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9月の日曜礼拝法座~源信さまとお母様~

  大分法座の予定が、都合で10月に延期になり、久しぶりに日曜礼拝に出席できた。

Img_5803   Kさんがご法話の担当。今年、千回忌をお迎えした源信僧都についてのご法話。先の親鸞聖人聖跡巡拝で、恵信堂を御参りした直後で、新鮮に聞かせて頂けた。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/7-9e1a.html

   しかも、これまで悟朗先生からお聞かせに預かれたところを、「われ是れの如く聞きたてまつる」とお話くださった。

  幼少の千菊丸時代の才智溢れるエピソードに、出家後、わずか15歳で、宮中での『称讃浄土経』(阿弥陀経の異訳)の御前講義を、村上天皇に称賛され、僧都位と、七重の衣を下賜された時の逸話(伝承)は、有名だ。

 天皇さまにお褒めいただいたのである。それだけ立派な僧に成長したことを嬉々として報告されたら、まったく手厳しい反応が返ってくる。その時のお母様のお歌が、

    「後の世を 渡す橋とぞ 思ひしに、世渡る僧となるぞ悲しき」

つまり、世間の名利を捨て、専ら出離の一大事を解決せよ。そのために僧となったのではないかと、という厳しい母の叱責であった。しかも、お姉様からも、

    「出づる息 入るを待たぬ世の中を 君はのぞかに ながめつるかな」

Img_5902と求道姿勢を厳しく誡められるというのである。

 これを契機に、翻然として出離の一大事を求められて、念仏の一門に帰入されていく。そして、43、44歳で、横川において『往生要集』を書かれているのである。その間、一度も、母の元には戻ることはなかったが、42歳の秋に、どうしても母に合いたいと手紙を出されるのだが、仏道修行の妨げにあると断りを連絡がある。しかしながら、母親の病が深く、後生の知識となってほしいとの手紙が届き、いそぎ母のもとに駆けつけて、臨終説法をされたという。そのお導きで、母も信心歓喜のお念仏の身となられたというのである。

「我が行を砥(と)がしめたものは、母なり
 母をして終り善くせしむるのは、我なり」

 まさしく、母親こそが、子の仏道への増上縁となり、またその子が、母親の往生成仏の善知識となられるのである。

 源信僧都とお母様のお話は、ある意味、わが父とその母親との関係に通じるものがあって、感慨深くお聞かせに預かった。
 
 幼き日より、念仏の大事を教え、また絶対安静の父を献身的に介護し、その導きと介護のおかげで、お念仏を喜ぶ身となった父は、それまでありがた屋の喜び手であった母親を導いて、ついに後生の一大事の解決の真の知識となるのであるから、どこか重なるような気がした。

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