申し訳ございません
朝、聖典講座の準備をしていた。早くレジュメを造らないと少しあせり気味。
F君から電話。聖典講座のことだろとう思っていた。
「10時30分になりましたが、お待ちしています」
「?」
「今日は叔母の年忌法要でして、、」
「? !! ああ!」
そうだった。そうだった。お盆参りの時に、「聖典講座がありますが、10時からなら大丈夫です」と、時間までこらちらで指定しておきなから、すっかり忘れていたのだ。「すみません。すぐに窺います」と、大慌てで準備し、F家へ直行。幸いなことに、車なら3分ほどで到着する。しかし、50分も大遅刻だ。ご親戚の中に、「帰りの時間もありますから」といわれる方もある。「申し訳ありません」と平謝り。
何かミスがあったなら、「サービスして多めに入れておきます」とか「おまけしておきますね」ということは、世間では当たり前。ところが、勤行は逆で、「早めに、短めにしておいてください」と仰られた。「いえいえ、遅れたお詫びに、長めに経典をあげますよ」と、もちろん共に冗談で申し上げた。結局は、普通に皆さんと一緒にお勤めして、またご法話もさせていただけた。中には、しっかり『お正信偈』を声を出して、お念仏も称えてくださる方もあって、うれしかった。
そのうち、「人生も最終盤、子供たちに何を残るのか」という話題になった。お金や家を遺す、仕事を遺す、中には借金を遺す方も、悪名を遺す方もあるかもしれない。。でも、ほんとうにいざとなった時、私たちは、何を子供たちに相続させいくのだろうか。「結局、平穏な人生が一番ですね」というような話ではない。
税務署からも睨まれず、保管場所にもこまらない。それでいてこの上ない宝は、阿弥陀さまのご本願のお法りであり、私の口をついて出る「南無阿弥陀仏」である。どうぞ、ご法のご相続をお伝えくださいと、結ぶことができた。
聖典講座まであまり時間はない。でも不思議なことに、こんな時は集中力が増す。おかげで、講義に間に合って完成することができた。いよいよ「大無量寿経」も流通分(るずうぶん・結語)に入って、今月で終わる。
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