「カウンセリングの立場から真宗に見なおそう」
西光義敞先生の『育ち合う人間関係』から第1章「カウンセリングの手引き」を読んでいる。
担当者が不在だったので、ぼくが司会をした。前章までは、カウンセリングの入門であったのが、今章から急に浄土真宗の話題が出でくる。第三章「真宗者はカウンセリングをどのように実践するのか」に入ったのだ。真宗にとっては、あまりにも厳しすぎるこの章を避けられたわけではないのだが、僧侶や龍大学生、華光同人も欠席である。みな、浄土真宗と無関係の方ばかり。珍しく、まったく初参加の方も交じっていて、正直、戸惑いながらの進行となった。
別に仏教用語が羅列されたり、難しいことが書かれているわけではない。でも、短い章に中にも、「聞法」「十方衆生」「聴聞」同行」「同朋」「願力」「坊守」「御院家」「仏徳」「讃嘆」「教化」「凡夫」「在家止住」「地獄は一定すみがぞかし」……。と、皆さんには、分からない用語のオンパレードだ。「真宗」という言葉でも、うまく読んでいただけない。もっとも、「真宗カウンセリング研究会」なので、このぐらいは分かってもらいたかったが、、。そのこともあってか、先月までの活発さはなくなって沈黙が続いて、こちらもドキマギ。質問された言葉の用語解説をすることが中心となtった。中には、仏教用語ではない「人間の生地やほんね」という言葉でも、「どんな意味ですか。人間に『生地』とは初めて聞きました。パンとか服なとの物質なら分かるけれど、人間にも使うんですか」という質問が出て、逆に教えられた。なんとなく先生のお心は伝わったようで、そのことは新鮮だという声があった(何十年も一緒にやってきた方だったので、これもびっくりだった)が、やはり言葉のレベルで停滞していくこともよく分かった。
なかでも、皆さんが驚かれたのは、「地獄は一定すみがぞかし」の一言。他力のお救いならまだ伝わるが、それが、「地獄行き」に定まる、如来さまに照らされた生地の自己ということになると、一般の内省ででてこない話だ。
それにしても、真宗者にとっては、耳の痛い厳しい内容だった。華光の皆様に、ぜひ読んでいただきたい。といっても、読まれることはないだろうから、このプログで「カウンセリングの立場から真宗に見なおそう」の章を、しばらく取り上げていきたい。西光先生、40歳の念仏者に対しての叫びである。
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