「またね」はない
大会翌日、同人のお通夜のために宝塚に向かう。
華光大会の最終日、ご満座の道場は、お念仏の渦となった。ところが、その時会館に電話がかかていた。同人の訃報で、葬儀の依頼だ。伝言を聞いたときには、耳を疑った。9月末に、ご自宅にご示談に窺ったばかりなのだ。最近は、ご法座は疎遠となりながらも、体調を崩されたことをきっかけに後生の不安が募ってきたのである。京都に来るのが難しいほど、(精神的にも)弱っておられので、何度かのやりとの末にこちらからお邪魔すくことになった。もう力なしになっておられた。ところが、「ご示談の前に、仏書を読んだほうがいいすか。法話テープがいいですか」などと聞いておられた。「力なし」なのに、自力はピンピンしていた。
お話を聞くために体力をつけることも大切だ。今生の上でも元気になってもらいたいと、信頼できる病院を紹介した。内蔵の病ではないので、免疫力さえ高まれば、症状は改善し、きっと元気になられると思っていた。実際、気持ちも少し前向きに明るくなっておられて、少し安心していたのだ。その報告で、また家庭法座を開きたいとの話も出ていた。
ところが、心配されていた病気ではなく、入浴中の突然死で、60代とまだお若い今生の命が、終わったのである。無常の理は、仏説まこととただ頷くばかりである。9月以降のご縁もあり、後に遺された二人の娘さん方の仏法相続を願い、葬儀の依頼を受けることにした。
しかし、元気な内に仏縁はかなわなかった。
「また」はなかったのである。
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