ご示談
ご示談のお申し出があった。といっても、時間の半分以上は語たられる心境、苦しみをひたすらお聞きした。
一般的なことだが、誰もがいまの苦しさから逃れたい。それをなんとか取り除いてもらいたいいうのが、凡夫の切実な欲望である。なんとかしてほしい。そのためには、なんでも利用(家族でも、法悦で、念仏でも)したい。
確かに家族や友人も、なんとか助けたいと、アドバイスをし、応援してくれるだろうし、その悩みに付き合って聞いてくださるだろう。仏法を聴くと、一時、心が安らぐかもしれない。しかしである。この娑婆の世界では、自らが造った業の責任は、どれだけ可愛い子供や愛し合う夫婦であっても肩代わりはできない。各人が、各人の業を引き受けていくしかない。自業自得の道理を歪められないのだ。
しかし、仏縁を結ばせていただいた身には、その宿業を自らの引き受けようとその深淵に向き合ったとき、その暗黒の谷底に、既に大悲のみ親の涙が注がれていることが知らされるのである。深い宿業観は、その深さだけ広大な大悲観へと轉じられていく。
なかなかひとりではこの歩みには勇気がいる。そこを同行・知識が、お念仏と共にお勧め、ご指南くださるのである。そのご指南によって、自ら、一歩踏み出させていただけるのである。
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