地獄で恵信尼公
別府の地獄は、100度前後の噴気や熱泥、熱湯が噴出し硫黄臭も漂い、誰も近づけず、当然、農作物もできない荒れ地で、地獄と名付けれたという。その地獄を鎮めた高僧が一遍上人で、そのゆかりの永福寺が、別府八湯でも有名な鉄輪(かんなわ)の地獄の中にひっそりと建っていた。これは地元のTさんならではご案内くださった。ところで、城崎温泉にも、下呂温泉にも、温泉寺があった。有名な温泉はだれか高僧が開いたという伝承がつきもので、聖徳太子や弘法大師が特に有名だが、新潟の赤倉温泉は親鸞聖人というので、驚いたことがある。ここは、温泉山永福寺という時宗である。
観光寺院ではないので日頃は本堂は閉まっているようだが、その本堂から私たちを手招きくださる女性がおられる。「いま、ご住職もおられるから、どうぞ」と。ためらっていたら、ご住職も出て来られて「皆さんのご宗派はどこですか」と、お尋ねになった。ちょっとびっくりしたが、「浄土真宗です」と答えると、「ちょうどよいときに御参りされました。どうぞ、お入りください」とお勧めくださった
本堂の壁には、地獄・極楽の道筋、いわゆる冥土の旅の絵が飾ってあったが、これは、法座の初日に話したところだ。でも、一番、驚いたのは、親鸞聖人の奥方さま、恵信尼公のお像が安置されているのだ。日頃は、お厨子の中に収まっているが、年に1、2度、このように前に誰さて来るそうで、それがたまたま今日だったというのである。私たちが声に出してお念仏し、熱心に話を聞くので、ご住職はとても喜んでくださり、突然、音楽を流しだされて十念に唱えながら、無邪気に踊りだされた。時宗の踊り念仏を実演してくださったのである。ぼくも、お念仏の唱え方などを尋ねてものだから、解説のコピーをくださるなど歓待をうけた。
では、なぜ、別府に縁もゆかりもない恵信尼公玉日姫さまの像があるのか。
実は、古くからこの地に筑豊の炭坑関係やその奥さんが長期の湯治こられていた。彼らは熱心な門徒で、時宗のこのお寺でも浄土真宗のお説教が開かれ、女性たちを中心に「恵信講」が持たれていた。それが大正5年に稲田草庵(西念寺)で、玉日公(すなわち恵信尼公)大遠忌があり、ここの住職が代表して、茨城県の稲田草庵まで、皆さんが喜捨された百圓を届けたというのである。当時としては大金で、しかも遠く離れた地で、恵信尼公を顕彰する講があるということで、西念寺からこの恵信尼公玉日姫像がおくられたというのである。その領収書兼譲り状を拝見させていただいたが、こんな記録が残っているのもすごい。あわせて、なんと恵信尼公の遺髪が、たいせつに保存されていたのだ。もっとも毛髪に関しての真偽は不明だが、とにかく、まさか九州別府で、恵信尼公像、その遺髪を拝ませていただくことになるとは、まったく感無量。
まさに、地獄で恵信尼公。
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