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11月の聖典講座~『大経』の流通分(1)~

 聖典講座の『大無量寿経』も26回目。2年半進めてきて、いよいよ最終回である。

 ところで、経典は、序論にあたる「序分」、本論にあたる「正宗分」、そして結語にあたる「流通分」の三段で構成されている。前回で、お経の本論、要の部分である正宗分が終わり、今回はお経の締めくくりである流通分を窺うのである。
 流通分とは、この経を流通させたいという結びだ。すなわち、『大経』の説法こそが真実の教えだから、後の世に末永く伝え弘通してほしい、という釈尊の願いが、弥勒菩薩に委嘱(弥勒付属)されて、『大経』の説法が終わるのである。この「流通分」を、(1)弥勒付属(付属流通)・(2)聞経得益・(3)現瑞衆喜の三段(現代語訳本では二段)に分科して窺った。

 その中心は、(1)弥勒付属(付属流通)【四七】だ。『大経』の最後に、釈尊が弥勒菩薩に『大経』(つまり弥陀の本願)を委嘱される説法とあって、親鸞聖人がさまざまに引用されて重視されていることが窺える。

 ところで、「弥勒への付属」だが、弥勒菩薩は、五十六億七千万年後に、釈尊の後に現れて三会の説法(龍華三会)で衆生済度される未来仏である。その弥勒菩薩に、この『大経』を付属(委嘱)されて、後世にも流通(流布)されることが説かれている。正依(魏訳)には、わざわざその文言はないが、他の後期無量寿経には、以下のように示されているのである。

*「今、この法門を汝に付嘱す。まさに愛楽修習すべし」(『如来会』大経異訳)
*「また、実にアジタ(弥勒)よ、わたしはこの法門が滅亡しないように、大いなる付嘱(委嘱)をするのだ」(『サンスクリット本の大経』岩波文庫)    

たいせつな段なので、四段に細分化して窺っていくと、

一、まず「六字名号のご利益を示す段」がある。
 釈尊が、弥勒菩薩に対して、阿弥陀如来の名号、すなはわ南無阿弥陀仏のおいわれを聞信し、そして一声でも称名念仏するものは、この上ない功徳が得られることが、短いに説法の中で最後に説かれている。

 ところで、この「乃至一念」については、親鸞聖人は、「遍数の一念」(ひとこえの念仏)、つまり行の一念としてとらえらおられる。一方で、成就文の「乃至一念」は、信の一念である。それを簡潔に図式すれば次ぎのようになる。
 信の一念-時剋の一念(信心開発の窮まり・ひとおもいの信心)               成就文一念
      -信相の一念(二心(疑心)なき信心)
 行の一念-遍数の一念(ひとこえの念仏              流通分一念
     -行相の一念(ただ念仏ひとつ・他の行を並べて修さない)

 「遍数の一念」については、

*「行の一念といふは、いはく、称名の遍数について選択易行の至極を顕開す。」(『行巻』一八七頁)
*「いま弥勒付嘱の「一念」はすなはちこれ一声なり。一声はすなはちこれ一念なり。一念はすなはちこれ一行なり。一行はすなはちこれ正行なり。正行はすなはちこれ正業なり。正業はすなはちこれ正念なり。正念はすなはちこれ念仏なり。すなはちこれ南無阿弥陀仏なり。」(『行巻』一八九頁)
*「「歓喜踊躍・乃至一念」といふは、(中略)「乃至」は、称名の遍数の定まりなきことをあらはす。「一念」は功徳のきはまり、一念に万徳ことごとくそなはる、よろづの善みなをさまるなり」(『一念多念証文』六八五頁)

などと示して下さっているのである。(つづく)

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