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8月の聖典講座~大命まさに終わらんとして~

Img_5347 例年、8月の聖典講座は夏休みだが、今年は、父の一周忌の命日に重なったので開催した。法要を営めば、日頃、聖典講座に無縁の方もお参りくださるかもとの淡い目論みもあった。法要の準備をし、駐車場も空け、お菓子も多めに用意した。が、そんな凡夫の浅はかな計らいは、脆くも崩れるのである。ほぼ7月のわが家の法要にお参りくださった、聖典講座の常連さんばかりだ。目新しい方は初めての方だけで、 先生の一周忌くらいでは、華光同人は動かれないのである。その潔さに、逆に感心させられつつも、計算違いにがっかり。凡夫の浅知恵で計らってもダメということ。

 しかも聖典講座は、五悪段の第四、第五と、釈尊の教説の部分である。特に、第五段は、悟朗先生の「後生の一大事」のご説法で、常にご讃題にあげられていたところだったので、その点でも有り難かった。揮毫された書も飾らせてもらった。

「大命まさに終らんとするに悔懼(けく)こもごも至る。あらかじめ善を修せずして、窮まるに臨んでまさに悔ゆ。これを後に悔ゆともまさになんぞ及ばんや。天地のあひだに五道〔の輪廻の道理〕分明なり。恢廓窈窕(かいかくようちょう)として浩々(こうこう)茫々(もうもう)たり。善悪報応(ほうおう)し、禍福あひ承けて、身みづからこれに当る。たれも代るものなし。数(ことわり)の自然(じねん)なり。その所行に応じて、殃咎(おうぐ)、命を追うて、縦捨(じゅうしゃ)を得ることなし。悪人は悪を行じて、苦より苦に入り、冥より冥に入る。たれかよく知るものぞ、独り仏の知りたまふのみ。教語開示すれども信用するものは少なし。生死休まず、悪道絶えず。かくのごときの世人、つぶさに〔述べ〕尽すべきこと難し。ゆゑに自然に三塗の無量の苦悩あり。そのなかに展転して世々に劫を累ね、出づる期あることなく、解脱を得がたし。痛みいふべからず。」(仏説無量寿経・下巻)

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