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浄土五祖伝を読む~善導禅師(2)~

『浄土五祖伝』も善導さまに入っている。第2回は法座と重なり欠席した。九月はご講師の都合で日程変更となり、十月に二週続けて開講れる。前回(7月)のことは、善導「大師」ではなく、「禅師」と称されていることなどにも、ここに少し詳しく触れている。

 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-a7cb.html

 さて、『浄土五祖伝』は、法然さまが集めれたもので『漢語燈録』に収録されている。善導さまは「六伝」が集めれているが、時代が下がるにつけて、今風に言うとどんどん盛られてきて、話が大きくなっていくのが面白い。道綽さまのところでも触れているが、お師匠さまである道綽さまとの地位が逆転するエピソードまであるのだ。他にも、最初は、教化を受けた方が浄土往生を願って投身自殺するのに、いつの間にか善導さまが投身自殺したかのような逸話を収めているのは、同名者との混乱かもしれない。いずにせよ、史実がどうかというより、これを法然さまが後世のものに示されたという意味をいただくことも大切なのだろう。

 さらに後世のものに詳しくなることに、意味がないわけでもない。たえとば、最初から善導さまの生誕年は不明のままで、最初のころのものには、往生年の記載もない。ところが、『続高僧伝』『瑞應伝』からは400年後(いまの尺度でいうと、関が原の合戦のころの詳細な記述ということになる)に書かれた『新修往生伝』では、そのご往生を、「永隆2年(681年)三月十四日、六十九歳」と明記されているのだ。

 ではこれがデタラメかというとそうではなく、紙の記録にはない金石文(金属や石碑に刻まれた文章、代表的なものが墓碑銘)にその記録が残っているとう。善導さまのお弟子の墓標が発掘されている。紙のものに比べると彫られたもの、しかも発掘されたものを改ざんするは難しいので、それだけ資料としての信憑性が高いわけだが、そこに師匠の善導さまのご功績が讃えられ、衰退した寺院を再興するなどの業績と共に、「永隆2年(681年)」にご往生されたという記載があるといのうだ。そこから善導さまの生誕年もはっきりしてきて、太業9年(613年)という推測できるというのである。考古学的な発掘で、後世に盛られていたと思われた資料に信憑性があることが分かったというのである。
 
 

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