力なし
「力なし」-週末の輪読法座で印象に残った言葉だ。
仏法に向き合ったとき、我が後生はと踏み出したとき、ほんとうに、この私は「力なし」なのである。
でも、力があるようにうぬぼれる。もしくは、力なしではダメだと頑張る。いや、実際は頑張ってなどいなくて、どう頑張ればよいのかと考え続けているということであろう。
ほんうとは、「力なし」がお目当てと、そのまま聞かせてもらえば、開けてくる世界があるのだが、無い力を発揮しようというのだから、妙なものである。
普段、大人しい方が積極的に動かれた縁で、大阪のご自宅へのご示談に窺った。
長年、聞法されている方だが、最近、法座はご無沙汰気味。それが、からだが思うようにいかななくたことから、後生への心を馳せると、死んではいけない自分と出会われたのである。切羽筒まった様子だったので、すぐに日程を合わせたが、台風があり、また体調不良がありとで延期となり、こちらから出向いていくことになった。
僕自身も「力なし」の言葉をしみじみと聞かされたご縁だった。
| 固定リンク
「法味・随想」カテゴリの記事
- 修正会(2)~地震~(2024.01.03)
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)