« 『ミスター・ダイナマイト』~ファンクの帝王ジェームス・ブラウン | トップページ | 避難所 »

第3回の「念仏と黙想、語らいの集い」

 「念仏と黙想と語らいの集い」も第3回。
 華光大会が近いということで、参加者が少ない。それでも、北陸からは初参加者3名、東海からも初参加があって、それなりの人数にはなった。
 「お念仏を強制されるのはいや」とか「自力修行ではないか」とか、いろいろと誤解もされているようだが、けっして、強制をするのても、自力修行でもない。念仏という報恩行は、凡夫の大切な役割である。

 それをみんなが力を合わせて、励ましてあっておこなっていくのである。そこに丁寧に行うという思いがある。日頃のお念仏は機械的で、なおざりではないか。ただ数をたのむでもなく、丁寧に勤行やお念仏をさせていただきしましょう。

 黙想も、日頃、こころが走り回っているので、静かな、何もしない時間をもつということで、けっして瞑想のような行ではない。妄念が出ようが法悦がおころうが、共に虚仮不実で、刻々と変化ずく妄念妄想にずぎないのだ。

 それでも、それを言葉にしてみる。出来る限り、飾らず、偽らずに、率直に語り合い、分かち合っていく。
 
 初日は、輪も小さい分、距離が近かった。2日目、少し人数が増えたこともあり、疲れもあってか少し声も少なくなったような気がした。それでも、何も押しつけられたり、教授されたりしないのに、ただ念仏申すだせけで、それぞれがわか身のことや法について、自然と気付かせていただくことが多々あることが、なんとも有り難い。

 日頃の法座にはない、温かさがある。何よりも、皆さんと共にお念仏を心いくまで、そして丁寧に申させていただくという幸せをいただいた。ひとりで称えるのもよし、御同行と称えるもよしである。

 ところで、例年の「燈火の夕べ」の代わりに、「六時礼讃」(日没偈)の勤行を行ったが、皆さん難しかった模様ですが、どうでしたか?
 

|

« 『ミスター・ダイナマイト』~ファンクの帝王ジェームス・ブラウン | トップページ | 避難所 »

法座と聞法」カテゴリの記事