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阿弥陀如来の化身

   法然聖人の『漢語燈録』に収録される「類聚浄土五祖伝」。第3番目の善導大師に入って、5回目だ。善導さまは、6種類の年代の異なる高僧伝に収録されているが、今回は、8世紀末~9世紀頃(9世紀末説もある)、つまり善導さま没後100年頃に著わされた、(善道)・道鏡著の『念仏鏡』と、1162年(善導さま没後、約500年後)に著された王日休の『龍舒浄土文』を読んだ。

 これまでにない伝記やエピソードが面白かった。

 『念仏鏡』は、善導さまが、金剛法師(宗派不明)という方と法論され、念仏が優れていることを顕されたエピソードのみである。
  善導さまは、お念仏すれば、必ず往生すると主張されるのである。その証明として、高座の上から、もし念仏往生が真実なら、このお堂の仏像から光を放たたしめよ。もし念仏往生が虚妄で、浄土に往生できず、衆生を誑かすものなら、今すぐこの高座の上から、私を大地獄に墮とさせよ。永年に渡り苦を受け二度と浮かび上がることはないだろうと、願かけをされるのである。そして、如意杖でお堂の仏像を指すと、そのすべてが光を放ったというのである。

 そして、王日休の『龍舒浄土文』は、これまでの高僧伝・往生伝を伝承する形で、新しい事実はすくない。それでも、2、3面白い記述が含まれている。

 まず、善導さまの「勧化徑路修行頌」という42文字の偈文というか、頌は尊い。老の現実と、たとえ家にお金が満ちても病からも逃れられず、どんな快楽もついには無常(死)が到りくる。だから、徑路(狭い道)の修行、ただ「阿弥陀仏」を念じる(称え)よ、というのである。

 また捨身往生は継承しながらも、「この身し厭ふべし、吾、まさに西に帰らんとす」と、遺言されたというのである。「西に帰る」、つまり阿弥陀さまが帰っていかれるのである。

 そして最後に、宋の天台宗の僧、遵式の『西方略伝』を引用されている。そこには、善導さまは「阿弥陀仏の化身」だと明記されているのだ。

 これらが史実かどうかというより、善導さまの神格化ならぬ、仏格化が進む中で、はっきりと、阿弥陀さまの生れ変わりだと示されていることに、意味がある。なぜなら、法然聖人は、「偏依善導一師」として、『浄土三部経』のご解釈も、善導さまによっておられるのだが、それは、善導さまが阿弥陀さまの生れ変わりだからなのである。そのように、法然さまも、親鸞さまも、善導さまを仰がれ、頂かれているのである。そして、そのことを、後世の後輩たちにもお伝えしたかったのである。 南無阿弥陀仏

 

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