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四十八願のこころ(12)第二十一願~仏の三十二相~

「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく三十二大人相(だいにんそう)を成満(じょうまん)せずは、正覚を取らじ。」(第二十一願・具足諸相〈ぐそくしょそう〉の願)

「わたし法蔵が仏になるとき、わが国の人々が、仏の身に備わる三十二種類のすばらしい特徴を満たすことがないのなら、わたしは決してさとりを開きません。」
 
 四十八願を順序から三つに分けて頂くと、まず、一~十一願で、浄土の人々への誓いが建てられ、次の十二~二十願で、私たちを浄土に迎えるための準備が誓われます。三番目は二十一~四十八願で、主に浄土に往生した人々かいただく果報についてのお誓いです。今回から三番目の入り、第二十一願からうかがっていきます。

 さて、本来、仏になるには、三阿僧祇劫(あそうぎこう)という想像を絶する修行期間が必要です。最初の一阿僧祇劫で情の煩悩を断じ、次ぎの一阿僧祇劫で知の煩悩を断じます。すべての煩悩を断じながらも、最後の一阿僧祇劫の時間をかけて、その余臭(煩悩臭さ)までも完全に断ちきって、最後に、百大劫(ひゃくだいこう)もの長い修行で、人間や天、菩薩にもない、仏(如来)にのみに備わるすばらしい容姿を荘厳(しょうごん)していくのです。

 ところが、阿弥陀さまは、お浄土に生まれた人々を阿弥陀さまと寸分違わぬ仏にしてみせると誓われています。その浄土往生への三種類の道(十八、十九、二十願)を説き終えられた後に、その身体・容姿も完璧な仏にしてみせると誓われているのです。それは、三阿僧祇劫・百大劫をかけた自力修行ではなく、浄土往生した私が、本願力のお働きによって、即、仏の素晴らしい容姿となるのです。

 三十二相の一々には触れられませんが、頭の頂上の肉髻相(にっけいそう・頭の頂骨が高く膨れ、自然に髪を束ねたようにみえる)から足裏の千輻輪相(せんぷくりん・足の裏に千輻輪という紋様がある)に至るまで、身体に顕れる仏の三十二種類の大きな特色です。これらをもとに仏像も作られています。今度は、そのあたりにも心に入れて、仏さまを拝見してみてください。

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