クライエント中心のカウンセリング
『育ち合う人間関係』の中から、「カウンセリングの手引き」を輪読している。
第2回目。核心に入って、「カウンセリングとはどういうものか」という基本中の基本を押さえる。今回のクライエント中心のカウンセリング、そして基本的仮説としての四項目を学んだ。箇条書きにすると、
1、人間は誰でも成長力をもっている。
2、知的な面より、感情的な面も重視する。
3、問題の解決より、個人の成長を目的とする。
4、現在の場面を重視し、過去は問わない。
となる。ただ並べるだけなら、なんの意味もない。これは、ロジャーズ自身が、膨大な臨床経験の中から打ち出した仮説であって、各々に深い意味合いがある。さらにそれを、西光先生がひとつひとつ言葉を選び、深い内容を、易しい言葉で分かりやすくお伝えしてくださている点にも、深く感銘した。このシンプルな基本的な仮説こそ、「クライエント(来談者)中心」というアプローチを考える基盤となる。特に1は、カウンセリング自身の人間観に深く関わる重要なポイントだ。
いちいちに思うところがあったが、仮説の前にあった章に教えられた。
クライエント中心のカウンセリングについて、カウンセリングとは、相談場面におけるカウンセラーとクライエントとの関係なので、すぐれたカウンセラーになるためには、クライエントとどのような関係をつくるのか。その関係の質こそが問題である。その質とは、カウンセラーの技術ではなく、態度によって決定する。
ロジャーズ以前のカウンセリングとは、クライエントの訴えや悩みをよく聞き、その原因を的確に診断し、これを除去するための方法熟達した専門家が、指示や助言すると信じられてきた。いや、いまもなお、そう信じられて、あるゆる場面で、そう実践されているといってもいい。ところが、ロジャーズは、「診断はかなり的確で、治療法を指示するところまでは出来ているが、その結果はどうか。必ずしも、本人自身がよくなっていない」という指摘をする。診断し、指示や助言がどれだけ専門的な権威でなされても、それに応じた治療があがらなければ、臨床としての意味はないという根本的な指摘するのだ。
それは、あらゆる対人的場面、たとえば、親、教師、宗教家といって権威者が、子供、生徒、信者などに対して、「命令したり、禁止したり、訓戒したり、激励したり、説得したり、助言したり、説明したり、解釈したり、教示したりする」ことが、指導であり、正しいことだと微塵も疑っていない。しかし、ほんとうにそれが有益なのか。そのことを根底から疑問視したり、相手側に立ってその効果を考えたことがあるのか。自分の説得や教示に自己満足しているのに留まっていないのか。「あれだけ言ってやったのに聞かない」と腹を立てて、威圧的な態度を強めたり、相手を支配したり、操作しようとしていないか。または、言っても変わらない相手に、愛想を尽かしてあきらめてはいないかと。
改めて、自分の対人的態度を見直させられた。学んできたつもりで、少し話を聞いただけで「この人は、こんな人」、「あの人には、こう関わって」と、診断し、助言や教示をしている現実の自分を大いに考えさせれた。
学び、分かっているつもりだったが、ぜんぜん身についていない自分に気付かせていただいた。もう一度、原点に帰ってしっかりと学び、実践していこう。
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