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裏方の仕事

 同人会ニュースの発送作業だ。

 今回は、子供たちに、紙を折り、二つ合わせをする仕事をしてもらった。

 遊びたいばかりで、なかなか動かない。帰国が迫り、会いたい人も増えてくる。急に、友達の家に泊まる話になる。荷造りもあるが、土産も増えるばかりだ。早くから、仕事の段取りを知らせていたが、時間がなくなって、こちらはイライラばかりさせられた。下の子が約束時間に帰ってこず、叱ってしまった。

 仕事は、たいしたことではない。二人で集中すれば、1時間ほどで完成するだろう。別に、子供の手を借りなくても、できる。しかし、これだけはやってもらいたかった。

 古い華光誌がそうだっだが、案内物も、もちろん行事も、聞法旅行も、子供大会もそうだ。案内の下準備や連絡から、掃除も、家族が総出で、ひとつひとつを手作業でやってきたのである。その積み重ねが、今日の華光の集いである。

 今は、事務の方もおくことができた。運営委員会も出来て、行事係もおられる。お掃除基金もある。ぼく自身も、布教に専念できる体制ができつつある。しかし、華やかな表舞台の裏には、必ず、それを支える裏方がある。それを疎かにしていると、いい法座が生まれないことを教えられてきた。

 それはいくら口で言われても分からないことだった。ぼく自身も、時には父に反発しながらも、身にかけて教えられたことである。ちょっとずれるが、こんなことを思いだした。

 それは講習会の資料作りだったと思うが、コピーが済んで、それを二つ折りし、集めて、ホッチキス留めをする作業が残った。父に頼まれた時、ほかに用事があったので、「あとで、やっといてあげるわ」と返事した。

 それがまずかった。法話の中で、叱られたのである。「やっといてあげる」という言葉が、いかに傲慢であるかというのである。心が、言葉として現れ、社会では通用しないとうのである。

 それを聞いたとき、ぼくの心は煮えくりかえった。皆の前で、法話の中で指摘されて、恥をかかされたからである。そのことで、父に抗議したことも覚えいる。抗議が出来たのは、少し大人になっていたからであろう。そんなことを繰り返し、繰り返ししながら、いろいろと教えていただいたのである。

 にも関わらず、結局のところ、ぼくの本性はいまも何も変わっていない。楽をしたい心しかない。一人でいろいろなことをやらされると、腑におらない気分になる。自分のやりたいことには熱心だが、人の雑用まで負いたくないのである。

 だからこそである。目に見えないところで、裏方の仕事を丁寧に出来るのか、またはそういう方の無数のご苦労を忘れはならないということを、ご教示されたのである。

 

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