宵々山~聖徳太子のお言葉
今年は、高辻通油小路の聖徳太子の太子山から、木賊(とくさ)山、芦刈山、油天神山などを回った。巡行では観たことはあったが、宵山でこのあたりにはあまり来たことがなかった。少し外れるだけで人出も少なく、お祭りの風情を楽しみことができた。家々に飾れた屏風を鑑賞すれば、家
人が説明くださるお家もあった。
蟷螂山や四条傘鉾などを回って、四条通の巨大な鉾を観た。さすがに鉾の辻といわるあたりは
混み合ってはいたが、それでも屋台が分離されたので、昔ほどの混雑はない。
屋台でつまみをかってビールをのみながら回ったが、猛暑続きの七月にしては、珍しく涼しい一日で、歩くのも苦ではなく、非日常をたっぶとり堪能させいただいた。前祭の二十
三基のうち、十七基も回ったようだ。
太子山で聖徳太子ゆかりのTシャツを見つけた! 「我是則彼非」とプリントされている。これに続く言葉が有名な、「共に是れ凡夫ならくのみ」。まさか、こんな
Tシャツがあるとは知らず、思わず購入した。
自分と、他者との違いに、イライラしたり、怒ったりの毎日なのだが、自分こそ正しく、相手が間違っているのでも、自分が聖で相手が愚でもない。共にお互い凡夫であって、丸いイヤリングにどこが端かが分からないように、賢いも愚かもないという、賢者(聖徳太子)のお言葉。自戒の思いを込めて。
忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄てて、人の違(たが)ふを怒(いか)らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)ることあり。彼是んずればすなはちわれは非んず、我是みずればすなはち彼は非んず、われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。(『憲法十七条』十条)
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