「なんぢ起ちて衣服を整へよ」
仏眼に映る痛ましい人間の現実生活である三毒五悪段が終わると、釈尊は、おもむろに、阿難尊者に、
「なんぢ起ちてさらに衣服を整へ、合掌し恭敬して無量寿仏を礼したてまつれ。十方国土の諸仏如来は、つねにともにかの仏の無著・無碍なるを称揚し讃歎したまへばなり」
と、お命じになる。
そのお言葉にしたがい、西に向って、無量寿仏を礼したてまつった阿難尊者の願いに応じ、「即時に無量寿仏は、大光明を放ちてあまねく一切諸仏の世界を照らしたまふ」のである。
阿弥陀如来とその浄土を目の当たりにご覧になるのだが、それは、光明の世界であり、光明の仏である。つまり智慧そのものであるが、しかし、その智慧を疑うものは、浄土の報土には生まれられず、辺地とか疑城胎宮といわれる化土に留まるというのである。
浄土真宗が信疑廃立の水際をたてる所以である。
その重要な一節が、釈尊の「阿難よ、立ち上がって衣服を整え、合掌してうやうやしく阿弥陀如来を礼拝しなさい」と仰っる一言から、真仮の分際のお説教が始まったのである。
そして、この釈尊と阿難のやりとりで思いだしたが、『仏敵』の一節である。
若き日のおよし同行と、その善知識である善光寺さまの会話である。
その前の説教の終わる間際に、「当流には捨てものと拾いものとがある。これが分からねば百座千座の聴聞もなんの役にも立たぬ」と言って、善光寺さまは高座をポイと飛び下りられるのである。そこに不審を感じたおよしさんが、善光寺さまに尋ねられるのである。
「お前はえらいところへ気がついた。これは大事の問題だがら、ちょっとオイソレと言った具合に軽く話すのはもったいない」と仰せられて、まず口をすすぎ顔を洗い、袈裟を掛けて、謹厳な態度で物語れました。「当流には二つものがある。捨てものと拾いものの二つがある。…」
と、当流の水際の要をお説きくださるのである。
『大経』の会座では、聴き手の阿難尊者が衣服を整えた。
『仏敵』では、説き手の善光寺さまが、口をすすぎ、顔を洗い、袈裟を掛け直られるのである。
それほどの一大事が、今から説かれようとしているというのである。
(余談)以下はちなみにの話である。
「無量寿仏を礼したてまつまれ」と、ここでは礼拝のみが勧められる。
ところが、初期の無量寿経には、礼拝に加え、『大阿弥陀経』では、「なんじ起ちて更に袈裟を被て、西に向かいて拝し、日の所没する処に当たりて、阿弥陀仏の為に礼をなし頭を地に着け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え」と告げられ、同じく『平等覚経』では、「南無無量清浄平等覚と言ふ」と告げらた。まさしく「南無阿弥陀仏」を称えよ、と勧められているのである。
ところが、後期以降はすべて称名が省略されている。それで、あくまで推測で初期の無量寿経から補うならば、この礼拝には称名も含まれているのではないかと味わっている。もっとも、称名・礼拝によって、見仏・見土を得ていることが窺えても、浄土往生とはまだ区別されている。
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