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2016年12月の30件の記事

大みそか

Img_7613大晦日。

新春の準備。修正会もあるので、その準備も合わせて行う。

朝から、子供たちと駐車場や会館回りの落ち葉を拾う。右隣の薬問屋は、毎朝、掃除をされるが、左隣の印刷所は、年末でも掃除をされない。そこにある木から大量の落ち葉が落ちて側溝を埋めていくのだ。会館の玄関先や駐車場にも、風向きで飛んでくる。

Img_7619子供たちも頑張って、袋一杯の枯れ葉を拾った。

ところがである。

夕方には強い風が吹いたいたかとと思うと、また大量の落ち葉が落ちている。

今度は、Rちゃんと「やってもやってもきりないね」とか「お隣の掃除Img_7621して、なにか腑に落ちないわ」と、言いながら片づけた。
取り敢えずはきれいにしたが、きっと明日の朝には、落ち葉がたくさん落ちていることだろう。

これはぼくの煩悩と同じ。木に葉っぱがある限り、いくらきれいにしても、きれいにしても、風が吹けば落ちてくる。いくら、除夜の鐘を撞Img_7620ても、撞いたしりから煩悩をつくり、罪業はたまり続けるのである。

結局、木を切らない限り、際限なくつづくように、迷いの元を絶たない限り、いくら掃いても掃いても、すぐに汚れてしまう。

ところで、南無阿弥陀仏のお救いは、煩悩を絶たないで涅槃を得るImg_7614というのだから、なんとすごいお働きなのだろうか。煩悩は絶たないが、迷いの元(疑無明)は、南無阿弥陀仏で一刀両断に断ってくださるからである。

そんなことを思いながら、迎春準備を勧めた。

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四十九日法要~「超然獨不群」

 今年も1月1日の「修正会」から、12月25日の仏青大会~成道会まで、さまざまな形式、さまざまな場所、さまざまな人と出会いながら、ご法座をもたせてもらった。25日で納めだったが、年末最後に「四十九日(満中陰)法要」を頼まれた。

 小さな子供さんがいて勤行が難しいので、最初は、「子供の聖典」をみんなで勤めてから、お『正信偈』。泣け叫び元気な声に負けないように、お勤めした。ご法話は、大人さんだけが聞いてくださった。

Img_7608_2 四十九日法要のほんとうの意義について。最後は、お仏壇の上に故人の筆で短冊が飾ってあったお言葉で結んだ。

 「超然獨不群」

 書が得意だった故人が、悟朗先生のお手本で学ばれたものである。 

「超然(ちょうねん)として、獨り群がらざれ」-故人にぴったりの善導さまのお言葉。

 けっして孤立主義ではなく、しかし世間に媚びたり、体制や多数派に流されることなく、そんなものに動じることなく、自らの信念を貫き、孤高に、往生浄土の念仏に生きる。

 そうありたいものだが、現実は難しいな_。

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201本+8本~『独裁者と小さな孫』から『ニコラス・ウィントン』まで

年間の映画館の鑑賞数が、200本を超えた。

200本に近づきなが、ながらく180~190本(つまり2日1本)のペースだったが、映画を見出して13年目で大台達成である。

実は、昨年も、かなり多忙な1年だったが、隙間時間には映画館に通って、人生でいちばんよく映画を観た年だったと記したのに、1年で更新して、今年は初の大台達成である。

1612101本目はジョージア映画(合作ですが。旧ソ連のグルジアの新しい国名)の『独裁者と小さな孫』。政権を追われた老いた独裁者と幼い孫の逃避行の果てに起こる人間の業を描いた、イランの名監督(亡命中)巨匠モフセン・マフマルバフ監督の傑作。

そして、今年の締め201本目は、チェコ、スロヴァキア合作の『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』

 第二次大戦開戦前夜のチェコ・スロヴァキア。他民族の豊かで自由な国は、大国の都合でナチス・ドイツに併合される。ナチスによる迫害からユダヤ人の子供達を救い、亡命を手助けるために、私財を投げ出し、自らの力をつくして、数々の困難のなかで、669人もの子供達を英国に亡命させ、里親を見つけ、命を救ったのである。しかもその事実を、奥様も含め50年間も知られることはなかったのだ。それが偶然に知られることとなり、50年ぶりに救われた子供達を感動の再開をする。
 こんな展開があるとは、、。僕も涙が溢れたが、周りの人たちもみな、、、。
 それにしても、100歳を超えても、常に新しいことにチャレンジし続けるニコラスに脱帽。こんな人がおられて、その精神がいまも生きていることは感動的だ。ナチズムの狂気も人間性なら、この菩薩のような強靭で、無私の慈愛も、また人間性。
  最後は、感動で今年も映画の旅を終えた。

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『この世界の片隅に』

 今年の日本のアニメション映画は豊作年だった。しかし3本ともジブリ系ではない。
 
 人気、動員では、『君の名は。』がダントツで、社会現象にもなっている。映画の出来では、『聲の形』や『この世界の片隅に』もけっして劣っていない。むしろ『この世界の片隅に』は、今年の邦画ベスト10に入る名作ではないだろうか。

 1「あまちゃん」の能年玲奈が「のん」と改名して、戦前から戦後を市井の女性の独特な雰囲気で好演。のどかで平和な戦前の少女時代に始まり、広島から呉に嫁いだ日常生活の細々した暮らしぶり、ごくごく平凡な人達に襲いかかる戦争の悲劇が、とても繊細なタッチで描かれていた。

 原作者のこうの史代は、一度、『夕凪の街 桜の国』を実写映画を見たことがある。今度はアニメ。戦争四部作で有名な故黒木和雄監督の作品にもつながる気がした。

 今年になって、呉の大空襲を経験した人から、猛火の中を養父母に両手を引かれて足が地につかないほどの勢いで、必死に逃げまどう話を聞いたばかりだ。土地柄、海軍勤めの方も下宿されていたという。猛火が収まり、広場に集まった時に、消化活動をせずに、いち早く子供連れて逃げだした父親が「卑怯者!」と罵倒され、鉄拳の制裁を受けたなと、60年前のことをまるで昨日のように、なまなましくお話くださったのが印象的だった。まるまるこの映画の世界であった。

 おススメです。

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奈良の大仏さま

Img_7473 母と子供たちを連れて、奈良へ。
 お目当ては、奈良国立博物館の「なら仏像館」である。

Img_7487 まずは、東大寺大仏殿へ。大仏さまは、ほんとうに何十年ぶりかある。

 これまでも何度か訪れているが、もうすっかりImg_7492忘れていた。

 大仏さまのお姿ではなく、回りの神仏さまのことである。

 左右には、塑像の観音菩Img_7499薩と虚空藏Img_7517菩薩。

 そして四隅には四天王像が安置されていた。

 あと美術品ではないが、Img_7506本堂にはいる軒下の賓頭盧尊者も大きくて、しかもなかなか迫力のあるお顔だ。

 そして、例の柱にくり抜かれた大仏さまの鼻穴Img_7511抜けは、昔からの名物で、今も、外国からの観光客も歓声Img_7490を上げて挑戦していた。途中で、詰まる人もいて、賑やかだった。京都もそうだが、ここも海外からの観光客、なかでも中国の方がやたら多い。入ったImg_7515店では、「メニューは日本語でよかったですか」と聞かれた。「もう何が何やらわかりませんわ」とボヤイておられた。回りは、ほとんどアジア系の観光客だ。大仏だけでなく、鹿にも大歓声をあげている。子供たちが大喜びなのは、全世界共通のImg_7486ようだ。

 大仏さまは、正式には盧遮那仏(るしゃなぶつ)坐像。もともとは奈良時代、天平の作だが、度重なる戦火や天災によって壊滅的な被害を受Img_7504けながら、その度に深い信仰の力によって、鋳造や修理がなされている。鎌倉や江戸時代などの時代ごとの補修によるImg_7501_2寄せ集めなのである。華厳経の世界の現れなので、蓮華坐の蓮弁には、蓮華藏世界か顕されているのも、目の前でImg_7503みることができたりもある。

 何よりも大仏さまよりも、大仏殿(正確には、東大寺金堂)の立派さに目を見張った。東西本願寺などと並んで、現存する世界最Img_7528大級の木造建築である。大仏さま同様に戦火によって焼け落ち、何度も再建されているが、いま、目にするものは、江戸の元禄の時代のもので、規模を縮小して再建されたそうだが、これで小さくなったというのだがら、もともとの立派さが窺える。

Img_7534_2 大仏さまや大仏殿は、江戸期の再建だったりするのだが、その前に据えられた八角灯籠は、戦火をくぐり抜けたもので、大仏開眼当時の逸品だと言われている。それにしても見事浮きImg_7527彫りだった。案外、忘れられがちだが、これもまた国宝。東大寺には、国宝だけでも30点近くもある、日本の宝といっていい場所。

 でもいちばん驚いたのが、そんな世界の宝の大仏さまもん、大仏殿の中も写真撮影がOKということだ。

 大仏さまだけに、懐が深いー。
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新年号発送!

 もうお手許に届いているでしょうか。華光誌新年号を発送しました。今年は、黄色をベースにした表紙。

 今回は、子供たちもお手伝い。前回は、遊んでばかりの下の子が、大人に交じって作業中。その様子は、スタッフブログにも紹介されていた。

http://keko-kaikan.at.webry.info/201612/article_4.html

 新年号に加えて、同人の方には、恒例の「年賀交換」。今年から、同人と、個人での掲載者に限定したものとなりましたので、ご了承ください。
 また全員に「年間法座スケジュール」も同封。長期計画で、秋以降の変更もありますので、華光会HPや毎月の法座案内を参照の上、お参りください。

 ちなみに、新年最初の法座は

 1月1日(祝)昼1時30分~4時30分
 「修正会」が勤まります。 奮ってご参加ください。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2017/detail/01/shusyoe2017-1.htm

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仏青大会~成道会

 最近、参加者が少ない仏青。いろいろと工夫するなかで、今回は、仏青大会と成道会のジョイントとなった。

 昔熱心だったが、いまは子育て忙しいOB、OGへも声かけをする。クリスマスになったのは、ブラジルから子供たちが帰国中というのもあるが、高校生世代の試験が終わっているからだ。いつもの仏青メンバーに、高校生、大学生グループと、30代後半のOB、OGと、年齢層も三極化していた。

 テーマは「楽しい仏青大会」だという。内容も、初日から盛り沢山だ。自己紹介の後、昼座は、ワーク(ゲーム)が続いた。夕方から、各県の持ち寄りでのパーティー。夜は、子供大会恒例の地獄のスライド(等活地獄)、そしてやっと法話・座談と続いた。法話は、「楽しい」より、「厳しい」内容だったと思うが、座談会の時間が少なかったのは、残念だった。

 翌日は、朝から子供と仏青やパパ・ママ世代は、カレー作り。11時から成道会で、一般の同人、子供も加わって、久しぶりに賑やかな日曜礼拝となる。カレーを食べ、今度は、子供グループはブローチ作り。仏青は、信仰座談会。やっとという感じだが、今度は、半分は、初日と顔ぶれが違って、なかなか深めるというわけにはいかなかった。

 そんな中で、ほくが一番印象的だったのは、懇親会での臨時総会だ。きれいごとのワークや分かちあいよりも、ずーと胸に迫ってくるものがある。

 いま仏青は、危機的な状況にある。少人数で頑張ったおられる。なんとかもう少し参加をしてもらいたいと、あの手この手で、お誘いや役割分担をされている。

 来年度の役割と、行事の担当者を決める。ほんとうは、事務的な作業になる予定だったようだ。しかし、仏青オーバー組や少しご無沙汰組が、さまざまな意見を述べた。中には、正論もある。ひとつひとつその通りのよい内容。

 が、現実に動き、参加しているのは会長とその周辺の一、二名ぐらいに留まっている。特に、今年は会長ひとりにすべての仕事が集中した。仏青だけではなく、日曜礼拝もある。大きな華光行事もある。仕事も忙しい。そんな中で頑張って継続してくれている。大学生世代や30代前半の人に声かけをしても、まったく動いてもらえないという苦しさもある。他の地域と組んだ合同法座も、最初だけは威勢がいいが、結局は、「仏青なのだから」と知らぬ間に会長の負担になっていた。いろいろな工夫や声かけも、なかなか後に続く人がないつらさがあるのだ。そんなこんなのたいへんな1年間を乗り越えた。そしてなんとか来年に繋げたいと、皆さんに呼びかけておられる。

 そんな中での皆さんの声。辛い思いがしただろう。しかし、涙となった思いの一端を語ってもらえて届いてきたことが、今回のいちばんの収穫である。

 確かにもう後戻りはできない。これからは若い人達がやっていかなばならない。
 だからこそ、もし学生時代に、先輩からお育てを受けたと思うのなら、今度は、若い人達を育てるためにかかわってもらいたい。現実は、子育てや仕事もたいへんだろう。大人の法座もある。自分のやりたいことの方が楽しいのに決まっている。が、しかしなのである。
 人を育てることにインスタントはない。地道に、縁の下で汗をかく営みはない。それでいて、次ぎにしっかりバトンを届けることほど意味のある仕事なのだと。 

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変わり身

Img_7561 12月23日は、恒例のM家家庭法座だ。

 厳しく懺悔される方があって、しかも求道される方もおられて、最後は、各々の聞法の姿勢を問う厳しいご示談になったが、残念ながら時間切れ。求道者も帰っていかれたこともあって、後は、お楽しみの会食、恒例の歌声酒場になる。

Img_7551 しかも今夜は、ギターが2本。当家の主と、熊本からのゲストである。

  皆さんで歌ったり、しみじみと独唱を聞かせていただいたりと、楽しい時間を過ごした。

 それにしても、あの懺悔やご示談の後で、この変わり身の早さは、さすがに生死の凡夫である。

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京都家庭法座~尊い姿~

Img_7563 ご法話の後の全体会。一言ずつ皆さんが発言される。法話感想や自分の思いなど、それぞれ語られる中、ある方が、阿弥陀さまのご苦労と、それをお伝えくださった善知識の深いご養育をいただきながら、まったく自分のこととしか考えられず、仏とも、法ともないこの身を、畳に頭をすりつけ、号泣し懺悔された。口からは,「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と激しくお念仏されるた。最近では、精神的に追い詰められ苦しい日暮らしをされているのだが、その姿は菩薩さまそのものである。触発されるように、皆さんもお念仏を申されている。
 ふと気がつくと、その方の目の前には「南無阿弥陀仏」の六字名号が掛かっている。しかも、それは先生の書かれたものだ。阿弥陀さまに頭をさげ、善知識に懺悔されている姿に違いなかった。

 たくさん言葉を重ねなくても、その身でしめしてくださった生きたご説法だった。

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一転

 快晴。青空を切り裂くような一筋の飛行機雲。

 ところが、山ひとつ超えた滋賀県に入ったら、濃霧で、ライトをつけないと視界が悪い。下の子が、一月に中学校に体験入学をする手続きで、大津の中学校を訪ねた。帰路、琵琶湖を観たら、霧で湖と向こう岸の区別がつかない。

 また京都に入ると一転、青空に。
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「カウンセリングの立場から真宗に見なおそう」

 西光義敞先生の『育ち合う人間関係』から第1章「カウンセリングの手引き」を読んでいる。

 担当者が不在だったので、ぼくが司会をした。前章までは、カウンセリングの入門であったのが、今章から急に浄土真宗の話題が出でくる。第三章「真宗者はカウンセリングをどのように実践するのか」に入ったのだ。真宗にとっては、あまりにも厳しすぎるこの章を避けられたわけではないのだが、僧侶や龍大学生、華光同人も欠席である。みな、浄土真宗と無関係の方ばかり。珍しく、まったく初参加の方も交じっていて、正直、戸惑いながらの進行となった。

 別に仏教用語が羅列されたり、難しいことが書かれているわけではない。でも、短い章に中にも、「聞法」「十方衆生」「聴聞」同行」「同朋」「願力」「坊守」「御院家」「仏徳」「讃嘆」「教化」「凡夫」「在家止住」「地獄は一定すみがぞかし」……。と、皆さんには、分からない用語のオンパレードだ。「真宗」という言葉でも、うまく読んでいただけない。もっとも、「真宗カウンセリング研究会」なので、このぐらいは分かってもらいたかったが、、。そのこともあってか、先月までの活発さはなくなって沈黙が続いて、こちらもドキマギ。質問された言葉の用語解説をすることが中心となtった。中には、仏教用語ではない「人間の生地やほんね」という言葉でも、「どんな意味ですか。人間に『生地』とは初めて聞きました。パンとか服なとの物質なら分かるけれど、人間にも使うんですか」という質問が出て、逆に教えられた。なんとなく先生のお心は伝わったようで、そのことは新鮮だという声があった(何十年も一緒にやってきた方だったので、これもびっくりだった)が、やはり言葉のレベルで停滞していくこともよく分かった。

 なかでも、皆さんが驚かれたのは、「地獄は一定すみがぞかし」の一言。他力のお救いならまだ伝わるが、それが、「地獄行き」に定まる、如来さまに照らされた生地の自己ということになると、一般の内省ででてこない話だ。

 それにしても、真宗者にとっては、耳の痛い厳しい内容だった。華光の皆様に、ぜひ読んでいただきたい。といっても、読まれることはないだろうから、このプログで「カウンセリングの立場から真宗に見なおそう」の章を、しばらく取り上げていきたい。西光先生、40歳の念仏者に対しての叫びである。

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東海支部法座~うかうかと生きてはいないか~

Houniau  一周忌の記念で、小冊子「法に遇う」の編集作業を行い、改めて味わわせてもらうことが多かった。

http://keko-kai.la.coocan.jp/book/houniau.htm

 遇い難い人身を獲て、さらに聞き難い仏法を聞く身と育てていただいたのである。

 ところが、そんなことは当たり前として、毎日毎日、だらだらと空しく過ごし、うかうかと聴聞しているのではないか。時には、そんな懈怠・不法の私をお目当てに立ち上がってくださった阿弥陀さまだからと、正当化までしてはいないか。もし、そんなマンネリ化した聴聞や日暮らしで一生を終えるなら、あまりにも勿体ない。阿弥陀さまに、いま、ここでお出遇いをさせていただいて、空しいだけの人生、迷いの命を打ち止めにさせていただく。ただひとつ、後生の一大事に焦点をあてて、お聞かせに預かっていきたい。

 いつもいつもお聞かせ頂いていることだが、老少男女を問わず、もう一度、原点に立ち返って、毎日の生活をほんとうに大切にしているのか。また自らの聞法の姿勢も問われる気がしている。そのことを、東海支部法座でもお伝えしてみた。皆さんには、どのように伝わったのだろうか。

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名古屋観光の定番

Img_7283 浅野屋に寄っても日帰りできる時間だったが、運転手がノンアルコールになるので、名古屋の栄に一泊することにしていた。

Img_7285 栄が法座会場になる時はテレビ塔に近いが、一度も登ったことがなかった。クリスマス前で、館内での星座をテーマしたマッピング。正直、特別料Img_7306金を払うほどのことはなかったが、夜景はきれいだった。名古屋城もライトアップされている。すぐ近くのオアシス21という複合施設も散策する。

Img_7323_2 翌朝は名古屋城へ。御三家筆頭尾張藩の居城として名高い。快晴。師走とは思えない陽気だ。陽だまりの紅葉が、まだ赤く染Img_7342まっているとこもある。

  一部修復なった本丸御殿を拝観する。まだ一部は工事中で、全体の完成は、2年後だという。それでも、真新Img_7352しい檜と、絢爛な襖絵が美しかった。たまたま、假屋崎省吾氏の華道展も行われていた。

Img_7357 名古屋城といえば、金の鯱。

Img_7370 しかし、国宝だった天守閣は昭和20年の空襲で焼失して、約60年前に再建されたもの。残念ながら、金の鯱も当時のものではないという。7階の展望台からは名古屋の街を一望する。昨夜は夜景Img_7379で眺めたところだが、今日では、視界を遮る高層ビルディングも林立している。

Img_7382 名古屋めしのひとつ、きしめんを食べた後、大須へ。大須観音は、紅葉を見にいった    天台宗智山派智積院の別格本山のひとつだ。目的は、御参りではなく、大須の商店街の散策。掘り出し物や面白いお店も並んでいる。子供Img_7342たちは、アニメのキャラクターにフィギアーを見つけて、大喜び。例によって、下の子は、自分の目的を果たしたら、名所観光よりも、Img_7433早く帰りたくなるのであった。

 年に何度も名古屋を尋ねがらも、今回、初めて定番の観光名所を回ったのでした。
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浅野屋洋食店

Img_7270  名古屋金山での東海支部法座の後、子供たちも一緒に、浅野屋洋食店に行く。子供たちが、前回来たのは昨年6月。その時は父も一緒だったが、あれが最期となった。つい先日のことのようだが、もう1年6ヶ月前の話。

 東海支部の後の懇親会を楽しみにしているが、浅野屋洋食店が、Img_7272_21週間ほどで店仕舞いとなるので、今回は、子供たちも一緒に、こちらにお邪魔した。閉店を惜しむ常連さんたちで、連日大賑わいのようだか、その合間にうまく顔を出してくれた。名物のミンチボールやエビフライを頂いたが、子供たちも大喜びある。カニのキッシュもおいしかった。

Img_7282 閉店といったが、これですべて終わりというのではない。今後のことも考えて、夫婦でこじんまりしたお店になって、別の場所に移動する予定だそうだ。来春以降の話だというので、またそれはそれで楽しみである。

 もうこの世を去ったが、父の書の前で記念撮影。看板も、暖簾も、父の書。次ぎのお店にも移る予定だそうだ。

http://asanoya.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/no567-1d08.html

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12月の輪読法座~お心いただく~

  12月の華光誌輪読法座。顔ぶれが固定していることを残念がっていたら、今月は、子供たちも出席したり、久しぶりの方や遠方からの参加もあって、少し賑やかになった。

 十時文雄先生の「誰のためのお救いか」を読む。皆さんの中から、「ひとりではなかなか読めない」という声が多かった。確かに、それもよく分かる。でも、このブログを読む暇があるのなら、繰り返し誌上法話を読んでいただきたい。

 悟朗先生がなくなって追悼の華光大会での、十時先生の悟朗先生からの薫陶、華光の伝統を踏まえたご法話である。

 十八願のお心を、お釈迦さまの「聞」の一言に開示解釈された成就文を通していただく。ただ称えてる、ただお救いを喜ぶのはなく、六字に込められた如来大悲のお心を、私ひとりとお聞かせに預かるのである。そうしないと、釈尊の「娑婆往来八千遍」のご苦労も、法蔵菩薩の「兆載永劫のご修行」も、皆、空しいものになってしまう。

 阿弥陀さまと、親子の名告りをさせていただこう。

◎来月の輪読法座:1月25日(水)昼1時30分~

平日の昼間です。新年号の巻頭言です。Rちゃんのデビュー作です。

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「浄土五祖伝」~懐感法師~

 法然さまの『浄土五祖伝』も、曇鸞、道綽、善導のビック3が終わって、もっともマイナーな懐感大師である。真宗では、懐感禅師と呼ばれているが、源信僧都とセット(『往生要集』の引文を重視される)で現れる方だが、ほとんど知られてはいない。それでも、ビッグ3の後、「後善導」の「法照・少康」でなく、「懐感・少康」という流れを、法然さまはとられている。
 
 浄土宗の正統性を示すめたにも、聖道門のそれぞれ(たとえば、天台宗や真言宗、法相宗にしてもそうだ)に、次第相承がある。それは、浄土宗においても、血脈があるというのである。この場合の血脈は、浄土真宗でいうほんとうの親子関係ではなく、法脈が正しく継承されていることを、親の血が子に受け継がれるという意味で、使われている。法然さまは、中国の浄土念仏の流れを「慧遠法師」「慈愍三蔵」「道綽-善導」の三流ととられおられるが、もちろん、法然さまが流れは「道綽-善導」流である。
 その中にも師資相承に2系統があり、いずれにも菩提流支三蔵から始まっているが、法然さまは、(菩提流支三蔵→)「曇鸞→道綽→善導→懐感→少康」の浄土五祖とされたのである。

 さて、懐感法師である。ほぼ同世代の少康の『瑞応伝』と、その200年後頃に書かれた『宋高僧伝』が収録されている。
 
 細かな点は異なるが(当然のごとく後のものが詳しい)、ほぼ同じ内容である。
だいたいをまとめると

1)出生地、正確な出生年、俗称などは不明。

2)長安、千福寺に属し、法相唯識を学びも、念仏は信せず。

3)善導大師に出会い、疑問を問いて氷解し、帰浄する。(善導さまの直弟子)

4)三七日(21日間)、道場で念仏修行するも霊瑞を感得できず、自らの罪深きことを歎いて断食し自死しようとするが、善導大師に誡められて奮起。

5)3年間、念仏三昧を修し、ついに三昧発得の境地に至る。

6)その後『釋浄土群疑論』七巻を顕す。(死後、弟弟子の懐惲(えうん)が完成させる)

7)臨終に来迎があり、西に向い合掌しご往生。

といったものである。

 加えるならば、則天武后の時代で、王朝の内部にも近く、則天武后の命で始まった経典の目録編纂をする「校経目僧」として活躍している。

 『群疑論』では、当時、浄土念仏と大衆教化で競合して、盛んだった「三階教」を強く批判し、後に三階教の経典は禁書扱いとなる。
 一方で、玄奘三蔵によって法相唯識が全盛期だったこともあり、当初は法相唯識を学んだこともあって、その教えを演繹して、浄土念仏の正当性を述べているという。というのも、いまでこそ、善導さまは正統であったように思われるが、当時は、他の浄土教に比してもまだまだ新興の傍流で、他の批判も多くあり、その正当性を述べたかったのだというのである。

 ほぼほお名前しか知らないお方だったので、ひとつひとつが勉強になりました。

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『ソング・オブ・ラホール』

   やはり映画と音楽ほど相性のいいものはない。

 『ソング・オブ・ラホール』は、危機的状況にあるパキスタンの伝統音楽の継承者たちが、起死回生の秘訣としてジャズ演奏に挑戦するというもの。これがなかなかの佳作で、実際のNYでのライブ映像は、感動的であった。

161203 豊かな歴史と伝統を持つパキスタンの都市、ラホール。インド同様、この地も映画産業が盛んだ。アメリカがハリウッド、インドがボリウッドならば、パキスタンは「ロリウッド」と呼ばれ、伝統的な音楽とも結びついて発展していた。

 ところが、70年代後半に政権を握った軍事政権はイスラム化を推進。世俗化の代表である歌舞音曲の類は軒並み衰退し、さらには、90年代から台頭したタリバンによって徹底的に弾圧をされていく。伝統音楽の名手たちも、つぎつぎと転職し、衰退の一途をたどっていた。

 このままなら親から子に、師匠から弟子に、世襲されてきた音楽は消えていく。そこで、彼らがとったのは、伝統楽器によるジャズの演奏である。

「なぜ、ジャズなのか?」。そして、「テイク・ファイヴ」なのか。これにもちゃんと背景があって、なるほど思った。

1956年、アメリカ国務省の親善大使として中東に、トランペッターのディジー・ガレスピーを初めて派遣している。その後も、大物が親善大使として、世界各地を訪問ているが、有名なところでは、デューク・エリントン楽団が1963年にインドなどを訪問した印象と、訪日の体験から『極東組曲』というアルバムをだしている。そして同じように、パキスタンのラホールを訪れたのが、デイヴ・ブルーベックで、この仕掛け人がその音楽に生で触れたというのである。
 もしかしたら、変拍子というのも相性がよかったのかもしれない。

 そして、その50数年後。彼らが招かれたのがNYのリンカーン・センター。ジャズの殿堂と言っていい聖地で、世界一と称されるジャズビックバンドのリーダーで、世界的ジャズ・トランペッターのウィントン・マルサリスと競演するという因縁が、なんとも面白いではないか。

ぼくには、、世界的ジャズ・トランペッターのウィントン・マルサリスが、丸くふくよかな姿も衝撃的だった。デビューアルバム以来、ずいぶん彼のレコード(いまはCD)を聞いてきた。デビューから「天才」と絶讃されていたのである。が、その音楽に心引かれることはないのが不思議で、『自由への闘い』というアルバムを最後に、いまはもう聞くことはない。破天荒さや猥雑さというか、何かプラスαを感じられなかった。要は、ぼくには面白くなかったのだ。ジャズのルーツを探るまでもなく、40年代、50年代でも、虐げられ、抑圧され、もしくは反骨精神が、音楽になんらかの形で影響を与えてきたことは、間違いないからだ。

 その意味では、ジャンルは違っても、パキスタンの音楽家たちは、下層グループに属し、パキスタンでは少数派のシーア派であり、しかも現状は厳しい。一方、ウィントンは、虐げられた黒人の音楽をルーツに持ちながら、いまや指導者としても一流、その地位も名声も十分に得ているのである。

 かなり穿った見方だけでも、そんな背景を見ても二つに異質の出会いは、ほんとうに面白かった。同じ即興性といっても、リハーサルでの戸惑いにはハラハラした。シタール奏者のように実力が伴わないものは脱落し、またアプローチの相違もあって、なかなか息が合わないまま、失敗に終わるのではないかという危機感の中で、本番では、世界最高峰のジャズミュージシャンと伍しても、互角以上の存在感を発揮したタブラ(打楽器)や、特にバーンスリー(横笛)の演奏のすばらしさは、鳥肌ものだった。

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帰国

Img_7253_2 早朝から関西空港に向かう。

 ぼくも、パスポート持参である。別に飛行機に乗るわけではないが、子供だけの旅には、親の同意が必要で、提出書類にパスポートのコピ-が必要だった。その照会のために持参したが、そうしないと子供たちを引き取れないのだ。

Img_7255_2 1年4ケ月ぶりに子供たちと再会である。

 行きは、ドバイ経由で、サンパウロに向かったが、帰路は、ドイツのフランクフルトで乗り換えてのフライトである。乗り換え時間も含めると、26時間もの旅である。飛行機だけでも、11時間乗った後、今度は12時間も長旅だ。

 さぞかし疲れているのかと思ったが、二人とも元気に戻ってきた。機内でも、熟睡できたというのである。若いということはそれでけでもすばらしいことだなー。

 大きなスーツケースを4つも持っている。2つは空で、日本でのお土産ようだという。

 会館に戻って、道場で勤行したあと、遺影のおじいちゃんと対面である。父の死は、二人がブラジルに渡った直後だったのである。

 下の子は、ずいぶん背は伸びて、姉妹が逆転しいる。顔つきもよく似てきて、髪を伸ばした分、双子に間違えられることもあるという。
 が、ふたりがあまりにも変わっていないことが、なんともうれしかった。戻ったらすぐ、いつもの二人になっていた。

 しばらく賑やかなことだろう。

 

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酉年にベンギン

4 華光誌の「年賀交換」の作業が大詰めだ。Rちゃんに、そこに入れる来年の十二支「酉」(とり)のカットを、イラスト集から10個ほど探してもらった。

 さて、使おうと思って驚いた。ペンギン、アヒル、オウム、カラス…。いろいろな鳥の絵があるのに、ニワトリがない。ぼくにとって「酉」(とり)とは、ニワ5のことしか頭になかったのである。ヒヨコのカットはありだとは思ってはいたけど、、。

7 やり直してもらうことにしたら、

 「私の年賀状は、鳥の絵ですが」と言われた。

 ああ、年をとると、固定観念に執られれるのだなー。自由な発想が新鮮。

 8といって、「トリ」年に、ベンギンの年賀状は、やっぱりないかなーと。

 すべて「ニワトリ」のカットに差し替えてもらいましたが、、。

 皆さん的には、ありですか、無しですか。

 

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ご示談

   ご示談のお申し出がある。

 お仏壇を前に、対峙して座ると真剣で斬りかかられる恐さがある。当たり前のことだが、凡夫のこの身には、何の手立ても、方法もない。だから、どこかで真剣を抜かれた時、途方にくれて、それを畏れている自分もいるのだ。しかし、ここに座った以上、唯一できることは、いま、ここで、こちらも覚悟決めて、真剣を抜いて立ち向っていくことだけである。

 ところがである。「聞かせてほしいと思います」などと、常に「○○と思います」という、自分の「思い」ばかりを語たるだけで、実際には一歩も動く気配がなく、1時間、、2時間、、3時間と、時間がダラダラ過ぎていく。ご示談を申し出た時点で、こちらの時間を殺していることが、まったく抜けているではないか。
 
 分からないことは、頭を畳みに擦りつけてでも、「お聞かせください」とお願いするしかない。
自分のいまの全力でお願いしていけばいいだけのことだ。

「それは自力ではないか」という理屈も、わが胸を眺めて、「聞く心はない」とか「シラジラしい」とか、そんな寝ぼけたことを並べる暇があるのなら、ここで対峙する必要はない。何も変えることなく、何も捨てる気もなく、大きなものだけを得ようというのなら、あまりにもムシがよすぎる。

 もちろん、全力でぶつかったから聞けるという問題でもない。が、昿劫以来の一大事だ。斬るか、斬られるか、その覚悟がないのなら、あまりにも空しい。

 結局、木刀ばかりを振り回されて、不消化のままで終わってしまった。

 まだ彼にとってはプロセスの一部なのかもしれない。

 

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12月の聖典講座~『大経』まとめ

 先月で、2年10ヶ月かけて『無量寿経』を読み終えた。
 
 今回は、総まとめ。本願寺出版のDVDを観た後、急ぎ足で、全体の構造、組み立てを復習した。

 その後、発起序でもテーマにしたが、なぜ『大無量寿経』が真実の教えなのか、全体を読み終えたところで、総括とした。

 その要点だけをおさらいすると、

 一、この経の要は、本願を説くことにある。その本願の精神(いつでも、どこでも、だれでも を救いたい)から推測される。すれば、
 二、釈尊の自らが出世本懐の教えであると述べられるが、
 その心身も光顔巍々とした喜びが、五徳瑞現として現れ、それが、(凡夫の代表である)阿難尊者に伝わって、『大経』の説法が始まっていること。そのことは、親鸞さまが、『教巻』で、『大経』や意訳を引用して、根拠とされている。
 そして、最後の流通分でも、特留此経の教示で、法滅の「経道滅尽」し、釈尊の教えが龍宮入りした後も、この経のみを留めることを、未来仏である弥勒菩薩にお約束されている。これもまた、本願の精神から窺うならば、当然のことなのである。

 それを釈尊(『大経』)のお言葉から押さえると、

▽「如来、無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して群朋を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。」(『大経』発起序)

▽「仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して 乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ 無上の功徳を具足するなりと。」(『大経』流通分)

▽「当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。」(『大経』流通分)

となる。

  それを受けて親鸞様は、、

まず、『和讃』には、

▽「如来の光瑞希有にして  阿難はなはだこころよく
 如是之義ととへりしに  出世の本意あらはせり」(浄土和讃・大経讃五二首) 
「如来興世の本意には   本願真実ひらきてぞ
 難値難見とときたまひ  猶霊瑞華としめしける」(浄土和讃・大経讃五四首)  

と本願が真実であるお心を示しておられる。
つまり、阿難尊者のお働きが大きい。すなわち、日頃接しているお釈迦さまが、常日頃の従う釈尊が、阿弥陀さまそのものに見えたのである。だからこそ、ここに出世の本懐のお説教がはじまるのである。だから、親鸞さまは、

▽「大無量寿経 真実の教 浄土真宗」(『教巻』)  

と示され、

▽「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。

と言われた。「これなり」と断言されるところが、親鸞さまである。「ではなかろうか」といった誤魔化しや、逃げ道はないのである。続いて

「この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで 功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。ここをもつて如来の本願を説きて経の宗 致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。
 なにをもつてか出世の大事なりと知ることを得るとならば、」(『教巻』)

と示されている。

 それを詳しく、『一念多念証文』では解説されている。

▽「しかれば『大経』には、「如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」との たまへり。この文のこころは、「如来」と申すは、諸仏を申すなり。「所以」は、ゆゑといふことばなり。「興出於世」といふは、仏の世に出でたまふと申すなり。「欲」は、おぼしめすと申すなり。「拯」は、すくふといふ。「群萌」は、よろづの衆生といふ。「恵」は、めぐむと申す。「真実之利」と申すは、弥陀の誓願を申 すなり。しかれば諸仏の世々に出でたまふゆゑは、弥陀の願力を説きて、よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、本懐とせんとしたまふがゆゑに、真実之利とは申 すなり。しかればこれを諸仏出世の直説と申すなり。」(『一念多念』)

▽「如来、世に興出したまふゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
  五濁悪世の群生海、如来如実の言を信ずべし。」 (『行巻』正信偈)

真実であるがゆえに、弥陀の本願を説かずにおれない。それが、また釈尊を始め、諸仏方の出世の本懐であるのだ。

▽「『門余』といふは、『門』はすなはち八万四千の仮門なり、『余』はすなはち本願一乗海なり。」(『化身土巻』)

だから、さまざまな教えを説いておられるが、そのすべては、弥陀の本願に誘引するための仮門である。弥陀の本頑こそは、唯一絶対で、海のような広大なので、本願一乗海だと言い切られているのである。

 1月はお休みで、2月から、『阿弥陀経』の概観をいただくことにしている。お楽しみに。

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インド映画『PK』

 『PK』といっても、サッカーではない。

Img_6626_2 インド映画は、最近では、日本でも当たり前に上映されるようになって、もう見るのはいいかな?と考えるようになったけれど、これは違った。

 とても面白かった。前作は、日本でもスマッシュヒットした『きっと、うまくいく』。これもよかったが、それ以上に面白い。

 ちょっとネタバレになるが、冒頭から奇想天外で、おやと思った。宇宙船がインドに不時着し、宇宙船のリモコンを奪われた宇宙人が苦心惨憺して、そのリモコンを取り返すというストーリー。それだけ聞くと荒唐無稽のご都合主義の映画のように思えるが、コメディータッチでありながら、ラブストーリーであり、人の心も機微も十分に描かれている。まったく信じられない荒唐無稽の話が、事実になってくるくだりも見事だ。

 でも、一番の主題は、宗教問題を強烈に風刺している点にある。しかも宗教大国のインドでの話だから、驚く。日本でも友人間での宗教の話題はタブー視されるが、インドは、激しい宗派対立で武力衝突も起こっているのである。ただ宗教そのものではなく、そこに関わる宗教家(教祖)のまやかしを批判するものではあるが、ある種、信仰への皮肉とも取れるシーンもあるのだ。

 結局、神さまの声は、人々を苦しめたり、過酷な要求や、荒行を強いるものではなく、弱者に寄り添う慈悲のあらわれだ。しかしながら、その神の声を伝えているという教祖や宗教家が、混線した誤ったメッセージを発し、人々の弱みに付け込み、支配し、時に脅迫して、金品も、精神も巻き上げていくというのである。

 「PK」とは、ヒィンドウーの俗語で、「酔っぱらい」だ。お人好しのアホという意味もあるのだろう。

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「南無妙法蓮華経」

  12月、華光誌の作業が大詰めだ。正月号は、通常の編集作業に加えて、「年賀交換」の小冊子も編集作業しなければならない。この版下作りは、ぼくの作業なので、何日間か集中して作業している。年内発行のためには、〆切が迫っているからだ。

 それでも、昨日は仕事がはかどり、今日、明日、明後日と作業の段取りすると、ゴールのメドも立ってきた。もう一頑張りである。

 ところが、そんな時に限って予期せぬ出来事がおこる。
 
 お葬式である。

 といっても、別に導師を頼まれたのではない。

 町内会でのお悔やみだ。役員をやっているので、お手伝いも少しあるのだ。あいにく連れ合いは、仕事で10日間ほど東北に出張中である。

 小さな町内だが、今年になって3軒目だ。しかも、亡くなった方を聞いて、びっくりした。まだ60歳を少し過ぎたところでお若い。肺ガンだが、急逝だったようだ。そして、これまで何度も一緒に町内のお世話をした方で、毎回、ぼくたちの翌年に役員に選ばれる方だったからだ。

 熱心な日蓮宗(といっても、学会ではない)だった。遺族の方が、導師と一緒に「南無妙法蓮華経」と何度も唱えておられた。念珠も、独特のもので拝んでおられた。他宗派の葬儀は貴重な経験なので、興味津々である。法華経は聞きなられないが、「舎利弗」とか「ダイバダッタ」が登場してきた。三帰依文は同じである。

 通夜のご法話は、直接、故人を偲んだお話だった。四月に法事でお会いした時は、そんなにお悪いとは感じさせず、ほんとうに驚いた。弟をなくしたようだと仰っている。「今日、身につけている衣は、故人のお父さんからのもので、念珠は父から受けたもの。三名が一つなって故人を供養させていただきました」と言われていた。

「いま、故人に何ができるのか。三食(じき)といって、香食(こうじき)-文字通り香りを食す。法食(ほうじき)-法供養を行うこと。そして、思食(しじき)といって、故人のことを思うということがある。故永六輔氏も、『人間には二度の死がある。文字通り、死亡診断書が書かれたこの肉体の死ぬ時。もう一つは、私のことを思う人が誰も居なくなった時が、わたしのほんとうの死である』という意味のことを仰っている。どうか、故人のことを胸に刻み、思い続けてください」と。

 商売上ではなく、ほんとうに無念の思いがこちらにも伝わってくる「お話」ではありましたが、、。

 

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12月の伝道研究会~煩悩成就の凡夫が~

 いま、今日の私たちは、浄土往生する=成仏する(つまり涅槃を証する)を、同じ内容として理解しているようだ。死んだ人は仏さまであり、浄土に還っていくというような法話も、葬儀の場では行われることもある。

 しかし、「浄土往生」=「成仏」ではないし、本来的には、時間的にも「即」で結ばれるものではなかった。

 例えば、十八願にしても、浄土往生についての正しい因について説かれるものであって、「念仏往生」の願とも呼ばれている。「若不生者」は、「もし浄土に往生できないのなら」というのてあって、直接、「仏に成る」とはお誓いになっておられない。それは、「十方衆生」に呼びかけれらた、十八願、十九願、二十願の三願を生因三願と呼ばれるようが、いずも「わが国」すなはち浄土に生まれさせたいという願いから起こっているのもである。

 では、成仏のお約束がなされるのはどの願かといえば、第十一願の「必至滅度の願」である。浄土に往生したものは、仏となる仲間入れ(正定聚)し、決して退くことのない(不退転)位なので、必ずや滅度(仏果、涅槃)に至る、つまり仏に成るというのてある。

 ただ、その時はいつなのか。これまで浄土の教えでは、此土(この世)では仏に成ることは難しいが、浄土に往生したなら、そこで、正定聚の位に住し、阿弥陀さまの元、最高の環境で、仏果に向かって邁進することが、けっして退くことがないというのである。つまり、浄土は、仏の修行のための最高の場ということである。

 では、その浄土往生は、いつ約束されるのか。臨終の時にである。正念で来迎に預かるというが、浄土往生の可否の分かれ目となってくる。

  ところが、親鸞さまは、平生業成で、「臨終待つことなし、来迎たのむことなし」である。そして、信心獲得の一念に、この世で、正定聚不退の位に住し、臨終の時に、浄土往生即成仏し、還相回向に預かると教示くださったのである。

 では、その御利益をいただくのは誰なのか。『証巻』の冒頭で、

つつしんで真実の証を顕さば、
すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。
すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。
また証大涅槃の願と名づくるなり。

しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、
往相回向の心行を獲れば、
即のときに大乗正定聚の数に入るなり。
正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。

と示されている。つまり「煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌」のこの私が、「往相回向の心行」すなわち、如来さまの他力回向の信心と称名によって、「即」のときに、「大乗正定聚の数に入る」のであると。そして、「正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。」というのである。

泥凡夫が、他力回向の信心を獲るひとつで、即に、正定聚の仲間入れをさせていただきくというのであるから、ただただ驚くしかない話である。

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『何者』

  『何者』は、 6名の人気若手俳優が織りなす群像劇だ。

 女優陣は、二階堂ふみと有村架純、男性陣は、佐藤健と菅田将暉に、岡田将生、それに山田孝之が絡む、まさに旬の若手俳優が勢ぞろいした青春ドラマだ。青春ドラマといっても、リアルなシュウカツ(就活)がテーマである。SNSでのコミニケーションを駆使する現代の若者気質と合わせて、うまく描かれていた。劇中で、演劇がキーワードになっていることもあって、映画自体が舞台で繰り広げられる演劇ように演出されているのも、面白かった。

 ぼく自身には、シュウカツの経験はない。ぼくの回りでも、大学生時代にシュウカツは盛んではなかった。9割以上が、寺院の師弟という特殊な環境で、だいたいが次ぎの進路が決まっているものも多かった。就職するにしても、本山か、故郷に帰って兼業が可能な公務員(役所か、教員か)になるコースも多かったのである。当時は、携帯も、インターネットもまだない時代。はるか大昔のことである。

 隔世の感ではあるが、現代のシュウカツ事情をかいま見せてくれるこの映画は、興味深かった。結局、「私は何者なのか」が問われるプロセスが、面白かったのだ。

 ところで、匿名性のあるSNSの危険性がしばしば指摘されている。しかしほんとうに恐ろしいのは、それを操るこの人間にある。普段は隠されている、もしくは隠している心の闇が、密かに露わになるだけのことかもしれない。結局、どのような便利なツールが生まれても、最終的に発信するのはこの生身の人間であり、使い方や発信の次第では、毒にも、薬にもなるということ。まあ、大半は、毒にも薬にもならない、自己満足のための垂れ流しなのだろうけどね。

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四十八願のこころ(12)第二十一願~仏の三十二相~

「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、ことごとく三十二大人相(だいにんそう)を成満(じょうまん)せずは、正覚を取らじ。」(第二十一願・具足諸相〈ぐそくしょそう〉の願)

「わたし法蔵が仏になるとき、わが国の人々が、仏の身に備わる三十二種類のすばらしい特徴を満たすことがないのなら、わたしは決してさとりを開きません。」
 
 四十八願を順序から三つに分けて頂くと、まず、一~十一願で、浄土の人々への誓いが建てられ、次の十二~二十願で、私たちを浄土に迎えるための準備が誓われます。三番目は二十一~四十八願で、主に浄土に往生した人々かいただく果報についてのお誓いです。今回から三番目の入り、第二十一願からうかがっていきます。

 さて、本来、仏になるには、三阿僧祇劫(あそうぎこう)という想像を絶する修行期間が必要です。最初の一阿僧祇劫で情の煩悩を断じ、次ぎの一阿僧祇劫で知の煩悩を断じます。すべての煩悩を断じながらも、最後の一阿僧祇劫の時間をかけて、その余臭(煩悩臭さ)までも完全に断ちきって、最後に、百大劫(ひゃくだいこう)もの長い修行で、人間や天、菩薩にもない、仏(如来)にのみに備わるすばらしい容姿を荘厳(しょうごん)していくのです。

 ところが、阿弥陀さまは、お浄土に生まれた人々を阿弥陀さまと寸分違わぬ仏にしてみせると誓われています。その浄土往生への三種類の道(十八、十九、二十願)を説き終えられた後に、その身体・容姿も完璧な仏にしてみせると誓われているのです。それは、三阿僧祇劫・百大劫をかけた自力修行ではなく、浄土往生した私が、本願力のお働きによって、即、仏の素晴らしい容姿となるのです。

 三十二相の一々には触れられませんが、頭の頂上の肉髻相(にっけいそう・頭の頂骨が高く膨れ、自然に髪を束ねたようにみえる)から足裏の千輻輪相(せんぷくりん・足の裏に千輻輪という紋様がある)に至るまで、身体に顕れる仏の三十二種類の大きな特色です。これらをもとに仏像も作られています。今度は、そのあたりにも心に入れて、仏さまを拝見してみてください。

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『君の名は。』

 「『君の名は。』を見た?」 

  高山で、高校生のYちゃんに尋ねた。地元、飛騨地方が舞台である。すると、友達と一緒に、富山まで出かけてみたというのである。

 飛騨古川町などをイメージした大ヒットアニメだ。高山線の様子や、山林などは、同じ旧吉城郡なので、ここにいても感じることができる。

 ところがである。高山周辺、つまり飛騨地方には、いま映画館は一軒もない。高山の映画館は、2年ほど前に閉館になったというのだ。というわけで、地元の映画でありながら、高山の皆さんは、富山などの他県に出て映画を観に行くという。岐阜に出るより近いそうだ。そん中で、Kさんはと、なんと2度も、しかも『聲の形』も観たと言うのたから、かなりのツウだ。最後の町長室での顔ぶれについて、その続編との絡みを熱く語ってくれた。ぼくが「?」という顔をしていると、「あれ、観てないの」。いやいや、とても面白い映画だったが、さすがにそこまでついていけなかっただけ。

 ちなみに、『聲の形』は大垣が舞台なので、岐阜を舞台にした2本のアニメ映画が、今年は大ヒットしているわけである。

 ブラジルにいる子供たちは残念がっていたが、大ヒットのおかげでロングラン上映となって、今月の帰国後でも、十分、楽しめそうである。

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高山支部報恩講~自策自励~

  華光会の高山支部の報恩講も、すでに20数回を数えている。

Img_7238_2 支部の高齢化が進んでいる。20年前、20代や30代だった人達も、すでに40代後半から50代になっているが、「そのあとは?」となると、後継者がいないのが現状だ。最高齢の満九十九歳のおばあちゃんを筆頭に、九十代、八十代の後半の方も増えている。体調や病気の関係で、この1、2年でお顔をみることがなくなった方もある。その意味では、無常の現実を、まざまざと見せられるようになった。

 昨年からは、夜のお斎もなくなったこともあるが、人数も報恩講にしては、ちょっと寂しい気もした。

 それでも、新しい方へ働きかけておられて、今年は、書家をされている男性が、初めて御参りくださった。前回は、高山別院にお勤めの方の御参りがあったが、その意味では、少しずつだが新しい息吹もある。そして、高校生のYちゃんも、大人のご法話を拝聴し座談会も出席してくれた。

Img_7246_2 悟朗先生は、善導大師の「おのおの聞け。強健有力(ごうごううりき)の時、自策自励(じしゃくじれい)して、常住を求めよ」の『往生礼讃』の御文をよく引かれた。そして、元気なうちに、仏法を聞く、もしくは聞いてもらうためのに、自策自励して、つまり各々が自らでその工夫して勤めさせていただかねば、勿体ないということを仰った。いまも、華光会館の3階には、この「自策自励」の揮毫を掲げている。

 生活(生きる活動)のためではなく、何のための人生なのか。あれもこれもの大切なものの一つとして仏法や念仏があるのでもなく、また、仏法を一番にするという比較の順番でもなく、私の生活も人生も、すべてを包む形で、お念仏があり、仏法があるのだ。人生の中で念仏を求めるのではなく、逆に、念仏の大局にたって、わが人生眺め、生活を考えたならば、念仏申すための生活であり、そのための人生であることに気付かされるのである。ならば、その視点から、仏法を中心にした、念仏を申すために人生を、そして毎日の日常をどうすればばいいのかを、常に考え、工夫させていただけばよいのである。

 今年の華光大会で、うかうか聴聞していると思わされた。が、聴聞の時だけではい、日常生活も、うかうかと無駄に過ごしていないか。南無阿弥陀仏

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名人の逸品

Img_7234 久しぶりに列車で高山に向かう。日本の列車は正確だが、高山線に関してはなかなか定刻には到着しない。大半が単線なので、行き違い列車を待つ都合で、5分程度の遅延は当たり前になっている。もう紅葉の季節は過ぎたが、自由席はわりと混み合っていて、外国Img_7233_2の観光客も目立っていた。

 かって知ったる高山駅。ホームに降り立ったら、すぐに改札口がある、と思っていたが、どうImg_7227も勝手が違う。前を歩くリピーターの旅人も、「あれ、上にあがるの?」と言っている。長年、工事をしていたが、新駅舎が完成したようだ。ずいぶん、きれいになってびっくりした。いつもとは逆の側にでたが、ここも整備されている。

 実は、それに伴って楽しみにしていることがあった。東勝廣氏の作品が、高山祭の屋台のImg_7229彫刻作品として、駅に飾られているからである。この制作の様子は、NHKのテレビ番組やラジオでも、詳しく紹介されていきた。Img_7232東氏は、さきほど現代の名工の表彰をうけたばかりで、今年は、メディアへの露出が盛んだ。屋台の高山祭も、ユネスコの世界文化遺産に認定されたところで、花火が上がったという。 

   高山駅の自由通路「匠通り」に飾られています。ちなみに、この獅子の下絵も展示されています。

Img_7230
  ≪盗難防止のため赤外線センサーで守られてます≫
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           ≪下絵も展示されています≫

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智積院の紅葉

Img_5593 桜と紅葉のシーズン、両親と京都のお寺に行くのが恒例になっている。昨年からは、母一人だけになった。だんだん歩くのも不自由になって、石畳や階段の多いところは無理だ。できれば、観光客でImg_3040_2ごった返してるところもダメだ。昨年の山科の勧修寺~随心院は、その意味ではよかった。http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-379e.html紅葉シーズンの京都で、あまり行ったところ以外で、歩きやすい、人出の少ない穴場を探すのは、難Img_7015_2くなっている。しかし。今年は、早々に決まっていた。しかも、9月に下見をすませImg_7031_2ているのである。聞法旅行の時、東山七条の智積院の会館で昼食を食べた。少し自由散策の時間もあったが紅葉が多かった。添乗員のNさんからも、「ここの紅葉は、当たり外れがないでImg_3041_2よ。東山の便利な場所なのに、穴場です」と教えてもImg_6999_2らったからだ(1枚目の写真)。しかも、会館から15分もあれImg_7126ば着く。

 支部法座と寺院布教の間の1日(11月22日)、智積院へ。晴天。暖かい。東大Img_6984_2路に入ると、観光バスが多く東福寺あたりは渋滞中。観光寺院の駐車場は閉鎖中で、その先の清水寺界隈では周辺のコインパーキングまで閉鎖しているとの掲示。智積院は、Img_7095東大路七条通の交通至便の場所だ。観光バスがドンドンはいてくる。恐る恐る駐車場に行くが、乗用車はまったく並んでいない。少し待つだけで駐車できた。しかもである。無料ときている。

 観光バスは昼食のための団体で、拝観とは別のようだ。本願寺のImg_6982_2伝燈報告に合わせImg_7125た団体もあって、話しかけると兵庫県の人達だった。これから本願寺に御参りするという。

 さっそく境内へ。見事な紅葉だ。青空にも生える。赤、黄色、ダイダイに、緑と、まさに錦織りなすである。

Img_7052 混雑もそれほどでもない。しかもである。駐車場だけでなく、本堂も、この見事な紅葉の境内も、拝観料はいらないのだ。これには一番驚いた。京都の有名寺院で、浄土真宗以外でこんな太っ腹のお寺は少ないのではなImg_3067_2いか。

 真言宗智山派総本山。正直、智山派とはあまり聞いたことがなかった。なんとImg_7092末寺は3000ケ寺もあり、その中には、節分で有名な成田山新勝寺、初詣の川崎大師、そして高尾山の大本山に、大Img_7077_2須観音などの別格本山もあるとのこと。どこも超有名な、しかも関東の裕福なお寺ばかりではないか。その総本山ともあると、これだの余裕があるといことか。

Img_7103_2 智積院というと障壁画が有名だ。国宝の長谷川等伯の障壁画は、彼の作品のなかでも逸品中の名作で名高い「楓図」Img_7034_2_3と「桜図」などを所有している。どうも、そのイメージが強すぎて、こんな立派な庭園があることをしらなかった。ということで、ここは拝観料をはらって、国宝の障壁画の数々と、名勝庭園を散Img_3069_2策した。書庫にあった等伯障壁画の模写で彩られていた。忠実に再現されたものだろうが、ホンモノを見た後では、違いは歴然。不思議なものだなー。さImg_7117_2らに、講堂には、平成になってたからの新たな襖絵の逸品が奉納されていて、墨の濃淡だけで描かれる四季も見事だったが、こちらは撮影禁止だった。

 母のゆったりしたペースに合わせたこともあったが、紅葉だけでなく、障壁画に、庭園も、たっぷり堪能できて、みんな大満足であった。Img_7000_2Img_6985
Img_7001_2

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