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12月の伝道研究会~煩悩成就の凡夫が~

 いま、今日の私たちは、浄土往生する=成仏する(つまり涅槃を証する)を、同じ内容として理解しているようだ。死んだ人は仏さまであり、浄土に還っていくというような法話も、葬儀の場では行われることもある。

 しかし、「浄土往生」=「成仏」ではないし、本来的には、時間的にも「即」で結ばれるものではなかった。

 例えば、十八願にしても、浄土往生についての正しい因について説かれるものであって、「念仏往生」の願とも呼ばれている。「若不生者」は、「もし浄土に往生できないのなら」というのてあって、直接、「仏に成る」とはお誓いになっておられない。それは、「十方衆生」に呼びかけれらた、十八願、十九願、二十願の三願を生因三願と呼ばれるようが、いずも「わが国」すなはち浄土に生まれさせたいという願いから起こっているのもである。

 では、成仏のお約束がなされるのはどの願かといえば、第十一願の「必至滅度の願」である。浄土に往生したものは、仏となる仲間入れ(正定聚)し、決して退くことのない(不退転)位なので、必ずや滅度(仏果、涅槃)に至る、つまり仏に成るというのてある。

 ただ、その時はいつなのか。これまで浄土の教えでは、此土(この世)では仏に成ることは難しいが、浄土に往生したなら、そこで、正定聚の位に住し、阿弥陀さまの元、最高の環境で、仏果に向かって邁進することが、けっして退くことがないというのである。つまり、浄土は、仏の修行のための最高の場ということである。

 では、その浄土往生は、いつ約束されるのか。臨終の時にである。正念で来迎に預かるというが、浄土往生の可否の分かれ目となってくる。

  ところが、親鸞さまは、平生業成で、「臨終待つことなし、来迎たのむことなし」である。そして、信心獲得の一念に、この世で、正定聚不退の位に住し、臨終の時に、浄土往生即成仏し、還相回向に預かると教示くださったのである。

 では、その御利益をいただくのは誰なのか。『証巻』の冒頭で、

つつしんで真実の証を顕さば、
すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。
すなはちこれ必至滅度の願(第十一願)より出でたり。
また証大涅槃の願と名づくるなり。

しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、
往相回向の心行を獲れば、
即のときに大乗正定聚の数に入るなり。
正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。

と示されている。つまり「煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌」のこの私が、「往相回向の心行」すなわち、如来さまの他力回向の信心と称名によって、「即」のときに、「大乗正定聚の数に入る」のであると。そして、「正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。」というのである。

泥凡夫が、他力回向の信心を獲るひとつで、即に、正定聚の仲間入れをさせていただきくというのであるから、ただただ驚くしかない話である。

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