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2016年10月の28件の記事

大分サッテー・ジャワ

Img_6253 大分法座の後、遠方組の大半は、別府に1泊した。

  Sさんが、大分市内のお勧めの鳥料理をお店に連れてくださる。大分といえば、関サバ・アジ、とり天やから揚げがB級グルメとして有名だ。目立つインドネシア料理店で降ろされたが、2階に鳥専門店Img_6256_2があるので、そこに行きかけたら、インドネシアのお店に入るという。

「とりじゃないの」と思ったら、「やきりと・釜めし」インドネシア料理とある。ちょっとあやしい気分になったが、創業は昭和29年というから、60年以上もこのスタイルで続く老舗の名は「サッテー・ジャワ」。「サッテー」とはジャワ語で焼き鳥のこと。これにはちゃっとおいわれもあった。看板どおり、焼き鳥や釜めしもおいしかった。

Img_6255 皆さんとは、いつも法座では顔を合わせているが、ゆっくりと少人数で飲食をする機会は少なかったので、お互いの知らない面がお聞かせに預かれてとてもよかった。特に、Nさんのご主人のご法との出会いは、尊かった。さらに盛り上がって、明日は、大分のTさんが別府を案内してくださることになった。Tさんは、ぼくたちと同じホテルに泊まるとまでおっしゃってくださる。彼とは、ほんとうに不思議なご縁で、Img_6530本山の教師教習で同じ班になった。ぼくが班長、Tさんが副班長だったのだが、信楽先生や西光先生(福祉やカウンセリング関係で)をご存じで、その上、父のことも知っておられたこともあって、それ以降、ご縁を結ばせていただいている。

 お寺に生まれながら、別に職業に付き、遠く離れた地で家庭をもち、ずっと逃げて逃げておられたのが、いよいよ一昨年の大分の法座で、弥陀の光明に摂取不捨される身となられたのである。詳しいことは、いま華光誌に「お寺に生まれて」という信仰体験談が連載中なので、ぜひご一読いただきたい。彼とは、ホテルでも、二人でお酒を酌み交わした。教師教習で出会ってから、30年近くが経過したが、こんな日が来るとは、まったく不思議である。
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九州支部法座IN大分

Img_6229  2年ぶりに大分での九州支部法座だ。

 4月に開催予定だった。ところが、当日の深夜、熊本地震の本震が発生、同人にも被災者された方がでた。地震は大分にも連動し拡がり、九州では列車は運休、高速道路は不通と、法座は中止となった。しかし、地元の大分の方が残念に思われて、半年後に延期ということで準備を進めてくださった。

Img_6233 新幹線で小倉まで行き、特急ソニックに乗り換えて大分まで。そこから由布市(旧の狭間町)の向之原(「むかいのはる」と読む。このあたりは、「原」と書いて「はる」と読むバス停もあった)までローカル線で20分。さらにに車で迎えがあって15分ほどで会場に到着した。会館を8時に出たので5時間30分はかかった。しかしである。福井や高山からも参詣の方は、5時台に出発されているのであるから、ご苦労さまである。会場は、「陣屋の村」という旧町営の温泉施設で、温泉の源泉があって、しっとりしたなかなかいい露天風呂もあImg_6242る。
 
 今回、初めてお会いすることがあった。逆に、4月にお会いできる予定だったので、今回は不参加の方もある。当日、急にキャンセルされた方もあれば、夜の懇親会だけお出でになった方もある。大分の皆さんは、お育ての先生も異なるので、一念の出会いや相続の形、後生への姿勢など、それぞれに違いもあるようだ。

 しかし、同じ本願念仏に生きる御同朋である。この出会いによって、気付かされたり学ばれたこともある。教化という言葉があるが、教えによって化けるのである。化学反応ではないが、異質のものが出会うことによって化ける、変化することもあろう。大分の同人のなかには、難病でからだが不自由にも関わらず念仏三昧の方もおられる。また長年にわたり、毎月のご自宅で家庭法座を欠かさず、そこで仏法のご縁のなかった40代の方が法に遇うご縁が生まれたりと、とにかく法に篤い方がおられるのが尊い。そういうお同行が育つには善知識のおかげではあるが、一過性ではなくて、ご法が何十年もご相続されてきているのだ。
 
 というわで、今回は「出会い」、特に「法に遇う」というテーマでご法話させていただいた。出会いとは、文字通り「出て」あうことである。遠近各地から大分まで出かけるという「出る」ことも、物理的な出るだけなく、わが身をそこにさらけ出すということになるのではないか。大分の皆さんにしても、華光の法座に出る、そして華光の同人と出会う、その出会いを通じてご法に遇い、仏さまにお出遇いをさせてもらうのである。なかなかその一歩が踏み出せない。自分たちだけで小さくまとまっていると安心・安全かもしれないが、逆に大きな世界に触れることはできないのた。物理的な意味での一歩は、わが身をその場に置き、さらに心を開いて、小さなわたしの枠を出る一歩ともあるのかもしれない。それが「出て」「遇う」ということであろう。華光で座談会を大切にする所以でもある。

 

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北海道対広島

 日本シリーズは北海道対広島の対戦だ。

 大谷に、黒田に、大逆転に、「神ってる」とか、何かと話題の多いシリーズで盛り上がった。

Img_6539 数年前なら広島を応援していただろうが、いまは北海道を応援している。ここ数年は、パリーグのチームに魅力的な選手が多いので、どうもパリーグびいきになっている。が、それだけではない。秋Img_6543公演のために北海道の各地を転戦中していた連れ合いは、札幌に事務所を構えていて地元の盛り上がり様子も教えてくれる。優勝の日は、実家のある深川市での公演日だった。

Img_6541 広島支部法座の会場はマツダスタジアムにほんとうに近いところにある。駅から会場まで歩くと、スタジアムの前を通っていく。広島でビールを買ったら、広島カープ仕様だった。広島の方は残念でしたが、北海道が優勝してよかったです。

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浄土五祖伝を読む~善導禅師(2)~

『浄土五祖伝』も善導さまに入っている。第2回は法座と重なり欠席した。九月はご講師の都合で日程変更となり、十月に二週続けて開講れる。前回(7月)のことは、善導「大師」ではなく、「禅師」と称されていることなどにも、ここに少し詳しく触れている。

 http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-a7cb.html

 さて、『浄土五祖伝』は、法然さまが集めれたもので『漢語燈録』に収録されている。善導さまは「六伝」が集めれているが、時代が下がるにつけて、今風に言うとどんどん盛られてきて、話が大きくなっていくのが面白い。道綽さまのところでも触れているが、お師匠さまである道綽さまとの地位が逆転するエピソードまであるのだ。他にも、最初は、教化を受けた方が浄土往生を願って投身自殺するのに、いつの間にか善導さまが投身自殺したかのような逸話を収めているのは、同名者との混乱かもしれない。いずにせよ、史実がどうかというより、これを法然さまが後世のものに示されたという意味をいただくことも大切なのだろう。

 さらに後世のものに詳しくなることに、意味がないわけでもない。たえとば、最初から善導さまの生誕年は不明のままで、最初のころのものには、往生年の記載もない。ところが、『続高僧伝』『瑞應伝』からは400年後(いまの尺度でいうと、関が原の合戦のころの詳細な記述ということになる)に書かれた『新修往生伝』では、そのご往生を、「永隆2年(681年)三月十四日、六十九歳」と明記されているのだ。

 ではこれがデタラメかというとそうではなく、紙の記録にはない金石文(金属や石碑に刻まれた文章、代表的なものが墓碑銘)にその記録が残っているとう。善導さまのお弟子の墓標が発掘されている。紙のものに比べると彫られたもの、しかも発掘されたものを改ざんするは難しいので、それだけ資料としての信憑性が高いわけだが、そこに師匠の善導さまのご功績が讃えられ、衰退した寺院を再興するなどの業績と共に、「永隆2年(681年)」にご往生されたという記載があるといのうだ。そこから善導さまの生誕年もはっきりしてきて、太業9年(613年)という推測できるというのである。考古学的な発掘で、後世に盛られていたと思われた資料に信憑性があることが分かったというのである。
 
 

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たいせつな時間

   真宗カウンセリング研究会の月例会は、西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の輪読している。 第一章の「カウンセリングの手引き」は、西光先生が40歳の時に書かれたのカウンセリングに関する最初の著作である。「カウンセリングを成功させる条件は何か」という章を読んでいる。中核条件をとても分かりやすく、丁寧に記述くださっていることを改めて感心させられた。

 今月は、中核条件のうち「自己一致」と、「必要・十分条件の意味」という、もっもと核心的な部分だったこともあって、活発な話し合いになった。参加の皆さんが、カウンセリング経験が豊富で、しかも教育現場や福祉、相談室の現役カウンセラーもおられたので、自身の経験も交えながら、率直な表明が多くて、実に有意義な集いだった。

 仏法でも、カウンセリングにも通じることだが、いくら知識があるということと、それがほんとうに身についているのということは、まったく別問題だ。臨床場面では尚更で、カウンセラーの態度として「自己一致、受容、共感」を覚えただけでは、何の役にも立たない。経験が大切なのである。かといって、理論の裏付けのない実践だけで進むのも危険だ。結局、自己満足で終わって(本人だけがイケている錯覚しているので厄介だ)、知らぬ間に研究会を去っていかれる。

 本書にもあるが、研究(理論)→研修(体験学習)→実践(臨床)→研究…と循環してこそ、ほんとうの深まりと拡がりか生まれてくるのである。それはときとして地道な作業である。また学べば学ぶほど、結局至らなさを知らされるばかりである。学び、実践するの間に、時には苦い経験もあるが、同時に楽しさも教えられる素晴らしい経験もさせていただく。その意味では、ぽくにとってかけがえのないものになっている。

 月1度とはいえ、月例会の学びの場もたいせつな時間だ。

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10月の聖典講座~仏智うたがふつみふかし(2)~ 

(3)「信疑得失」【四四】前半

 他方国の菩薩方も、阿弥陀仏を信じれば化生の者となる。
 化生の者は智慧が勝れているが、胎生の者は智慧が劣り、五百年間も、
 一、阿弥陀様を見たてまつらず。
 二、経法を聞かない。
 三、菩薩や声聞衆(法の仲間)に会えない。
 四、他の仏の供養もできない。
 五、菩薩の法式(自利利他の修行)ができない。
 六、功徳を積むことができない。
の不了仏智の失をあげておられる。これはすべて、過去世において智慧がなく、仏智を疑った罪にほかならないのである。

 特に、一、二、三は、せっかく浄土に生まれながら「仏・法・僧」の三宝に会うことさえできないというのである。何のためにお浄土に生まれるのだろうか。「自分が地獄などの六道を離れられればそれでいい」というだけなら、仏道でもなんでもない。単なる自己中心の欲望にすぎないのである。しかも、五百年というのも単なる五百という数字だけではない。如来さまの側からみれば大悲のお心からおこったものだが、私の側からみた化土往生の意味を深く聞かせていただかなけば、ほんとにう恐ろしいことになるのである。

「信疑得失」【四五】後半

その姿を、転輪聖王の息子で、罪を犯した王子たちが、七宝の宮殿に幽閉され、金の鎖につながりながらも、なに不自由な暮らしているという譬えで示される。例え不自由がなくても、王子が七宝の獄から逃れたいと願うように、胎生の者も、三宝に会えない苦しみから逃れたいと願う。そこを離れるには、仏智を疑う罪を知り、深く自らの非を悔い、そこを離れたいと仏智をたのむ(他力に帰す)以外にはないのである。つまり、不了仏智の者は大利を失し、明信仏智の者は大利を得るのであるが、これはそのまま次の流通分へも展開していくのである。

  親鸞さまは、この段を重視されていて、『誡疑讃』の多くはこの段をうったものであるが、なかでも、二十三首目は大切だ。「真実信心は難しいので、地獄に行くのなら化土でもいい」という人がおられる。実は、その言葉こそ仏智の不思議な働きを疑う罪にほかならない。そこを超えていくのはただひとつ。その心の罪を深く知らされて悔いるこころを第一として阿弥陀さまの不思議なお働きをたのむ以外にないのである。このご和讃を何度も何度も味わっていきたいものだ。

「仏智うたがふつみふかし この心おもひしるならば
 くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし」
               (誡疑讃二三首)

そして、二十三首の結びには、本願の不思議な働きを疑う罪を知らせるためであると重ねてお示しくださっているのだ。

「以上二十三首、仏不思議の弥陀の御ちかひをうたがふつみとがをしらせんとあらはせるなり。」(誡疑讃結び文)

(4)十方来生」【四六】
 信疑得失を述べ終え、弥勒菩薩の問いに応じて、釈尊は、娑婆世界以下、十四仏国よりおひただしい数の菩薩が浄土往生することを説く一段へ移る。

 まず、この娑婆世界より六十七億の「不退の菩薩」が往生するであろうと述べる。この菩薩方は、みな「次いで弥勒のごとき者なり」(次如弥勒)ともいわれる。(親鸞さまは、「次如弥勒」に大注目されて、盛んに引用されている)

 次ぎに、娑婆のみならず他の十三仏国からも無数の菩薩方が往生すると述べられる。

 さらに、以上の十四仏国らかばかりでなく、十方世界の無量の仏国からも同じように無数の往生者があるが数えることができない。それらの諸仏の国、またその往生人の数を説くには、昼夜一劫を経ても、説き尽くせないので、いまは略して説いただけとで結ばれている。

 以上で、正宗分(本論)の説法が終わり、来月は、いよいよ流通分に入る。今年中に、『大経』もおわりそうである。

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10月の聖典講座~仏智うたがふつみふかし(1)~ 

   10月の聖典講座は、智慧段(胎化段)といわれる一段の2回目。釈尊の勧誡もこれで終わり、同時に、正宗分(本文)も終了する。

「釈尊の勧誡」(お釈迦様のお勧めと誡めの説教)は、主聴衆が、阿難尊者から弥勒菩薩に変わり、場面が急転化する。そこを大きく二分科すると、前半は「大悲摂化」段(「三毒・五悪段」とも言われる)で、釈尊が大悲のお心から、仏眼に映る痛ましい人間生活の現実を説かれた段であった。次いでその後半にあたる「現土証誠」段に入っている。ここは、「開顕智慧」(智慧)段とか「胎化得失」(胎化)段とも言われているが、大悲(慈悲)のお心で説法された釈尊が、続いて阿弥陀如来の「智慧」について説法に入られるとみると、慈悲と智慧の展開が面白い。ここを概観すれば、光明無量の阿弥陀如来とその浄土を目の当たりに拝まされ、その浄土の中に、化生と胎生の者があることを示し、阿弥陀如来の疑う罪を誡め、如来の智慧を信じる(他力の信)ことを強く勧められているのてある。そして、「正宗分」(いわば本論)のご説法も、ここで終わるのである。

 親鸞聖人はこの一段を重要視されていることはいうまでもない。普通なら、前半の「大悲摂化」段(つまり「三毒・五悪段」)は分かりやすく身近で人気がある。しかし、聖人は、五悪段は直接引用はされてない。一方で、皆さんにはピンとこない、この智慧段(胎化段)を、『化身土巻』の要門釈、真門釈、さらに『浄土三経往生文類』では二十願成就文として引用し、『誡疑讃』では、この文言から23首も作っておられる。それは、真宗教義の根底にある「信」と「疑」の「真仮廃立」を明かにする最重要の内容であるからだ。

 各段の概要に触れておこう。(続く)

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避難所

Img_6225  さて、「念仏の集い」は皆様に自主進行していただくことにして、日曜日の午前中、地域の防災訓練に参加することになった。町内の役員で防災部長になっているで、予め会議にも出席して役割も当たっているのだ。

 各町内ごとに集まって避難所に向う。引率役なので、町内のぼりを持ち、腕章や帽子を被って引率する。

Img_6223 今年も、4月に熊本地震がおこり、2日前には鳥取で地震があって、京都でも緊急地震速報に慌てたりした。そして、南海・東南海大地震が近づいていると警告する専門家も増えている。そんなこんなで決して人事とは思えなくなっているのも事実。地震で助かっても、避難所で命を落とす関連死もたいへん多く、阪神や東日本の時には、全体の死者の15%程度にものぼるそうだ。

 これまでの避難や消化訓練ではなくて、避難所を立ち上げる体験型研修である。行政ではなく、住民の自治による開設や運営をめざすもの。ぼくは総務として、名簿の集積や避難所のルールづくりをまとめる、全体でもリーダー的な仕事だった。いまは訓練なので、何事もあっさりと決まっていくが、実際は、混乱の中で、しかも生活がかかっているのだから喧々諤々なるのは必死だろう。

 いずれにせよ、ただブールシートに座って指示をまって動くよりも、ずっと仕事があったぶん、退屈することなく過ごすことが出来たようだ。

 さっきまで、お念仏の輪の中にいて、模擬の避難所にきて、また念仏の輪に戻るのが不思議だった。

 

 

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第3回の「念仏と黙想、語らいの集い」

 「念仏と黙想と語らいの集い」も第3回。
 華光大会が近いということで、参加者が少ない。それでも、北陸からは初参加者3名、東海からも初参加があって、それなりの人数にはなった。
 「お念仏を強制されるのはいや」とか「自力修行ではないか」とか、いろいろと誤解もされているようだが、けっして、強制をするのても、自力修行でもない。念仏という報恩行は、凡夫の大切な役割である。

 それをみんなが力を合わせて、励ましてあっておこなっていくのである。そこに丁寧に行うという思いがある。日頃のお念仏は機械的で、なおざりではないか。ただ数をたのむでもなく、丁寧に勤行やお念仏をさせていただきしましょう。

 黙想も、日頃、こころが走り回っているので、静かな、何もしない時間をもつということで、けっして瞑想のような行ではない。妄念が出ようが法悦がおころうが、共に虚仮不実で、刻々と変化ずく妄念妄想にずぎないのだ。

 それでも、それを言葉にしてみる。出来る限り、飾らず、偽らずに、率直に語り合い、分かち合っていく。
 
 初日は、輪も小さい分、距離が近かった。2日目、少し人数が増えたこともあり、疲れもあってか少し声も少なくなったような気がした。それでも、何も押しつけられたり、教授されたりしないのに、ただ念仏申すだせけで、それぞれがわか身のことや法について、自然と気付かせていただくことが多々あることが、なんとも有り難い。

 日頃の法座にはない、温かさがある。何よりも、皆さんと共にお念仏を心いくまで、そして丁寧に申させていただくという幸せをいただいた。ひとりで称えるのもよし、御同行と称えるもよしである。

 ところで、例年の「燈火の夕べ」の代わりに、「六時礼讃」(日没偈)の勤行を行ったが、皆さん難しかった模様ですが、どうでしたか?
 

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『ミスター・ダイナマイト』~ファンクの帝王ジェームス・ブラウン

 芸術家を材料にした映画は多い。たとえば、有名な画家や写真家の生涯だったり、小説家や哲学者をとりあげたりもよくされる。そんな中でも、一番、映画との親和性、相性がいいのは、断然、音楽家である。音楽家といっても、有名無名を問わず、ジャンルも、クラシックから、ボップス、ロック、ジャズと実にさまざまだ。演奏家もあれば、作曲家もいる、ミュージシャンやパフォーマー、ロッカーといったほうが相応しい人もいる。いまだ現役もあれば、すでにレジェッドとなった人やまったく無名な人もいる。人物というより、音楽を中心にした映画にいたっては数多い。

 映画を見たあとで、その音楽に触れたくなって、CDが欲しくなるのも音楽映画の面白いところだ。普段、聞かないジャンルだったり、知らないミュージシャンに出会ったりできるのも、楽しみだ。

 というわけで、ここ数カ月、音楽映画を結構見てきた。というわけで、そのいくつかに触れていこう。

 まずは、ミック・ジャガーがプロディスしている、ジェームス・ブラウンの映画が2本。

 昨年観た『ジェームス・ブラウン』~最高の魂(ソウル)を持つ男~は、彼の生涯を描いた伝記風のドラマだ。全盛期が終わり、人気にも才能にも陰りができて、奇行に走ったり犯罪を犯したりするシーンにも、かなり時間を割いている。

 一方、落ち目の終盤を大幅にカットして、勢いのある部分を中心に見せているのが、ドキュメンタリー映画の『ミスター・ダイナマイト』~ファンクの帝王ジェームス・ブラウン~だ。だから、文句なくてかっこいい。音楽も、ダンスも、パフォーマンスが、すべてエキサイティング。画面を観ているだけで、こちらも気持ちよくなるから不思議だった。

Mr_dynamite もちろん、独断的で、わがままで、強欲で、黒人運動に関わっても限界を乗り越えられない、欠点の多数ある人物としても描かれているが、善悪二つを呑み込んだところが、彼の光る個性なのであろう。つまりは、強烈なハイになる薬でもあるが、とんでもない毒も含んでいるということ。

 ちなみに、ミック・ジャガーが、同じ番組に出演した時、ジェームス・ブラウンの強烈なジェームス・ブラウンのパフォーマンスに圧倒されて、ビビったといわれているのだが、しっかり、「そんなことはないぞー」と自ら否定するシーンが、どこか子供じみて面白かった。

 いずれにせよ、ミック・ジャガーが嫉妬するほど、ジェームス・ブラウンが、かっこいいということ。

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平尾誠二氏の早すぎる死

  「ミスターラクビー」平尾誠二氏の逝去のニュースに思わず声がでた。

 53歳。ラクビーW杯の日本開催を前に、早すぎる死だ。

 ちょうど1学年下である。ご近所だった。彼の実家は、道路挟んで100メートルも離れていないが、小学校は別だった。

 実は、華光仏の子供大会に小学校の6年生の時に参加してくれている。同人子弟のお友達だったのだ。山科別院での子供大会でのこと。その時からすごい運動神経で、彼の同級生たちがが絶賛していた。それを目の当たりにしたのは、室内オリンピックでのことであった。天才は、子供の時から天才なのである。その後の陶化中時代までは、友人関係で接点があったが、全国区になってからはニュースで見るだけだった。

 彼も、子供の時には、お正信偈をお勤めし、お念仏申し、往生要集のスライドを見たことがあるということを書きたかったのだが、栄光浴で便乗。 南無阿弥陀仏

 

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佐野町場(泉佐野)

Img_6196 法座までの時間、近場を散策する。泉佐野の旧町場で、入り組んだ細い道には旧家がたくさん残っている。町をぶらぶら歩くのも、楽しい。

 真宗寺院が三カ寺も隣接しあっているが、すべて本願寺派であImg_6191る。昔は、それぞれにご門徒の職業によって、商家中心、農家中心、そしてその他の方という棲み分けがあり寺格もはっきりしていたようたが、現在Img_6192は、いろいろと複雑になっているらしい。

 寄せていただているお寺は、根来寺の出城ような役割があって、紀州のお殿さまのImg_6193本陣でもあって石垣の一部も残っている。格式の高いお寺である。

Img_6195 面白い看板があった。こんなことは、自民党か民進党かと思っていたら、日本共産党。遊び心もあるということか、単なる便乗だろうけど。

Img_6198 お昼、商店街でインドカレーを食べる。インド人が経営よりも、案外、ネパール人の場合が多いが、ここもそうようだ。ぼくが、Img_6197パールに二度行ったがあると言うと、マスターがカウンターから出てきた。どこに行ったのかを地図で尋ねられる。二度ともインド仏跡巡拝がメーンなので、ルンビニーで一泊、カトマンズに二泊、そしてヒマラヤ遊覧をした程度だが、それでもうれしそうだった。Img_6189

 法座の帰路、とてもImg_6210夕陽がきれいだ。この法座の帰りはいつもきれいな夕陽がみれる。一昨年、昨年も、写真を撮っている。天気には特定日というのがあるが、このお寺の報恩講は快晴になるということか。 
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        ≪↓昨年の落日は≫
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寺院報恩講

Img_6190  泉佐野での寺院法座。

  報恩講さまである。

 原点に帰って、親鸞さまのご恩徳について。9月に京都の親鸞聖人の旧跡巡拝を旅をして、改めて感じたことがある。

Img_6204 出会(遇)いの不思議である。

 親鸞さまの場合は、法然さまとの出会いがある。9歳で青蓮院で得度された時、もうそのお隣、直進距離なら1キロほどの吉水の草庵では、法然さまが専修念仏のみ教え説いておられた。しかし、その時は、ご縁がなかったのである。そして、20年に渡る比叡山でのご修行がある。比叡山では、堂僧として、常行三昧の行を励まれてImg_6191いる。自力での念仏行道だ。しかし、どれだけの真摯な修行でも、真に後生の安心とはならなかった。それで、「後世を祈り」「生死出べき道」の明師を求めて、六角堂に百日間の参籠をされる。ここで、聖徳太子さまとの夢中でのお出会いがあり、いよいよ法然さまのもとに足を運ばれるである。もちろん、法然さまのことは知っておられたのであろう。しかし、一歩が踏み出せなかった。なぜなら、法然さまの教えは「専修念仏」である。専らに、称名念仏一行で、行は、菩提心ですら捨てものだ。「こちらも」「あちらも」とよいところどりをして、自分の中でまざまなものを重ねていくことは、仏道ではない。今日では、保険をかけて、そんな聞法をさながら、ここで聞いておられまる方もたまに見かけるが、親鸞さまは、比叡山での20年の修行を捨てる決断を迫られた。それは、これまでの古き自己との決別でもある。

 そして、法然さまから、「源空があらんところへゆかんとおもはるべし」との仰せをいただく。が、ほんとうにそのお念仏ひとつの身となられるまでには、さらに、雨の日も、晴れの日も、そして大風の日も、百日間、法然さまのもとに通い続けられるのある。そしてとうとう「雑行を捨てて本願に帰」せられたのだ。よき師、法然さまの仰せに出遇い、弥陀さまと値われたのてある。

 しかし、その出会いとは、わたしの方からみると、「遇(たまたま)行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」なのである。でも、如来さまから見れば、あの手この手のご方便の賜物である。すべて、他力のお働きでしかないのだ。

 そんなことを冒頭で話つつ、恩徳讃や本願のお心を2日間に渡り聞いて頂いた。 
 

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西本願寺から東寺へ(2)~東寺かんらんさい展で驚く~

Img_6153  西本願寺から東寺に向う。
 
  共に世界遺産の国宝の有名寺院だが、通称であって正式名称ではない。西本願寺は、普通に「本願寺」、東寺は、ちょっと難しくて「Img_6173教王護国寺」である。

  閉館時間の関係で、宝物館はパス。

Img_6165 講堂には、空海が密教の教え、その宇宙観を、21躰の仏像で顕わした立体曼荼羅が圧巻で、見事。静寂の境地の如来よりも、菩薩、さらには複数の顔、腕、足を持Img_6172ち、憤怒の相の明王、そして仏教守護の四天王や梵天・帝釈天の神々のほうが、人間に近しい表情で、生き生きとしている。五智如来以外は、国宝指定である。

Img_6178 でも東寺のご本尊は、金堂に安置されている薬師如来さまだ。両脇に、日光・月光両菩薩を配し、台座に十二神将が守る、巨大な仏像。ちなみに国宝の金堂は、いま、進行中の真田丸の世界で、豊臣秀頼が発願し、片桐且元が奉行となって再興されたものだ。

Img_6179 東寺といえば、国宝の五重塔だ。前に拝観したときは内部が特別公開中だったが、今日は外から。何度も火災や雷、地震で倒壊しているが、徳川家光の再建。寛永年間(1644年)に再建されたが、それは、西本願寺の御影堂も同じこと。御影堂は、寛永年間(1636年)だ。そう考えると、興味深い。

 国宝の大師堂は工事中で、お大師様も出張中。横目に眺めて、食堂(じきどう)へ。閉館時間だったが、最期まで、待って下さった。

  いま東寺かんらんさい作品展が開催されている。以前から、ある方がその関わりを聞いてはいた。彼が、文章を書いていることも知ってはいた。が、こんなにたくさんの作品の初めの言葉を、こんなパネルで署名いりの展示され、チラシの案内文も彼の文章で、ビックリした。華光大会中も、まだ開催されています。食堂(じきどう)は、無料で入れます。

 ぜひ、運営委員長のRさんのお言葉に接してみてください。

http://www.kanransai.com/index.html

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西本願寺から東寺へ(1)~伝道院のアートに驚く~

Img_6118   東京支部でいつもお世話になっている同人が、初めて奥様を連れて来館された。かなり早くから相談を受けていた。なんでも、前の所属の会で嫌なことがあり、関心を持ちながらも法座参加に踏み出せない奥様を会館に連れてくることが実現した。昨年は、東寺までご一緒に、今年、法座のはない日に会館までお参りくださる。少しずつだが、確実に前に進んでこられた。そして、どうやら今度のことで、ご法座にも参加いただけそうImg_6119だ。

 3日間の京都旅行なので、今日は奥様のリクエストで近場のご案内をする。
 
  龍谷ミュージアムへ。伝燈報告法要記念のImg_6121「浄土真宗と本願寺名宝Ⅰ」展が開催されているのだ。招待券もたくさんあったので、ご案内することにした。

 まずは、西本願寺にお参りする。経蔵も一昨日の夜とは違う。
 先日の夜間から昼間の本山。でImg_6115も、いつもとは雰囲気は違う。伝燈報告法要の合間なので、国宝に指定された姿勢阿弥陀堂、御影堂ともにパイプイスが並べられている。カーペットに、隙間なくイスが並んでいる。確かに壮観のだが、いつもの日頃の広大な畳敷きを知っていると、障害物がある分広さが感じられないのが不Img_6143思議だ。

 伝道院を案内する。本願寺をお参りされても、ご存じない方が多い。伊東忠太のモスク風の建物の重要文化財だ。普段、内部は非公開。今日も、外部からの見学だと思っていたら、門が開いている。Img_6136伝燈報告法要の一貫で、「京都国際映画祭」(アート部門HPはこちら→)            http://kiff.kyoto.jp/art/とタイアップして、現代アートの提示会場となっていいたのだ。

Img_6144  ラッキー。つい先日まで、Rちゃんが絞られていたところで、明和電気などのさまざまなアーティストが、「燈を伝う」のテーマで出展されている。各教室が、「清浄」とか「不断」とか、十二光になっているのも、共時性なのかもしれない。残念ながら、内部の写真Img_6150撮影は禁止。普段のイメージからすると、少々違和感のある作品が多かったかなー。それでも内部をじっくり見学できたのが、有り難かった。

 本山に戻ると、まったく見慣れないゆるキャラが立っている。この映画祭は、吉本興行関わっている。これも吉本新喜劇のキャラのようだ。伝道院といい、まったく予想外で面白かった。
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        ≪もうすっかり秋の空≫

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念仏と語らいの集いに参加しよう!

  10月22日(土)~23日(日)の第3回の「念仏と黙想、語らいの集い」が迫ってきています。

3年前、聞法旅行が中止となり、代替で企画したもの。
 昔、悟朗先生から、島村自責居士(念仏主義者については『安心調べ』参照)の流れを組む法座の話を聞いていました。みんなで長時間、称名し、法談し、また称名を繰り返すというのです。加えて、真宗カウンセリング研究会でお育ていただいた成果と合わせて、従来の「法話と信仰座談会」を破る法座を、以前から温めていたのものを実現しました。

 それが、時間を定めて称名念仏し、沈黙の時間を持ち(黙想なので瞑想ではない)、安心した雰囲気の中で、ありのままにその体験や味わいを語り、分かち合う。そして称名念仏に戻るというものです。第1回は、74巻2号に、第2回は、同じ74巻4号(それぞれ昨年の華光誌)に参加者の感想文を掲載しています。そこからも、温かく、新鮮で、味わい深い法座の様子がよく分かります。昨年には、3グループでの少人数での分かち合いや、「燈火の夕べ」なども行いました。

 今年は、2日目の朝に『六時礼讃』の勤行か、R子先生のご法話を拝聴も計画中です。華光大会に近くて、参加者が少ないです。少人数での開催になります。1日だけでも可能なので、初めての方もどうぞ、奮ってご参加ください。
 詳しくは、以下のHPで。

http://keko-kai.la.coocan.jp/event/2016/detail/10/nenbutu2016-10.htm

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映画『聲の形』

 いま、話題のアニメ映画『君の名は。』は、ジブリでも、ディズニーでもないのに、異例の大ヒット中だ。

 しかしストーリーなら、映画『聲(こえ)の形』もお勧めだ。ぼくは、アニメ映画はあまり見ないが、下の子がコミックにはまり、ブラジルまで全巻を送ったので、映画も楽しみにしていた。

Koenokatachi 転校してきた難聴、耳に障がいがある少女と、いじめの問題という難しいテーマだ。しかも、いじめる側(加害)が、一転、いじめられる側(被害)になるという、小学生特有の微妙な関係がうまく描いている。そして、何よりも登場人物の大半が、自分が好きになれず、自信もない、極めて自己肯定感が低いことだ。当然、傷つくことをおそれて、なかなか本音で、他者と接することができない繊細さの持ち主たちばかり。それは、今の大人でも同じことだが、特に、子供から青年に移ろう思春期に顕著なのかもしれないが、そんな届かないような聲が、さまざまに、発せられる。

 ところで、ぼくの子どもたちが通っていた京都の小学校は、難聴の子も一緒に学ぶ学校だった。これは昔からことで、会館の書道教室にも難聴の子供が通っていたが、それだけの実績があった。アニメとの一番の違いは、同じ授業でも分かるように、手話ができる別の担任の先生が付いていたということだ。おかげで、子どもたちも手話を覚えたり、小さなうちから、さまざまな環境や障がいを持った子供たちと、同じ教室で学ぶ貴重な経験をさせてもらっている。ただ、能力や障がいの度合いによっては、いろいろと難しい問題もあろし、その賛否を一概にいえる問題ではない。ただ映画で描かれているような、学校側に何の配慮もなく、障がいをもった転校生が置いてきぼりをくうようでは、貧しい社会といわねばならない。

 そんなこんなで、けっこう聲なき聲が、胸に響く映画だった。

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75巻4号,華光誌発送!

 75巻4号の華光誌を発送しました。

 予定より10日ほど早く発送できましたが、例年に比べると、今回は10日ほど遅くなっています。
 年賀広告の申込も同封されているので、お早めに。(11月25日〆切)

 誌上法話は、初めてのT先生。 釈尊の「娑婆往来八千遍」、そして法蔵菩薩の「兆載永劫のご修行」のお味わいが、とても尊く、僕自身も、改めて教えられました。お楽しみに!

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西本願寺ライトアップ

  連休3日目、会館での聖典講座。智慧段(胎化段)といわれる一段の2回目で、ここで正宗分(本文)が終了する。
 詳しくは、また後日、報告するが、聖典講座を終えてから、西本願寺に向った。

Img_6099 10月1日から西本願寺で始まった伝燈報告法要に合わせて、Img_6063記念行事が多数行われている。 その一つが、西本願寺の夜間特別拝観だ。

 最終日、大勢の人で賑わっている。お気持ちを納めて、境内へ。ここで、うまい具合にRちゃんとも合流することができた。

Img_6105_2_3 国宝に指定された御影堂や阿弥陀堂、経蔵に、大銀杏などもライトアップされていた。雅楽音も、彩をそえている。

 が、しかし、残念ながら、
「「花灯明(はなとうみょう)」のタイトルで参拝を呼びかける。青、黄、Img_6089赤、白の4色のライトで照らし、仏教経典の仏説阿弥陀経に書かれた極楽浄土の世界を表現する」と新聞記事にはあるが、「お浄土の再現」というには、ちと遠い内容だ。『大無量寿経』の現土証誠の段を読んだあとなので、なおさらだな。

 Img_6073_2幻想的だったのは、飛雲閣だ。金閣・銀閣と並んで、京の三名閣に数えられている。一説では、秀吉の聚楽第の遺構とも言われているが、定かではない。(写真は、京都タワーとの共演)。

Img_6065_2 水面に浮かぶ飛雲閣は、暖かな光が内部から照らして、幻想的であった。混雑していることもあって、写真撮影は厳禁だったのは残念。外から、一部を垣間見える程度を撮影したが、うまくは撮れなかった。

Img_6101 左右非対照の三層構造。屋根も丸みのもの、三角のものとさまざまに変化させ、しかも中心をずらした二層部、三層部が、見事に配置されている。二層は、三十六歌仙が描かれた板扉だが、外側からも一度をみることが出来た。これまで、何度も拝観させてもらってきたが、夜間のライトアップは、すばらしかった。

 せっかくRちゃんとも合流できたので、近くの居酒屋で一杯呑んで帰Img_6078ることにした。興正寺の並びにある焼き鳥さん。いやいや、長年、この前を通ってきたし、何度も興正会館に宿泊しているのに、不思議なほど覚えがない。それまで関心がなんというのは、そういうことか。庶民的な値段で、大いに賑わっていたが、名古屋では、ノンアルコールだった連れ合いも、今日は上機嫌。お浄土の再現より、今生の百味の飲食の方が、いいのだろう。
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          ≪経蔵↑≫

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隠れた主役

  今日の広島支部法座の主役は、1年前にご逝去された、この家の主だったUさんだろう。

 満面の笑みを浮かべた遺影が、私達を迎えてくださる。

 昨年の10月も法座の会場に提供してくださった。その直後に倒れられ、そのままお亡くなりなった。老少不定の理とはいえ、ほんとうに驚かされたが、同人の皆さんにとっても、最後のお別れだったと思うと、今日のご法座は感慨深い。

 そして主不在の自宅を、法座のために喜んで提供くださることになった。おかげで、親戚の方も集まってくださって、ご法話を聞いてくださる。宗派は違うのだが、皆さんの熱心な姿に深く感銘されている。

 この法の集いに影向され、私達と一緒にご聴聞されていることであろう。座談会になってUさんの話題も出る。高齢のUさんたちの送迎係として、京都へも連れていかれた方に、Uさんの1歳違いの妹さんが頭を下げてお礼を申される姿が、なんとも尊かった。

 年齢も違う。生まれも、育ちも違う。性格もそれぞれ違う。普段からの付き合いがあったわけでもない。それでも、阿弥陀様に願われている念仏の衆生は、世代も性格も越えて、同じみ親の子、法の上でのきょうだいなのだ。皆さんの一言一言から、そのことが改めて胸に響き合うそんな座談会ではなかったか。南無阿弥陀仏

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福山城博物館

Img_6057  連休2日目は、広島支部法座。1年に1度、福山での家庭法座である。

 新幹線の都合で、待ち合わせより早く到着したので、福山城を見Img_6055学した。新幹線のホームからも、よく見える天守閣は、昭和の復元だが、なかなか品格のあるお城だ。

 重要文化財の伏見櫓は、京都の伏見城Img_6026から移築されたものだという。

城内は、博物館になっていて、ちょうど初Img_6029代藩主で、築城主の水野勝成展が開催されていた。
 信長、秀吉、そして家康と名だたる大大名との縁で、さまざまなゆかりの品が展示Img_6031_2されていた。

 一説には、母Img_6052は、本願寺の顕如上人ともいわれる。徳川家康の従兄弟でありながら、長年、全Img_6043国を放浪し、高名な大名のもとを渡り歩いている。武勇にすぐれ、大坂の陣での活躍も有名だ。

 晩年、この福山藩(広島県福山市)10万石の初代藩主として、福山城を築城したという。Img_6045

いまは、NHKの大河ドラマは「真田丸」、クライマックスの大坂の陣を迎える。
 真田の好敵手となる伊達政宗と共に、水野勝成も登場するのだろうか。Img_6025_1
      ≪↑重要文化財の伏見櫓≫
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10月の東海支部法座

  10月の連休初日、東海支部法座で、名古屋へ。
 お寺を会所として提供してくださったので、いつものホールの会議室とは違った雰囲気だ。

 テーマは、「安心」について。
 「信心」と「安心」とは、違うものなか、同じなのか。なぜ、浄土真宗では、「安心、安心」というのか。もともとの言葉の意味はどこから来ているのか。ということを中心にお話申したが、案外、知っているようで、いざとなると皆さん、さまざまなご意見が出たのが面白かった。

 昔、いまは亡きS先生が、

  「どの宗派でも、宗教でも、信心、信心というが、浄土真宗の信心だけが、「安心」と呼ばれるのです」。
というお言葉が心に残っている。

 他力廻向の信心、金剛堅固のご信心ならばこそ、ご安心といわれるのである。自力の信心では、決して、安心はないというのである。

Img_8016 3つに分かれて分級座談会のあと、懇親会へ。東海支部法座は、終了後、反省会というのか、懇親会が楽しみである。

 幸い、ここから浅野屋は遠くないので、今日は、いつもの居酒屋とは違って、どこか暖かい雰囲気があって、皆さんも楽しそうだった。ただ連れ合いは運転手だったので、得意の「飲」から「食」に専念してくれたが、Img_8018それでも、ご馳走が並んで満足そうだ。ぼくも、スパーリクンワインに、珍しい焼酎も出されて、酔っぱらったが、楽しい時間を過ごさせてもらった。

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顕彰?

 龍谷大学大学院生がお二人、Yさんと来館された。
 讃岐の興正派のお寺のご子息だが、伊藤康善先生の研究をしたいというのである。
 どうして伊藤先生に興味を持たれたのか。どなたに聞かれたのかをお尋ねしたら、大学で講師をされている興正派の先生のお名前が出てきた。その方なら、学生時代に会館に一時、出入りさていた方である。それに加えて、Yさんと同じゼミということも幸いして、今日の訪問となった。

 今年は、他に他大学の方が、博士論文にしたいと国嶋療法や伊藤先生のことを尋ねてこられた。残念ながら、国嶋療法や、薬師山の国嶋病院時代の伊藤康善先生の資料は、ここには残っていない。戦前のことで、まだ華光会(華光誌の前身ではあるが)誕生以前のことだからだ。また、伊藤先生を知る同人も、かなり高齢になっておられて、ほとんどが逝去されている。その点では、ぼくが分かる範囲は狭いが、多少は興正派関係のお寺さんも知らなくはない。

 伊藤先生の教義的な面なら、古い仏敵に収録されている「真宗安心一夕談」や「一願建立と五願開示」などのコピーはあった。加えて、伊藤先生の簡単な年表も、ぼくが作製しているものがあったので差し上げた。ご本人には、想像以上に収穫が大きかったようで、喜んでおられた。

 実際に形になるのかどうか分からないし、研究なので批判もあるだろう。されでも、小教団で、しかも異端児であった伊藤康善先生の顕彰になればと、協力させてもらった。

 ぜひ、頑張ってもらいたいものだ。

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安心編も「得益論」へ

    伝道研究会で取り上げてきた、「真宗の基礎」安心篇も、今回の「得益論」で終わりを迎える。皆さん、よくここまでついてこられたと、ある意味で感心している。

  今回のテキストから、担当が悟朗先生より交代した。 そういうわけで、これまでの8年間分を1講義で解説する「安心篇」入門を最初に置いている。

 冒頭、「安心篇」となっているが、その「安心」とは何かを虫食いのテスト状態であげている。

▽安心は、「あんしん」ではなく「あんじん」と読む。

▽それでは、浄土真宗では、「信心」と「安心」とは、違うものなのか、同じなのか。

 さあ、ここで、皆さん、喧々諤々。なんとなく違うから、はっきりと違う、いや同じ。違う理由もあげてくださった。
 では、その用語の基礎知識として、真宗でいうところの「安心」のもともとの出拠を尋ねる問題である。

▽「 1 」大師の『  2   』による「 3 ・ 4 ・ 5 」に由来する。
その当面では、「 6 」の三心(「 7  」「 8  」「  9  」)である。
しかし、「 10 」上人によると、それは、「 11 」の三信(「 12 」「 13 」「 14 」)と同一と見られている。

▽ここで、余談質疑で、親鸞聖人の場合、その両者(6と10の三信)をどのように捉えているのですか。

というような形。もちろん、分かっておられる方には当たり前、分からない方には難しいようだった。答え合わせである。

1=善導大師 2=往生礼讃
3=安心 4=起行 5=作業(さごう)
6=観経 
7=至誠心 8=深心 9=廻向発願心
10=法然上人
11=大経
12=至心 13=信楽 14=欲生我国

▽つまり、浄土真宗の「安心」とは、「金剛堅固の信心」、つまり自力信ではなく、「他力廻向の信」のことである。

▽また、蓮如上人の『御文章』(2-7通)によると、

「この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。されば、安心 という二字をば、「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。されば、なにの造作もなく、一心一向に 如来をたのみたまいらする信心ひとつにて、極楽往生すべし。あら、こころえやすの安心や、また、あら、往きやすの浄土や。これによりて、『大経』には、「易往而無人」とこれを説かれたり」

つまり、本来の安心の意味では、「止めり、定めり、静なり」の訓み方で、安住、安置、安定などと熟語されるが、
蓮如上人の立場では、真宗の信心は極難信ではあるが、他力回向の信心の立場に立ったなら、「やすきもの」だという言われた。

 これだけ書くと、勉強のような潤いのない話になってしまうが、あくまでもこれは導入だったことを、お断りしておきます。たまには、こんな話題もいいかもと、、。

 次回は、11月2日(水)夜7時30分~9時50分です。

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『シアター・クノンペン』

 生まれて初めてカンボジア映画を観た。『シアター・クノンペン』

56541e0cfcfe8b6615a54394befecaa7 1月にカンボジアを旅したが、年輩者よりも若者が目立っつ、若い国だった。しかし、そこには悲しい歴史があるからだ。

 カンボジアは、第二次大戦後にフランスから独立を勝ち取るが、1975年に、中国共産党の影響が強いクメール・ルージュ(日本では、ポルポト派の方が通じやすい)が政権を奪取し、世界でも稀にみる暴力による暗黒の圧政が、4年近く続く。その間、知識人や文化人を中心に一般市民も含めて、人口の1/4以上の人々が殺害されたといわれている。その後、ベトナムの侵攻でボルボト派は敗走するが、タイや中国の影響を受けた、ボルボト派を含む諸勢力が離反集合しながら、泥沼の内戦が続いて、また多くの命が奪われていくのである。

 映画は、最初、主役の女子大生の青春ドラマの様相で始まる。偶然入った廃墟寸前の映画館で、若き日の母親が出演した映画ポスターを見つける。平和な時代に未発表に終わった映画は、最後の巻が、内戦の混乱の中で、行方不明。ロマンティックな映画のラスト部分を撮影するため、映画館主で、映画監督と名乗る男と、彼女のボーイフレンドを巻き込んで、ラスト部分を新たに撮影するために奮闘するという展開。

 ところが、そのプロセスで、病弱な母親と厳格な軍人の父親、さらには、映画監督を名乗る男の封印されていた複雑な過去を、初めて知ることになる。それは、個別の問題というより、内戦を生きた大人たちが、戦後生まれの子供や孫へは語るには、あまりにも残酷すぎる歴史であって、皆が口ごもっていたという背景があるのた。

 だから、過去の物語は複雑に展開し、現在へと綿々と続いていく。映画関係者は、文化人としてひどい仕打ちを受けていくのだが、単純なクメール・ルージュ時代に悲しい抑圧の歴史とは語りきられないところに、心引かれた。極限状態の下で、個々の業のようなものが露わになるようだ。弾圧され側も、弾圧した側にも、それぞれの物語ある。抑圧の被害者にも、肉親を裏切らねばならないこともあった。そして、多数の犠牲者の上に、生き残った者たちが背負っていかねばならないものは、一層重い。弾圧者が後の時代でも、支配者側になることもあれば、憎しみを越えて、結びつくこともあるというのだ。

 映画は、負の歴史を暴くだけでなく、深い傷を受けた大人たちのバトンを受け継ぐ若者たちが、どのように未来の社会を築こうとするのかを示していくのである。

 カンボジア映画を興味本位でいたが、素材としても魅力的な佳作だった。

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縁がありまして

 Y君の送別会。無事、伝道院から生還したRちゃんの慰労会を兼ねて食事会を開く。

 Img_6009京都情緒溢れる石塀小路へ。石畳が雨に濡れて美しい。

 Rちゃんと中仏で同班だったことを縁として、彼女のピンチヒッターとして、ほんとうに頑張ってくれた。しかも母と同郷で、蓮如上人のご旧跡地寺院として、ぼくも聞法旅行で参詣させていただいたことのある由緒ある寺院のご子息だ。

 「仏法は嫌いだったんです」という彼が、6ケ月間の限定だったが、事務所をお手伝いくれた。彼の事情とこちらの条件とが、不思議と一致したImg_6011そうで、ちょっと興味本意もありながら、会館での仕事を楽しんでくれていたという。

 この10月からは、伝燈報告法要の関係で本山の臨時職員として働いているのだから、ご縁とは不思議なものである。

 またどこかでご縁がありましたら、今度は、ご聴聞にお出でください。

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噛み合わない

 長年聞法されている方が、意を決して、不審をお話くださる。決して、お若い方ではないし、ご法座も頻繁にお出でにはならない。次はないかもしれない。仏願の生起本末、特に大悲のお心について、お取り次ぎさせていただいた。

 しかし、合掌されながら聞いておられるそのお顔には、まだ納得されていない表情だ。お心がその胸に届いていないのが,よく分かる。
 「まだ先延ばししたいのです。今度の華光大会で、、」。有後心、有間心である。

 ところか、他所事のご本人の隣では、号泣されてお念仏されている方がある。

  法座後の懇親会は、居酒屋で。気楽に飲みながらも、ざっくばらんにお話を聴く。昔話になったり、懐かしい方のお名前もでる。しかしここでも、さきほどの号泣されていた方の涙こそが阿弥陀様の涙だと、これまた涙ながに勧めてくださる方がある。

 諸仏方に幾重にも囲まれながら、ご本人はキョトンとされながら、なんとかなろうとも願っておられる。これまた私の姿にほかならない。

 如来様を自分のこの小さな胸に収めようと聞くのではない。摂取不捨と、逃げるわたしを追いかけて、わたくしのままを摂め取って離さないお働きに出会うのである。

 

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東京での年忌法要

 東京支部法座の前、年忌に窺う。品川駅を降りて、大井町で田園都市線に乗り換えて、二子玉川で降りた。曇空だったが、高層階からの眺望は、すばらしかった。

 今回お引き受けしたのには、それなりの理由がある。ご主人の法要だが、奥様も体調がすぐれないなかで、なんとか遺されたお子様たちへの仏縁を結んでもらたい。お念仏を教えを聞くことの大切さを伝えてほしいと、懇願されたからである。だから、ご法事も、あえてお子さんやお孫さんに絞ったほんとう身内だけで持ってくださった。短時間でご要望にかなったかどうかはわからないが、ご一緒に正信偈をとなえ、お念仏を申し、そして、南無阿弥陀仏に意味についてお話申し上げた。熱心に聞いてくださり、一緒に勤行をしてくださったのが、有り難かった。

 東京法座は、夕方から合流。座談会の最中だったが、信・未信の関わらす、皆さんの「今」の心境を、それぞれの言葉でお話くださったいる。いわば、座談形式の信仰体験発表であるが、その自然体の姿が尊かった。

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