京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(8)~ご参籠の地・六角堂
雨の中、坂道を少し歩かねばならなかったので、しんどくなられたり、転倒される方もあったが、どうにか、京都市内の六角堂に向う。親鸞さまが、比叡山を降りて六角堂に向う故事に倣って、ここが最後の御旧跡の地となる。時間が許せば、聖人の臨終の地といわれ
る善法院跡の碑で結び話もあったが、連休中の京都市内は渋滞していおり、六角堂で最後となった。
六角堂は、烏丸御池を下った、京都市内の中心部にある。誰かが都会の中のビルの合間にあるんですね」と驚いておられたが、回りのビルも池坊で、ここのご住職も
池坊、つまりはすべて池坊グループというのか六角堂グループ。ここは、華道発祥の地でもある。聖徳太子さまは、なんでも初めての御方なのだ。
古来より、観音さまの霊場として、聖徳太子のゆかりのお寺として繁栄するが、境内には、へそ石があって、これが平安京造営
の基準になったとも言われている。京都には、金閣寺、銀閣寺、東寺など俗称が全国区になっているお寺が多い。ここも、また正式には頂法寺というのだが、それを知っている人は稀だろう。お堂の形が六角形なので
、六角堂と称されている。
もちろん、親鸞さまがここに籠もられたのは、聖徳太子さまを「和国の教主」(日本のお釈迦様)を敬愛されていたからである。その九十五日目の暁に、聖徳太子のご示現によって、聖道自力の教えを捨てて、法然さまの専修念仏の道を歩まれることになるのだ。青蓮院のところで触れた、20年間の回り道の話である。
ご本像は、観音菩薩であるが、右手に親鸞聖人、左手に聖徳太子をおまつりされていて、それぞれ扁額も掛かっている。また境内には、親鸞堂があるが、そこには、御籠りをしながら、夢ともうつつともその境界がなくなっている親鸞様の夢告像が安置されている。このあたりは、新しい建物ではある。 下の写真は、六角堂の正面と、夢告像。
雨の影響も最小限に、こうして、無事、2日間の行程を終えた。
いつも京都に来ても、華光会館だけという方には、聖人のご旧跡地を回るのは初めてだという方も、多かった。比叡山だけは行ったことがあるという人でも、東塔(根本中堂)だけという方もあったので、皆さん、たいへん有意義に、2日間の旅を終えてくださったのではないだろうか。
ところで、今回の京都の親鸞聖人御旧跡は、お誕生からご流罪までの35年間が中心で、帰洛後30年の晩年やご往生後のご旧跡は訪れなかった。ただ、このブログでもちょこちょこその点には触れてるので、番外篇として結んでおこう。
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