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釈聞名 十三回法要

 午前中、淀の京都競馬場を過ぎたところあるK家のご法事。

 20代後半から30歳の若いころ、月1度、この道を通ったのが、懐かしい。
 毎月、家庭法座を開いてくださっていたのである。まだまだ未熟なぼくを育てるために、半人前を、一人前の先生として迎えてくださっていたのだ。同じことは、学生時代からお世話になっていた日高(当時は江原)のTさんや、その同人たちにもいえる。ご法話をする機会や経験をくださり、自ら頭を垂れ、長い時間をかけてお育てくださったのである。

 それだけではない。華光会にしても、どれだけのご恩徳を受けてきたことだろうか。父の片腕として、華光会のいわば門徒総代の役割を長年担ってくださっていた。普通、お寺の門徒総代は、地元企業の社長とか、もともとの地主層や学校の校長先生など、いわば地元の名士や有力者が担われることが多い。その点、Kさんは、まったく華光らいし役員である。

 普通に家庭をもち、親を介護し、一介の社員として勤めあげられた方だ。けっして学歴があるわけでも、風采があがるわけでもない。痩せたからだに、服装もかまわず、古びた軽にのって、夏には、下着姿で、タバコを加えながら、会館にお出でになっていた。

 しかし、その外見とは違って、いざとなるとあれだけ腹の座った方もなかった。今生事は軽く、仏法は重くのご生涯である。その最期の臨終も、また凡夫の生地のわがままをそのままお示してくださったなが、これまたすさまじかった。

 病院のべットで、やせ細り、やたらと寂しげな眼光をこちらを向けて、何もいわずに強く手を握りしめ続けてくださったのが、最期にお別れとなった。
 待合室テレビでは、ちょうどアテネオリンピックの最中。アスリートたちが若さ溢れる全身全霊をかけて活躍している姿か、なんもとまぶしくて映っていた。

 Kさんのご往生から12年。この機会に、ぼくにかけてくださった篤い願いに心は馳せながら、ご遺族と共に、ご遺徳をしのばせていただく尊いご縁となった。ご家族のお言葉も尊かった。

 南無阿弥陀仏

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