章』などによりながら、お取り次ぎする。四座あったので、具体例やかみ砕いたお話ができたのではないだろうか。

 浄土真宗は「聴聞にきはまる」。しかし、聞くしかないといっても、ただ大様に、なんでもかんでも聞いてさえいればいいのでなはい。

「讃嘆のときなにもおなじようにきかで、聴聞はかどをきけ、と申され候ふ。詮あるところきけとなり」(51条)

と、御一代聞記書にもあるように、「かど」「詮あるところ」、つまり肝要、要点、かなめを聞けというのである。では、その要点、かどは何か。その手がかりが「何を」「なぜ」「どのように」聞くのかということになる。

 ところで、「聴聞の要点を外してはいけない」と教えられると、どこかで効率的な聞き方を求めることにはならないか。たとえば、信心獲得に役立つから宿善を積む、そのためにと財施も頑張る。ところが、浄土真宗でそんな求道は、自力の修行で捨てものだと聞かされると、財施までも止めてしまう。結局、自分の得になるか、役に立つか、立たないかで、仏法までも自分で判断するのである。もしそんな調子で、効果があり、効率よく求めるために、聞法の要点を聞いていたならば、まったくの本末転倒である。

 それでは、何を聞くのか。親鸞聖人のお言葉なら、「仏願の生起本末」を聞く。蓮如さまのご文章なら、「南無阿弥陀仏の六の字のいわれをよくききひら」くということである。阿弥陀如来さまが、本願をおこされた精神、南無阿弥陀仏となってくださったお心に思いを馳せたならば、自分の得とか、役立つかと、効率とか、そんな利己的な欲得とは、まったく正反対の利他のの塊、真実心そのもの、清浄心そのもので、南無阿弥陀仏となってくださっているのである。そんな清浄、真実のお心が、衆生の限りある知恵、欲得の心で計れるわけがないのである。

 だから、どう聞くのかといえば、「疑心あることなし」なのである。それを蓮如さまは、「もろもろの雑行、雑善をなげすすて」とか「自力のこころをふり捨てて」、そして、「一心一向に弥陀をたのみまいらせ」るのてある。つまり、自力を捨てて、他力に帰せよ、衆生の行も、善も、知恵も、計らいも、自力ならばなにひとつ役立たないのである。

 でば、なぜ聞くのか。「後生こそ一大事なり」。真宗の聴聞の要は、ここに尽きるのである。これを外しては、真宗のご聴聞にはならない。だれのひとも、早く、後生の一大事に心をかけて、お聞かせに預かるのである。けっして、今生事やこの世の幸せ、もしくはこの世の幸せの延長にある後生でもない。如来さまの叫びである、後生の一大事に心をかけて聞くことこそが、聴聞の要のひとつとなるのだ。

 後生の一大事と、自他力廃立を聴聞の結び目にして、南無阿弥陀仏の六字のおいわれをお聞かせに預かっていく。そこを踏み込んで話した。  

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立春

Img_8790  立春。それに相応しい晴天。しかも暖かい。
 
 近鉄の十条駅から東寺の五重の塔を撮影する。

Img_8791 新幹線に乗る。お隣も、回りも、中国の観Img_8807光客。浜名湖から静岡を過ぎて、しばらくすると一斉に、歓声があがた。

 実は、ぼくも最初から狙っていて、デジカメImg_8808も用意していた。まさに狙いどおりで、美しい。

 もちろん東京も、快晴だった。

Img_8816 チラホラと梅がほころびだしていた。

 気持ちよく公園を歩きながら、法座会場へ。2月の東京支部法座が始まる。

 会場の林野会館からは、スカイツリーがよく見える。

 しかし天気は長持ちしない。明日の朝から雨になるという。撮影は、土曜日の内に済ませた。

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何事にも先達は……

   「何事にも先達は、あらまほしきもの」

Img_8752 子供たちは、一足早くブラジルに帰って、2月からの新学期を迎えた。家庭教師のメル君は、まだしぱらく京都にたが、今日、帰国の途についた。子供たちがブラジルでいちばん頼りにしているのが、彼である。これだけ日本が上手くて、親切に対応してもらえると、大いに助かる。メル君にしても、日本人と接して、リアルな日本事情が分かるということで、お互いにメリットがあるようだ。お世話になっているお礼に、先日、最後にお別れ会をした。日本の雰囲気のある居酒Img_8757_2屋に誘った。日本酒も好きだし、刺身や魚も食べる。魚の目玉を食べて、おばちゃんも拍手👏 性格も日本人のようだ。

 東京から始まって京都に宿をとり、レールパスで、広島、姫路、彦根、大阪、奈良等を訪ねたようだ。

 奈良では、東大寺に言ったいう。建物と鹿の話ばかりなので、大Img_8773_3仏さまのことを聞いたら、拝観していないというのである。東大寺にまで行き、大仏さまを拝まないとは、残念な話である。同じように、広島では原爆ドームの雰囲気には感じたようだが、原爆資料館には入館していないという。入館料が不安だったらしいが、数百円のことである。話を聞きながら、いろいろ訪ねておられても、これと類似したことがあるようだ。

  これは、ぼくだって、外国や知らないところにいくければ、まったく同じことだ。

 徒然草の「仁和寺のある法師」ではないが、何事も先達-導き手やガイドがいないことには、ほんとうに見るべきもの、行くべきところが分からないで、その周辺でも満足してしまうのだと感じた次第。うーん、そのまま聞法に通じるじゃないですかね。

 もっとも、観光の場合は、ご本人たちは大いに日本を満喫されて、楽しんでおられるのだから、それはそれでいいのである。

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5~6ケ月先の計画

 1月下旬から、この先の大きな行事の打ち合わせが、あっちこっちで同時に始まった。

 行事や法座といっても、支部や家庭法座は、それぞれ主催者があるので、ぼくは、最低限、法話を用意し、この身をそこにおけばいい。しかし、本部主催行事は、そうはいかない。運営委員長と相談して、担当支部にお願いすることになる。ほかにも、ぼくが直接打ち合わせたり、動かないといけない行事もある。

1)米国布教の旅
 5月22日(月)~6月1日(木)

 まずは、5月のアメリカ布教の日程が、正式に決まった。カリフォルニアのKさんご夫妻がご招待くださるのだ。そのために、航空券の手配をしていただいた。ずいぶん、先のことだと思っていたが、差し迫ってきた。ロスの同人からも、ロスの布教のお誘いがあったが、日程的に難しくて、今回は残念した。ただし、これは日本からの募集はありませんので、あしからず。

2)北海道聞法旅行
 7月6日(木)~9日(日)

 7月の北海道の聞法旅行の準備も本格化した。今回は、人数も少数(20名)で、連れ合いの実家や観光地ではないところもあるので、夫婦で手配することにした。旅程を考え、あれこれと思案しているうちに、宿を押さえる時期がきた。7月は、北海道もベストシーズンのひとつで、人気が高いからである。問題はバス。マイクロにするか、中型にするのか、あちらこちらで見積りを取っている。思ったほど経費が安くならないが、3泊4日なら仕方がない。
 
 初日の富良野、2日目の朱鞠内湖の宿は押さえた。3日目は、小樽のホテルの予定だが、土曜日で割高。定山渓の宿にするのかを検討中が。ただ、大きな流れとしては、いい行程が組めた。富良野や美瑛、小樽の観光も出来、朱鞠内湖では、いつもとは違った形での研修(聞法)をもつことも出来る。その後、荻原果樹園でのサクランボ狩りやジンギスカンも楽しみだ。経費の関係で、なんとか20名は確保したい。詳細が決まれば、案内状を作る予定だ。

3)広島・真宗カウンセリングワークショッブ
  8月29日(火)~31日(木)  

 これは、華光の集いでなく、真宗カウンセリング研究会の主催だが、8月の広島・真宗カウンセリングワークショップも、担当者と連絡しながら、日程を決め、会場や宿泊施設を押さえた。3日とも平日、しかも7ケ月先なのに、もう昨年の宿舎かとれなかった。担当のHさんと何度もやりとりし、新しい会場が決まった。案内状作製のために細かな打ち合わせ中だが、あとは最低人数を集めて、しっかりと実現したい。こちらは3月中旬に、パンフレットが完成予定。

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