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「南無妙法蓮華経」

  12月、華光誌の作業が大詰めだ。正月号は、通常の編集作業に加えて、「年賀交換」の小冊子も編集作業しなければならない。この版下作りは、ぼくの作業なので、何日間か集中して作業している。年内発行のためには、〆切が迫っているからだ。

 それでも、昨日は仕事がはかどり、今日、明日、明後日と作業の段取りすると、ゴールのメドも立ってきた。もう一頑張りである。

 ところが、そんな時に限って予期せぬ出来事がおこる。
 
 お葬式である。

 といっても、別に導師を頼まれたのではない。

 町内会でのお悔やみだ。役員をやっているので、お手伝いも少しあるのだ。あいにく連れ合いは、仕事で10日間ほど東北に出張中である。

 小さな町内だが、今年になって3軒目だ。しかも、亡くなった方を聞いて、びっくりした。まだ60歳を少し過ぎたところでお若い。肺ガンだが、急逝だったようだ。そして、これまで何度も一緒に町内のお世話をした方で、毎回、ぼくたちの翌年に役員に選ばれる方だったからだ。

 熱心な日蓮宗(といっても、学会ではない)だった。遺族の方が、導師と一緒に「南無妙法蓮華経」と何度も唱えておられた。念珠も、独特のもので拝んでおられた。他宗派の葬儀は貴重な経験なので、興味津々である。法華経は聞きなられないが、「舎利弗」とか「ダイバダッタ」が登場してきた。三帰依文は同じである。

 通夜のご法話は、直接、故人を偲んだお話だった。四月に法事でお会いした時は、そんなにお悪いとは感じさせず、ほんとうに驚いた。弟をなくしたようだと仰っている。「今日、身につけている衣は、故人のお父さんからのもので、念珠は父から受けたもの。三名が一つなって故人を供養させていただきました」と言われていた。

「いま、故人に何ができるのか。三食(じき)といって、香食(こうじき)-文字通り香りを食す。法食(ほうじき)-法供養を行うこと。そして、思食(しじき)といって、故人のことを思うということがある。故永六輔氏も、『人間には二度の死がある。文字通り、死亡診断書が書かれたこの肉体の死ぬ時。もう一つは、私のことを思う人が誰も居なくなった時が、わたしのほんとうの死である』という意味のことを仰っている。どうか、故人のことを胸に刻み、思い続けてください」と。

 商売上ではなく、ほんとうに無念の思いがこちらにも伝わってくる「お話」ではありましたが、、。

 

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