『FAKE』
『FAKE』は、森達也監督の最新作。
帰宅して、「サムラゴウチマモルを描いた映画を見てきた」と連れ合いに伝えると、「誰のこと?」と聞き返された。「じゃ、新垣さんと言えばわかるよね」と言うと、思い出して、「そんな名前だったかな。漢字で「佐村河内守」と書かれたら特徴あるけどね」と言った。確かに、その後も次々とFAXEな方々が、マスコミやワイドショーを賑わわせ、賞味期限が過ぎたころには、次の主役が現れて忘却されている。新垣隆氏のゴーストライターの告白が2014年2月のことで、まだ2年ほど前のことなのに、すでに昔出来事になっているのだ。ぼく自身、この騷動が起るまで佐村河内守氏のことを知らなかった。音楽も聴いたことがなかった。当然、事件にもそれほど興味はなかった。誰が主に作ろうとも、その音楽を聴いて感動したのであるなら、「詐欺だ」などと騒ぐ必要がないんじゃないのかと思っていたからだ。
それでも、この映画は面白かった。
バラエティーのように笑えてもくる。夫婦や家族の愛にしんみりもさせられる。緊迫してドキドキする場面もある。それでいてラストは感動的という評価もるあが、どうもぼくには、モヤモヤと嫌疑が残るような終わり方をで終わった。
被写体は、騷動の渦中にあった佐村河内守氏夫妻の自宅で密着するのである。自宅のテレビ前に閉じこもっている佐村河内守氏は、マイナスオーラ全開で淀みまくっている。その彼を信じ支える妻や家族にカメラは向けられるのだ。
民放のテレビ局が年末特番のオファーに来る。その一部始終も映し出される。「将来にスポットを当てる」とか「反論もあおりでしょう」とか、「決してお笑いではありません。どうか信じてください」などと、とにかく調子のよいことを並べ、引っ張りだそうとする。でも、傍目からみても、信念やポリシーをもって、彼にオフアーしているのではないかのことが、その言動から感じられる。視聴率のために話題になる素材を引き出したいだけである。オファーを断った彼に代わって出演したのは、新垣隆氏であった。当然、番組は、事件を茶化し笑い物にしている。それ一つ見ていても、テレビというメディア、特にバラエーやワイド・ショーの本質が映し出される。その画面を眺める佐村河内氏を、カメラは取られえていく。
もしこの映画だけを観たならば、新垣氏が、如何に狡猾で、告発したルポライターもぐるであるかのように見えてくるから、不思議だ。結局、映像とはそんなものである。もちろん彼らも登場するのだが、正式な取材を拒否した形で描かれているのだ。~その反論はこちらにもある~。http://blogos.com/article/178313/
一方、アメリカのテレビ局の取材から、核心部分のするどい質問を受ける場面も収録されている。それに対して、誰もが納得する返答ができない彼がいるのも事実だ。
森さんのことだから、単なる第三者の取材では終わらない。彼らと共に過ごすなかで、森さんの中で動かされるものもあったのだろう。夫妻に積極的に働きかけて、場面を展開させていく。ここはよかった。さらに、彼の音楽への情熱を鼓舞して、彼に作曲するように働きかけるのである。驚かされたのは、けっして名曲かどうかは別として、自力で作ろうと思えば作曲もできることも証明してくる。
澱んでいた彼の姿が変化する。失ったもの、裏切っていったものばかりの中で、変わらないものがあったことに気付かされるのであろう。
そしてやってくるラストの質問だ。沈黙のまま、答えを出さずに映画は終わる。ぼく自身にはすごく嫌疑が残る終わり方だ。ほんとうに監督は彼を信じていたのだろうか。FAXEは、誰のことを言っていたのだろうか。
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