『ポバティー・インク』~あなたの寄付の不都合な真実~
今年1本目は、みなみ会館でのドキュメンタリー。『ポバティー・インク』~あなたの寄付の不都合な真実~
「あなたの善意が、誰かを傷つけているかも」と、ドキッとするチラシの言葉がある。
これがとても面白かった。ほんとうの援助とは何かを深く考えさせられる1本。
寄付は、善意から起ったものでながら、金持ちが哀れみでするなら、寄付するもの(強者)と養われるもの(弱者)という関係を強化し、ますます貧困が固定化させる驚くべき仕組みは、目からウロコである。
まずそこには、アフリカや貧困国に対する差別的な固定観念(不毛の地、ハエを払う子供たち、前近代的生活で無力な人達)があり、そのイメージが増幅されて次ぎの世代へと引き継がれ、寄付しながらも、時に差別が強化されていく実態があること。また巨大化した援助ビジネスで儲ける人達がいたり、また人助けが強い快感となり、さらにより強い刺激を求めて援助中毒になるものもあるということ。また、物資の無償配布が地域の中小企業をむしばみ、無償食料のせいで地域の農業が崩壊し、ますます貧困となっていく実態などなど、冷静に考えるとその通りでありながら、驚くことばかりだった。
確かに、巨大地震や災害などで、緊急で物資や資金の一方的な援助も必要だ。しかし、それが3年後、5年後と続き続ければどうなるのか。上から下に物やお金を恵むだけで、人は真に豊かになるのかということである。本来の援助とは、その地域の産業や農業を育てる(つまり自立する)ことこそが重要であり、それが地域の雇用を生み、子供たちが親と住める環境を生むことになる。そのためにも、誰もが平等に教育を受ける権利、そして法の上でも平等を得るとう権利が保障された社会を目指してこそ、ほんとうの意味での自立があるというのである。つまり、その視点がなければ、哀れみの上からの寄付は真の援助とはなりえないのである。
映画では触れられなかったが、当初、植民地政策とセットで行われたキリスト教布教が、不毛の地の未開の原住民を啓蒙し、まことの信仰を与えて、真に開かれた人としてやろうという白人層の傲慢極まりないもので、当然、博愛や慈愛の精神も「貧しく気の毒な人達を哀れむ」という形で行われてたのである。つまり、従前の古い援助態度は、キリスト教の博愛精神の影響の現れだといってもいいのだ。
結局、お互いが育ち合うことなくて、もしくはパワー(力)の変革なくして、真の援助関係は成り立たないということを痛感させられた。
「変化がないのには理由がある。変化によって損をするのが強者であり、恩恵を受けるのが弱者だからだ」(マキャベリー)
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