公民館での高山支部法座
いつもは同人宅での支部法座だが、今回は、都合で、金曜~土曜の法座にしてもらった。平日であり、初日は地域の公民館が会場となる。おかげで、お世話役の方が、近所のお友達にも広くお声をかけてくださって、ご近所の方も大勢お参りくださった。正直、華光のご法座では珍しいことだ。どこかで、難しいとか、なかなか伝わらないなどと慮って、近所の方に声が遠慮がちになってしまう。
法話は、かみ砕いてお伝えしたが、どうも説明風のお話になってしまった。一般の方には、死者や先祖を供養したり、「死んだら誰もが仏だ」という仏教やお経のイメージが根強いので、それは本来の仏教ではないことを、『仏説阿弥陀経』を通してお伝えしたかった。阿弥陀様の願いを、私ひとりのために聞くという、それをは言葉にすれば単純だか、そのシンプルのことが、私の問題として聴聞が始まるには、一朝一夕のお育てでいかないことを実感さられる。メモをとりながら聴いてくださった方には、「しっかりこれからいろいろな教えを勉強させてらもいます」という方もあった。
しかし、動機はどうであれ、こうして多くの方が御参りくださり、共にご聴聞し、一言でも、座談会で発言くださったことを喜ぼう。ご縁がないと、手は合わせてもらえないのだ。ましてや「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声に出してお念仏することすら、難しいことである。なぜ浄土真宗で、「南無阿弥陀仏」と称えるのか。なぜ、心ではなく、声に出すことが大切なのかを、簡単にだがお伝えさせていただき、共にお念仏もうさせていただいた。
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