安心編も「得益論」へ
伝道研究会で取り上げてきた、「真宗の基礎」安心篇も、今回の「得益論」で終わりを迎える。皆さん、よくここまでついてこられたと、ある意味で感心している。
今回のテキストから、担当が悟朗先生より交代した。 そういうわけで、これまでの8年間分を1講義で解説する「安心篇」入門を最初に置いている。
冒頭、「安心篇」となっているが、その「安心」とは何かを虫食いのテスト状態であげている。
▽安心は、「あんしん」ではなく「あんじん」と読む。
▽それでは、浄土真宗では、「信心」と「安心」とは、違うものなのか、同じなのか。
さあ、ここで、皆さん、喧々諤々。なんとなく違うから、はっきりと違う、いや同じ。違う理由もあげてくださった。
では、その用語の基礎知識として、真宗でいうところの「安心」のもともとの出拠を尋ねる問題である。
▽「 1 」大師の『 2 』による「 3 ・ 4 ・ 5 」に由来する。
その当面では、「 6 」の三心(「 7 」「 8 」「 9 」)である。
しかし、「 10 」上人によると、それは、「 11 」の三信(「 12 」「 13 」「 14 」)と同一と見られている。
▽ここで、余談質疑で、親鸞聖人の場合、その両者(6と10の三信)をどのように捉えているのですか。
というような形。もちろん、分かっておられる方には当たり前、分からない方には難しいようだった。答え合わせである。
1=善導大師 2=往生礼讃
3=安心 4=起行 5=作業(さごう)
6=観経
7=至誠心 8=深心 9=廻向発願心
10=法然上人
11=大経
12=至心 13=信楽 14=欲生我国
▽つまり、浄土真宗の「安心」とは、「金剛堅固の信心」、つまり自力信ではなく、「他力廻向の信」のことである。
▽また、蓮如上人の『御文章』(2-7通)によると、
「この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。されば、安心 という二字をば、「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。されば、なにの造作もなく、一心一向に 如来をたのみたまいらする信心ひとつにて、極楽往生すべし。あら、こころえやすの安心や、また、あら、往きやすの浄土や。これによりて、『大経』には、「易往而無人」とこれを説かれたり」
つまり、本来の安心の意味では、「止めり、定めり、静なり」の訓み方で、安住、安置、安定などと熟語されるが、
蓮如上人の立場では、真宗の信心は極難信ではあるが、他力回向の信心の立場に立ったなら、「やすきもの」だという言われた。
これだけ書くと、勉強のような潤いのない話になってしまうが、あくまでもこれは導入だったことを、お断りしておきます。たまには、こんな話題もいいかもと、、。
次回は、11月2日(水)夜7時30分~9時50分です。
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