安明寺
回りには田んぼが広がるのどかな風景の中に安明寺はある。こじんまりした本堂だが、蓮如上人にもゆかりの歴史あるお寺だ。もともとは天台宗であったのが、蓮如上人の時代に真宗に転派し、現住職で第十八代目にあたる。
小さな遊具が可愛い。梵鐘は、江戸中期のもので、京都釜座から藤原国次が「出吹く」して、この地で造られたものだという。『大経』下巻の悲化段(いま聖典講座で講義中)に因んでらしいが、、日や月、星に加え、ハカリやマス、算盤などが描かれてい
て珍しいもの。経緯はお聞きしなかったが、戦時中の供出を免れた貴重なものだ。
安明寺には、蓮如上人ご長男、順如上人が三十六歳の御染筆で、ご本尊の裏書が残っていて、たいへん貴重なものだ。というのも、蓮如上人の直筆のものは多いが、蓮如様の後継者でありながら、病弱で四十
一歳で入寂された順如様のものは現存例が少なくて、蓮如展が開催されるおりには博物館で展示される文化財なのだ。
その他にも「伝・蓮如上人の直筆の六字名号」が奉安されている。「伝」といっても、戦後、文化財の鑑定で専門家から、蓮如上人のもので間違いないといわれ、K先生からもお墨付きが出で入るとのことであった。
また安明寺の中興の僧として、巍堂法師という高僧が出でおられる。宗学心に燃えて、広く仏教学ぶために、まず華厳学を修め、後に唯識学の奥義を習得して、多くの師弟を育てたという。(経過は分からないが)伊勢の高田に移り、高田派の本山専修寺の能化職(いまの勧学)に登り詰めておられる。江
戸の儒学者、荻生徂徠とも親交も深く、寺宝として、徂徠の書簡(手紙)も残されている。
奥の間に入ると、増井悟朗師の「帰命盡十方無碍光如来」の十字名号が掛けられている。父の十字名号は珍しいので、その経緯を訪ねると、わざわざ六字、九字、そして十字の三幅の御名号をお願いされたというのである。何でも、傷むのを嫌って、三幅を順番に掛けてくださっているのだそうだ。会館にも、九字や十字のお名号は残っていないので、ぼくにとってはこちらにも興味をもった。ご縁があれば、ぜひ、三幅揃ったところを拝ませていただきたいと思った。
ご家族の皆様には、掃除やお茶菓子などの準備で、受け入れもたいへんであっただろう。ご住職は、暑さを心配されていたが、幸い、風も心地よくて、その心配はなかった。いろいろと心のこもったご接待のおかけで、参詣の皆様も、とても喜んでくださり、有り難いご縁となった。
皆さん口々にM先生やYさんが、ここから京都まで、毎回、御参りにお出でくださり、より身近な存在になったと仰っておられた。
お世話になりありがとうございました。
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