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九州支部法座IN大分

Img_6229  2年ぶりに大分での九州支部法座だ。

 4月に開催予定だった。ところが、当日の深夜、熊本地震の本震が発生、同人にも被災者された方がでた。地震は大分にも連動し拡がり、九州では列車は運休、高速道路は不通と、法座は中止となった。しかし、地元の大分の方が残念に思われて、半年後に延期ということで準備を進めてくださった。

Img_6233 新幹線で小倉まで行き、特急ソニックに乗り換えて大分まで。そこから由布市(旧の狭間町)の向之原(「むかいのはる」と読む。このあたりは、「原」と書いて「はる」と読むバス停もあった)までローカル線で20分。さらにに車で迎えがあって15分ほどで会場に到着した。会館を8時に出たので5時間30分はかかった。しかしである。福井や高山からも参詣の方は、5時台に出発されているのであるから、ご苦労さまである。会場は、「陣屋の村」という旧町営の温泉施設で、温泉の源泉があって、しっとりしたなかなかいい露天風呂もあImg_6242る。
 
 今回、初めてお会いすることがあった。逆に、4月にお会いできる予定だったので、今回は不参加の方もある。当日、急にキャンセルされた方もあれば、夜の懇親会だけお出でになった方もある。大分の皆さんは、お育ての先生も異なるので、一念の出会いや相続の形、後生への姿勢など、それぞれに違いもあるようだ。

 しかし、同じ本願念仏に生きる御同朋である。この出会いによって、気付かされたり学ばれたこともある。教化という言葉があるが、教えによって化けるのである。化学反応ではないが、異質のものが出会うことによって化ける、変化することもあろう。大分の同人のなかには、難病でからだが不自由にも関わらず念仏三昧の方もおられる。また長年にわたり、毎月のご自宅で家庭法座を欠かさず、そこで仏法のご縁のなかった40代の方が法に遇うご縁が生まれたりと、とにかく法に篤い方がおられるのが尊い。そういうお同行が育つには善知識のおかげではあるが、一過性ではなくて、ご法が何十年もご相続されてきているのだ。
 
 というわで、今回は「出会い」、特に「法に遇う」というテーマでご法話させていただいた。出会いとは、文字通り「出て」あうことである。遠近各地から大分まで出かけるという「出る」ことも、物理的な出るだけなく、わが身をそこにさらけ出すということになるのではないか。大分の皆さんにしても、華光の法座に出る、そして華光の同人と出会う、その出会いを通じてご法に遇い、仏さまにお出遇いをさせてもらうのである。なかなかその一歩が踏み出せない。自分たちだけで小さくまとまっていると安心・安全かもしれないが、逆に大きな世界に触れることはできないのた。物理的な意味での一歩は、わが身をその場に置き、さらに心を開いて、小さなわたしの枠を出る一歩ともあるのかもしれない。それが「出て」「遇う」ということであろう。華光で座談会を大切にする所以でもある。

 

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