京都の親鸞聖人聖跡巡拝の旅(3)~元大谷・崇泰院~
お誕生の地~お得度の地と来たら、次はご修行の地の比叡山である。しかし、地理的には、青蓮院から100メートルも離れないない場所に、元大谷の崇泰院がある。
これは、実際に現地を訪ねてみないと実感できないが、青蓮院と浄土宗の大本山知恩院は隣接している。その知恩院の一角に崇泰院があり、吉水草庵跡の安養寺や、出会いの場であった法垂窟も、みんなここにあるのだ。さらに、祇園の八坂神社と円山公園を挟んで、親鸞聖人の墓所である大谷祖廟(お東)がつづく。つまり、浄土宗、浄土真宗の
者にとって、この一帯は、故郷ような聖地なのである。
これを時間軸に重ねてみると、興味深いことがわかる。
親鸞聖人のお誕生は、承安三年(1173年)だ。法然聖人が、比叡山の黒谷青龍院で、善導大師の御文に出会って、廻心されるのが、43歳の時で承安五年(1175年)といわれている。お師匠さまの法然様とは、40歳の年齢差であるので、親鸞様はまだ2、3歳の時のことである。そして、親鸞様が9歳で青蓮院で得度された時、すでに隣には吉水草庵が開かれ、専修念仏の声が響いていたことになる。しかし、その時は、まだ機は熟していなかっただ。その後、20年間
の比叡山でのご修行と六角堂の参籠に経て、この地に法然聖人を
訪ねられることになる。直線距離なら数百メートルしか離れていないところを、ずいぶんの遠回りをされている。しかし、その20年間の回り道の意味は、とても深いものがあるのだろう。
さて、元大谷・崇泰院は、聖人滅後十年に、その遺骨が収められた墓所(本廟)があった本願寺故地である。日野の里に墓所に御参りした聖人の末娘の覚信尼公が、夫の協力によって屋敷内に墳墓を造り、それが覚如上人によって寺院となり、大谷本願寺となるのである。この地で、蓮如上人もご誕生になり
(産湯の井戸が残る)、そして山徒による破壊(大谷破却)まで、この地が本願寺があったのだ。
いまでは、「拝観謝絶」の看板がでているが、今回は、特別に拝観をさせていただく。こんな小さなお堂が、本願寺とは想像もつかない。もちろん、すべて破壊された後々の再建であるが、しかし、蓮如上人の貧困の故事を彷彿させるには充分な佇まいである。ここから、本願寺の歴史は始まったのである。あくまで伝承ではあるが、親鸞聖人の直筆の光明の阿弥陀様や、お木像も安置されている。また裏手には、聖人の墓塔が、ひっそりと建っているのも、有り難い。
≪親鸞聖人直筆の光明阿弥陀様↑≫
≪親鸞聖人の墓塔↑≫
≪蓮如上人産湯の井戸↑≫
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