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知らぬが凡夫?

 恒例のM家での盆参法座。京都支部法座も兼ねている。『仏説阿弥陀経』のお勤めする以外は、いつもの支部法座と同じである。ご法話も、その『仏説阿弥陀経』のお心をいただいた。概観というより、極楽浄土の世界と、その主である無量寿、無量光のゆえに阿弥陀様と言われる所以をお尋ねした。信仰座談会も、いつもどうり。率直に、自分の信心の不審をお話くださる方があった。もしもっと確かものを得ようというのなら、それは方向違いだ。「聞いた」「分かった」に留まることなく、引き破って聞く姿勢をいただいたことが、有り難いのである。

Img_5351 法座が終わっても、大半の方が残って、懇親会。アルコールも振舞える。その席でも、座談会の続きとなるが、一段落してきたことろで、歌ごえ喫茶に代わる。例によって、ご主人がギターを奏で、奥さまが指揮される。懐かしいフォークソングを中心に何曲か歌ってお開きになった。

 ところが、数日後の話に驚いた。

 格好良くギターを弾くご主人の障子と外壁を隔ててImg_5352_4、すでに事故が起こっていたというのである。隣人の独居老人が、向こうの庭で、M家の壁にもたれるように亡くなっていたのがわかったのは、この3日後だ。ここの奥様が物干しから倒れている隣人の死体を発見されて、警察に通報。おかげで、何度も実況検分が行われる事態になったというだ。検死の結果、すでにこの頃には死亡されていたと推測されているとか。

 壁一枚を隔てて、リアルに生死があったにも関わらず、無明の凡夫にはそれが分からなくて、ただ呑気に歌っていたのだから、まさに迷いの真ん中にいるのである。

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