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願寿寺報恩講

Img_7192 例年、夫婦揃ってお邪魔している。ぼくより、連れ合いの方がご縁が長い。華光大会の都合で、12月の永代経法要の時が多いが、今年は報恩講さまのご縁となった。

2日間で、四座のご縁。それぞれににテーマはあったが、細かな教案は持たずにその場の雰囲気を大切にしながらお話した。やはり華光大会での尊い法縁、葬儀に、日高支部法座など、直前まで続いたImg_7197法座でのご縁が、種々に影響しているようだ。

 全体のテーマがあるとするならば、出遇うということか。これは、父の「法に遇う」をまとめたことが、心に残っているからだ。

 報恩講さまということで、改めて聖人のご一生に触れる。

Img_7198  親鸞さまが、20年の回り道の末に法然さまに出遇われ、そこで、100日間の聴聞の末、雑行を棄て本願に帰されたことが、(この世の中では)浄土真宗の始まりだといっていい。結局、法然さまという人との出遇いを通じて、遇い難く、聞き難い、弥陀の本願に出遇われたのである。そういえば、その弥陀の本願も、国王法蔵さまが、五十三仏の出現後にお出ましなった世自在王仏さまにお出遇いによって、発願されたのが出発点であった。

Img_7132 ならば私自身どうか。それは、父でもあり、師でもあった増井悟朗との出遇いを抜きには語れない。それは、説かれた内容以上に、法に対する姿勢、求道者と向き合う態度態度と垂れたそして、その父もまた、伊藤康善師と『仏敵』との出遇いを抜きには語れないとするならば、ほんとうに法に遇うことは、(私の側からみれば)「たまたま」としかいいようがない。しかし、如来さまの側からみれば、その「たまたま」には、多生の間のあの手この手の種々のご方便があったのだ。

 そうすると、いま、ここに集う人達とのご縁も、多生の縁である。たった一度のご縁の方もおられるかもしれない。それだけに、南無阿弥陀仏のお心を聞くご縁を大切にさせていただきたかった。

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