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11月の聖典講座~『大経』の流通分(2)~

二、そして、いかなる困難も超えて聞くことを勧められる段が続く。
 すなわち、それほどの大功徳の教えなので、たとえ大千世界を焼きすつく猛火のような困 難を乗り越えてでも、この教えを聞くよう諭される。ここも、

*「たとひ大千世界に  みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」               (『浄土和讃』五六一頁)

と有名なご和讃で示しておられる。

三、さらに、特にこの経を末法の後までも留めると示す(特留此経)段である。
 まず、教えを聞き求めることを勧め、疑うことを誡めされた後に、慈悲心をもって、経道滅尽の後も、百年間(人間の寿命であり、満数で、永遠と頂く)、特に此の経=弥陀の本願を説いた『大経』は留めおくことを示される。聖人はたびたび引用されるが、和讃のみをあげていく。

正像末の三時
 正法-五百年- 教・行・証
 像法-千年-- 教・行・×
 末法-一万年- 教・×・×
 法滅-経道滅尽×・×・×『大経』以外の釈尊の教えは龍宮へ

*「末法五濁の有情の  行証かなはぬときなれば
 釈迦の遺法ことごとく  龍宮にいりたまひにき」
*「正像末の三時には   弥陀の本願ひろまれり
 像季・末法のこの世には 諸善龍宮にいりたまふ」
*「像末五濁の世となりて 釈迦の遺教かくれしむ
 弥陀の悲願ひろまりて  念仏往生さかりなり」
 (『正像末和讃』六〇三頁)

四、最後に、四難をあげ信心を勧める段で締めくくられる。
 この経を聞き信じることが極めて難しく、「難中之難・無過此難」だと強調し、重ねて教えを信じる(他力によって)ことを勧めて、『大経』の釈尊のご説法は終わるのが、象徴的である。

(1)如来の興世に値ひがたく、見たてまつること難し。
                                                       --(値仏の難)仏
(2)(a)諸仏の経道も得がたく聞きがたく  --(聞法の難)法
  (b)菩薩の勝法・諸波羅蜜、聞くことを得ることまた難し
(3)善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。
                         (遇善知識の難)僧
(4)もしこの経を聞きて信楽受持することは、難のなかの難、これに過ぎたる難はなけん。           (信楽の難)

 そのおこころを聖人は、次ぎのように『浄土和讃』に示されている。

*「如来の興世にあひがたく  諸仏の経道ききがたし
 菩薩の勝法きくことも   無量劫にもまれらなり」
*「善知識にあふことも    をしふることもまたかたし
 よくきくこともかたければ 信ずることもなほかたし」
*「一代諸教の信よりも    弘願の信楽なほかたし
 難中之難とときたまひ   無過此難とのべたまふ」
     (『浄土和讃』大経讃・ 五六八頁)

*「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 
 信楽受持甚以難 難中之難無過此」
     (『行巻・正信念仏偈)

 以上で釈尊のご説法は終わる。短いが、聖人の和讃や引文をみても、たいへん重要な段であることがわかる。
 最後はお経の結びで、形式的な形をとるが、一応二段に分けてみると、
(2)聞経得益【四八】の前半
(3)現瑞衆喜【四八】の後半

となり、(2)まず教説を聞いた者のご利益をあげられ、
(3)最後に、天地が四種の奇瑞を現して、この経典の真実であることを証明し、大衆が歓喜したことが述べられて、『無量寿経』は結ばれているのである。

 一応、これで『大無量寿経』は終わったが、12月は、もう一度、全体を振り返り、いくつかの問題点を取り上げてみようと思う。

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