「カウンセリング手引き」~孤独な魂~
先月から、西光義敞著『育ち合う人間関係』を輪読する。
先月は、A先生の「はしがきにかえて」だったので、実質、中味は、今月からである。
しばらくは第1章「カウンセリング手引き」である。
昭和40年(1965年)、西光先生40歳の時の、初めてのカウンセリングの小冊子で、本願寺の伝道ブックスのひとつとして出版されたものを再録されている。
まずは、一、「カウンセリングはなぜ重要視されてきたのか」である。
10頁ほどの章で、二節にわかれて、
「みんな真の相談相手を求めている」は、不安な時代、仏教の反省、孤独な魂、の3編。
「カウンセリングとは何か一口で言えない」は、むずかつし定義、グループカウンセリングと遊戯療法、の2編だ。
50年も前の文章である。
しかし、仏教の反省から、孤独な魂にかけては、当日の西光の深い内省と、あついあつい想いが伝わってきて、こちらも胸があつくあった。
ここを読んだ時、触発されるように、自然とご自身のカウンセリングや仏教との出会いを、その最初から綿々とお話くださった。まるで西光先生に聴いてもらっているかのようであった。
カウンセリングの手引きは、けっして難しいものはでないので、ぜひ、皆さんもあらためてお読みくだいさい。
「孤独な魂」から、先生のあつい(熱いであり、篤いであり、厚い)想いを載せて、その一部を引用します。
「病める者も健やかな者も、おとなもこどもも、現代に生きるものはみんな真の相談相手を欲しています。早い話、もしも全身全霊をもってあなたの言うことに耳を傾け、共感し理解してくれ、しかもあなたを裏切ることは決してない、という人がいて、毎週一定の時間をあなたのために喜んで割いてくれるとしたなら、あなたは、その人に心の底をうちあけたいという気持が動きませんか。わたしは動くのです。わたしは真の聴き手を求めています。わたしの真の理解者を求めています。そしてその願いと同じだけの強さをもって、わたしは真の聴き手になりたい、ひとを真に理解する人間になりたいと願うのです。
理想としては、御同行と呼び合う念仏者仲間の人間関係こそ、たがいにもっとも深いところで理解しあえる人間関係であるはずです。同朋集団こそ、たがいにありのままの自分であることに安んじきれる集団です。けれども、現実は、およそこの理想とは遠いようです。それがわたしには大問題なのです。どうしてそうなのだろう。どうすれば今までの同朋集団がもっと実質的な同朋集団になれるかということで頭がいっぱいです。
念仏者こそ、惱める人の真の相談相手、人間の真の理解者であるべきだ、そうなりたいと願っているのに、そうなれない、もしくはそうなっていない自分が大問題です。
こういう時点で、念仏者としてのわたしはカウンセリングとめぐりあいました。念仏が強い力となって、わたしにカウンセリングを吸収させてくれると同時に、カウンセリングがいま述べたような問題の具体的解決に大きな力となっています。わたしの中で次第に強く念仏とカウンセリングは、結合し融合してきているように感じます。
『育ち合う人間関係』(西光義敞著・本願寺出版社より)
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