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東京支部法座~「舎利弗 於汝意云何」

 週末は、東京支部法座。今回の世話人から提案をいただき、初日は、悟朗先生の一周忌に因んだ法座を開く。一同で『阿弥陀経』をお勤めし、そのお心をお取り次ぎしたご法話。 

この経を、無問自説経と言う。

「舎利弗よ、そなたはどう思うか」と、お釈迦様は尋ねられた。

 今生でのお別れが迫った長老舎利弗に、釈尊は「舎利弗よ」「舎利弗よ」と36回も呼びかけられて、そして「そなたはどう思うか」と問われながらも、その答えを待たずに、一方的に阿弥陀仏とその国土についてのご説法をされ続けられるのである。

 相手は、凡夫ではない。羅漢の悟りに達し、釈尊の後継者として認められていた長老、舎利弗尊者である。
 しかも、智慧第一と称される釈尊の愛弟子だ。

 その智慧第一の舎利弗さまに、

「舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜ、その佛を阿弥陀と申しあげるのだろうか」と問われ、その答えを待たずに

 光明無量(智慧が無量)であるがゆえに「阿弥陀」であり、寿命無量(慈悲が無量)であるがゆえに「阿弥陀」であり、そしてすでに成仏以来十劫という長い月日がたったいることをお説きくださった。

 光明無量、寿命無量の阿弥陀様やその光明の浄土について、声聞さまのお悟りではとやかく計らうことができなかったのではないか。智慧第一と称される舎利弗尊者をしで計らうことのできない世界なのである。まさに仏みが知りうる仏様の世界なのである。いや智慧第一の御方だからこそ、声聞の智慧では計りしれない仏の世界であることがお分かりになり、沈黙をされ、釈尊のお説法に頭を垂れて聞く以外にはなかったのではないか。

 いわんや、泥凡夫のわれわれおや、である。

 

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