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ご示談

   ご示談のお申し出がある。

 お仏壇を前に、対峙して座ると真剣で斬りかかられる恐さがある。当たり前のことだが、凡夫のこの身には、何の手立ても、方法もない。だから、どこかで真剣を抜かれた時、途方にくれて、それを畏れている自分もいるのだ。しかし、ここに座った以上、唯一できることは、いま、ここで、こちらも覚悟決めて、真剣を抜いて立ち向っていくことだけである。

 ところがである。「聞かせてほしいと思います」などと、常に「○○と思います」という、自分の「思い」ばかりを語たるだけで、実際には一歩も動く気配がなく、1時間、、2時間、、3時間と、時間がダラダラ過ぎていく。ご示談を申し出た時点で、こちらの時間を殺していることが、まったく抜けているではないか。
 
 分からないことは、頭を畳みに擦りつけてでも、「お聞かせください」とお願いするしかない。
自分のいまの全力でお願いしていけばいいだけのことだ。

「それは自力ではないか」という理屈も、わが胸を眺めて、「聞く心はない」とか「シラジラしい」とか、そんな寝ぼけたことを並べる暇があるのなら、ここで対峙する必要はない。何も変えることなく、何も捨てる気もなく、大きなものだけを得ようというのなら、あまりにもムシがよすぎる。

 もちろん、全力でぶつかったから聞けるという問題でもない。が、昿劫以来の一大事だ。斬るか、斬られるか、その覚悟がないのなら、あまりにも空しい。

 結局、木刀ばかりを振り回されて、不消化のままで終わってしまった。

 まだ彼にとってはプロセスの一部なのかもしれない。

 

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