お別れ
早朝から空港へ向かう。京都市内に大雪警報が出ているが、このあたりは大丈夫だった。
行きは、子供だけの長旅だったが、今回は、母親も一緒なので、安心である。彼女も、久しぶりに華光会館にも御参りきてくれたり、短い間に、連れ合いにも何度か会ってもらった。
約1ヶ月半。あっという間に過ぎた。
母や連れ合いとも、「やっぱり寂しくなるね」と話しあう。
皆さんから、口々に「大きくなったね」とか、「見違えるね」と、成長したことを驚いてくださっていた。でも、逆にぼくは、その資質が変わっていないことが、うれしかった。その間、旅行にしたり、母とも、近郊に遊びに行ったり、楽しいこともいろいろあったし、叱ったり、腹を立てることもあった。
「いちばんうれしかったのは、どの法座にも出席し、(上の子だけだが)座談会にも座って、熱心に聞こうとしてくれただね」と、母が言った。
まったく同感である。もちろん、もう一歩、踏み込んで聞いてもらうことができなかった。これは、ぼくの法に対する甘さの故だとは思う。
しかし、少なくとも、聞いても聞かなくてもいい教えでもなく、または、いつかはという聞き方でもなく、人間に生まれさせていただいた一人一人が、私の仏さまに出遇わせていただく。この.一大事を聞き開かねばならぬことを心に刻んでくれたという思いはある。
ほんとうの意味での、聞法の緒にはついていないかもしれないが、ある意味では、聞法者として、御同行・御同朋である。
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