親鸞『西方指南抄』現代語訳
相愛大学名誉教授の新井俊一先生の 親鸞聖人の『西方指南抄』の講義。発行されたばかりの親鸞『西方指南抄』現代語訳が、テキストである。
『西方指南抄』は、法然聖人の法語や消息(手紙)、行状記を、親鸞聖人が集録した書で、三重の専修寺に伝わるものが、聖人の八十四歳の直筆として国宝に指定れている。このブログでも触れたが、法然聖人は、その華々しい活躍や著述に比べて、直筆が極めて少ない御方である。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-6dc3.html
お弟子による法然聖人の言行録は、たとえば『漢語燈録』や『和語燈録』など多数があるが、本書は現存するものとしては、そのどれよりも古く、またこの書にのみ集録されものもあって、きわめて貴重なものである。
しかし、親鸞聖人の直筆があるのに、「真宗聖教全書」第二巻・宗祖部(親鸞聖人の著述)からも外れ、本願寺の「浄土真宗聖典」にも集録されておらず、『漢語燈録』や『和語燈録』と同じ扱いで、「真宗聖教全書」第四巻(拾遺部)に収録されている。つまり、真宗の立場からみると、親鸞聖人の著述というより、法然聖人の言行録として傍流の聖教という立場におかれている。ならば、浄土宗からは高い評価があるか。というと、あくまでも、親鸞が浄土真宗の立場で集めたものとして、端に追いやられているというのが、現状だそうだ。
また、この書は、三巻(それぞれ上下があるので、六巻とも見える)あるが、各巻の奥書の乱れなどから、親鸞聖人が直接、編集したものではなく、もともとあった別の本を底本として転写したのではないかという説が有力であったりもした。今日では、その矛盾を説明する説も出され、親鸞編集説が有力になっている。確かな意図をもっとて聖人が編纂されたのは確実ではないだろうか。
平安浄土教から鎌倉時代の親鸞聖人の浄土真宗に至るまで、その継承され展開された歩みを考えるとき、平安末期の法然聖人の果たされた役割は計れ知れないほど重大である。法然さまと親鸞さまの教えでは、一見、異なるような思想(臨終来迎と平生業成とか、一願建立と五願開示とか)もあるが、実は、すでに法然聖人の中にその萌芽がみることができるのであって、その点を味わう上でも、本書の役割は大きいというのである。第一、聖人自身は、法然聖人のみ教えをそのまま継承されていると味わっておられるのであって、その広大な祖師のご恩徳に報いるためにこの書を編纂されたのであろうから、それも当然であろう。
じっくり読ませていただこう。
皆様にもお勧めします。
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