7月の伝道研究会~勝易二徳
伝道研究会も称名論に入って、いよいよ佳境である。今回は、法然聖人が示された「勝(すぐれ)て、易(やさ)しい二徳の念仏」について。
お念仏、「南無阿弥陀仏」と口に出して称える称名念仏は誰にでも出来る易しい行である。しかし、他の修行に比べたなら、誰にもで可能な易しいというこは、それだけ劣った行であると考えられていた。易しいから、当然、価値も低く、功徳も少ない。難しい行であればあるほど、価値は高く、功徳も莫大であると考えるのは、ごく当たり前の私達の常識だ。
ところが、そうではないのだ。お念仏は他の修行に比べて易しいだけではなく、勝れたお徳があるのだと、お念仏に勝易二徳(勝れている徳と易しい徳)があることをお示しくださった。浄土往生のためには、ただ念仏を称えるだけでよい(専修念仏)、他の修行は一切不要と説かれたのが、法然聖人。それは、ご本願に一切の諸行を選び捨てて、唯、偏に念仏一行を選ばれたからだ。ではなぜ、一切諸行を選び捨て、ただ念仏一行を選ばれたのか理由を、勝易二徳で明かにされている。
今回は、『選択集』の意訳を読みながら、勝劣の理由の部分だけを味わった。
『選択集』の本願章には、
「問うて曰く、あまねく諸願に約して、麁悪を選び捨てて善妙を選び取ること、その理しかるべし。なにがゆえぞ、第十八願に、一切の諸行を選び捨て、ただ、ひとへに念仏の一行を選び取りて往生の本願となしたまうや。
答えて曰く、聖意測り難し。たやすく解すあたわず。しかりといえども、今試みに二義を以ってこれを解せば、一には勝劣の義、二には難易の義なり。
初めに、勝劣とは、念仏はこれ勝、余行はこれ劣なり。所以はいかんとなれば、名号はこれ万徳の帰するところなり。しかれば則ち弥陀一仏のあらゆる四智、三身、十力、四無畏等の一切の内証の功徳、相好、光明、説法、利生等の一切の外用(げゆう)の功徳、皆ことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂在せりゆえに、名号の功徳をもっとも勝れたりとなす。余行はしからず。各々一隅を守る。ここを以って劣となすなり。譬えば世間の屋舎の、その屋舎の名字の中には、棟、梁、椽(てん)、柱等の一切の家具を摂せり。棟、梁等の一々の名字の中には一切を摂することあたわざるがごとし。これを以ってまさに知るべし。しかれば則ち仏の名号の功徳、余の一切の功徳に勝れたり。ゆえに劣を捨て勝を取りて、もって本願となしたもうか。
仏さまの御心は推し量ることは難しいのだが、と断りながらでも、南無阿弥陀仏のお名号は万徳の帰するところであって、そこには、阿弥陀仏の四智、三身、十力、四無畏等などのいっさいの「内証の功徳」と、相好、光明、説法、利生などのいっさいの「外用の功徳」のすべてが摂在しているのであって、その名号を称える称名行がもっとも勝れた行であるとされた。そして、たとえをもって、ちょうど南無阿弥陀仏が家全体ですべてが収めたいるのに対して、諸行は、梁とか、柱のように家の一部分にすぎないとして、これを劣ったものとしているのである。だから、阿弥陀様をのお名号の功徳に比べたならば、他の一切の諸行の功徳は劣っているので、劣ったものを捨て、勝れた名号を取られて、本願にはその御名を称する一行を選ばれたというのである。
では、内証の功徳である、四智、三身、十力、四無畏とはどんなことかを、悟朗先生のテキトスをもとに学んだ。
8月は夏休みでお休み。
次回は、9月7日(水)夜7時30分~
念仏の勝易二徳の、難易の理由の部分で、称名論も終わる。
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