京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(1)~お誕生の地、日野の里~
3年ぶりの聞法旅行である。国内では、第40回目だ。他に、海外の聖跡巡拝は、インド、中国、シルクロードなどが8回あるが、これは別カウント。
聞法旅行は、これまで2泊3日間であったが、ひとりでも多く参加してもらいたいので、1泊2日に短縮した。おかげで、大分や福岡の九州組、山口、広島、高知の四国・
中国組、新潟や福井の新潟・北陸組に、そして東京、千葉、埼玉、神奈川の関東組に、静岡、愛知、高山などの東海組、さらには、近畿圏の皆さんと、遠近各地から京都にご参集くださった。
これまでの3日間に比べると、ご法座という意味では、分級座談会もなく物足りない部分はあった。それでも、親鸞聖人の歩みを味わいながら、ご旧跡を歩ませてもらうのは、その場に身を置き、空気を味わわせてもらう
意味でも貴重な時間となった。その一部ではあるが、拝観の順番にたどっていこう。
まずは、台風の影響を心配しながら、京都に集合。まずはお誕生の日野の里に向う。京都市伏見区と宇治市が入り組み、新興住宅地と旧街道の古い雰囲気が交差しているあたりだ。中でも、日野の里の一帯は、静かな雰囲気が残っている。この地で、承安三年(1173年)に、親鸞さまはお生まれになった。平安末期、武士の世が台頭していた不穏な時代である。幼名は、松若
麿と申された。親鸞聖人のご出身の日野家の菩提寺である「法界寺」から旅はスタートした。
国宝「阿弥陀堂」に御参りする。華光会の貸し切り状態である。中央には丸みを帯びた体躯と柔和なお顔の、国宝「阿弥陀如来坐像」がお迎えくださる。聖人が、子供の頃から拝まれていたという阿弥陀如来である。おいわれを丁寧に解説いただく。回りの壁や柱の飛天や障壁画も、ライトで照らして見せていただいた。最後に、行道できるお堂形式の中を、皆さんと一緒に、口に「南無阿弥陀仏」と申し、心に阿弥
陀仏を念じながら、一周だけ行道を行った。ここは、日野乳薬師の別名で知られるのは、隣にある「薬師堂」が有名だからだ。今春、51年ぶりに特別拝観で開帳された薬師如来像や法界寺については、このブログでも詳しく触れているので、こちらをお読みください。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-27a3.html
さて、法界寺の隣接する保育園を挟み、誕生院にも御参りする。本願寺の飛び地の境内地で、建物自体は、昭和の創建。根本中堂模した回廊造りの落ち着いて雰囲気のするお寺である。
裏手に日野家の墓所がある。鶴の家紋は、某航空会社を思い出させるが、無関係だそうだ。
墓所といっても、五輪の塔が4つのほどある質素なもの。中央が親鸞聖人のお父様、日野有範公(右上の写真)、右手にお母様の吉光女さま、左手は、叔父様の日野範綱公で、ご両親亡き後、聖人をお得度させてくださった恩人である。そしてその隣に、聖人の末娘、覚信尼公の墓所である。本願寺の基盤を造るきっかけとなる真宗の大恩人である。
日頃は訪れる人もなさそうな素朴な五輪塔を前に、静かに手を合わさせてもらった。
≪法界寺の国宝「阿弥陀堂」↑≫
≪日野誕生院↑≫
≪親鸞聖人の末娘、覚信尼公の墓所↑≫
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